ゴリオ爺さん の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
岩波文庫の下巻が見つからなかったので、新潮文庫で読み直し。 岩波の方が近代文学っぽい古くてやや分かりにくい表現の翻訳に感じられたけど、それが古さと雰囲気を出している気がして良かったような。 文字のサイズが大きくて、読みやすさは新潮の方が勝ってるかも。 娘を溺愛・偏愛した寂しい悲しい父親の一生と出世を目指す青年の姿が描かれた物語でありながら、それだけでなく、その他の脇役にもストーリーがあって、バルザックの他の作品も読んでみたくなった。
Posted by
世間と言う真因はそのようなきらびやかな世界がどんなに偽善と妥協と搾取によって支えられているかを悟り、恐ろしくなる。ゴリオの爺さんもある種搾取される側の人生を堪能し、自らの幸福を他人に求めることで幸せを享受していたのだと思う。社交の場に乗り上げた途端、父親を恥ずかしく思うという娘た...
世間と言う真因はそのようなきらびやかな世界がどんなに偽善と妥協と搾取によって支えられているかを悟り、恐ろしくなる。ゴリオの爺さんもある種搾取される側の人生を堪能し、自らの幸福を他人に求めることで幸せを享受していたのだと思う。社交の場に乗り上げた途端、父親を恥ずかしく思うという娘たちの心情と、その成果を呪うという醜悪な非業の死もうまく描きあげられている。社交の場にありがちな心象風景を見事に描ききっている。何を持って生き甲斐とするか、人生をどう生きるべきなのか、世間とどう向き合うのか、色々と考えさせられる作品だ。
Posted by
トマ・ピケティの「21世紀の資本」で触れられていたので、興味を持った。 しかし、「21世紀の資本」は未読。一時帰国の際に立ち読みしたが、その重さと値段に物怖じしまったためだ。お茶を濁すようにEテレの「ピケティの白熱教室」を視聴。この中でも「ゴリオ爺さん」を題材にして、19世紀初頭...
トマ・ピケティの「21世紀の資本」で触れられていたので、興味を持った。 しかし、「21世紀の資本」は未読。一時帰国の際に立ち読みしたが、その重さと値段に物怖じしまったためだ。お茶を濁すようにEテレの「ピケティの白熱教室」を視聴。この中でも「ゴリオ爺さん」を題材にして、19世紀初頭のパリの人々の経済観念が説明されている。すなわち、法学生ラスティニャックに謎の人物ヴォートランが「弁護士として労働賃金を得るよりも、裕福な女性と結婚した方が大きな富を得られる」と説得するシーンが紹介され、富める者には構造的に富が集中していった当時の事情とウオール街のデモに代表される現在の格差の対比が述べられている。 さて、本書「ゴリオ爺さん」だが、メチャクチャ面白い。羽田からジャカルタまでの8時間、退屈しないで済んだ。 「人間喜劇」の中心に置かれる作品と言われている通り、パリの貧民街、貴族地区、新興ブルジョアジー地区に住む、それぞれの階層の人々が生き生きと描かれている。 2人の美しい娘に全財産をつぎ込み、崩壊してしまう主人公のゴリオ爺さん、その身勝手な娘、出世のためパリの社交界へのコネを必死に探す法学生のラスティニャック。印象としては、この4人は常に自分の中に矛盾を抱えている。受けられないと既にわかっている愛情を求め、与えてしまった愛情に後悔し、時には良心の呵責に苦しんでいる。おそらく、格差の生じる社会では、生き残られないタイプなのだろう。臨終の間際、苦痛に苛まれながらのゴリオ爺さんの独白には寒気がした。一方、ラストでラスティニャックがパリに向って叫ぶ姿は、抱いていた自己矛盾を乗り越えた彼の未来を暗示する。 謎の人物ヴォートラン、金に細かい下宿屋の女主人、誇り高いボーセアン子爵夫人を始め、一瞬しか登場しない召使いですら、キャラが立っていて魅力的。 面白い小説ではあるが、当時のパリの状況を知らないと少々きつい。意外にウィキペディアの「ゴリオ爺さん」の項が充実していて、当時の家族関係、婚姻の効果、貴族とブルジョアジーの葛藤、ブルボン王朝王政復古下での人々の考え方など、本書を読むための事前知識が簡単に得られる。おすすめの★5つ。
Posted by
初バルザック。こんなに面白いとはおもわなかった。 愚かな娘と思いつつも、親に甘ったれている点には思い当たる節もある。
Posted by
すべてを愛す 裏返しは盲目 カミュの紹介から。 流れるような矢継ぎ早の表現に絡め取られて、煙にまかれてしまいそうになる。 同じパリに生きる人間を描いているというのに、サガンのそれとはまるで違う。サガンはたった数人の人間関係を持続させることで、気怠いパリの空気を吐き続けた。 バル...
すべてを愛す 裏返しは盲目 カミュの紹介から。 流れるような矢継ぎ早の表現に絡め取られて、煙にまかれてしまいそうになる。 同じパリに生きる人間を描いているというのに、サガンのそれとはまるで違う。サガンはたった数人の人間関係を持続させることで、気怠いパリの空気を吐き続けた。 バルザックは、その気怠さを金と愛の汚泥から容赦なく叩きつける。 描かれる人間それぞれに人生(ドラマ)を与えていて、きちんと役割をこなす。美しいものは美しく、汚れたものはとことん汚く、その予定調和さにどこか嫌悪を覚えてしまう。パリのみせる二面性があまりにもクリアなのだ。 ヴォートランの存在は作品全体に色濃く印象を与えていて、様々な可能性を秘めている。彼は社会への反逆を標榜しているように見えるが、彼のことば通りなら反逆などできるのだろうか。法則が不条理で存在せず、出来事だけというのなら、その時出来事は存在するのだろうか。彼は反抗できないことを知っていて、興味本位からウージェーヌを唆したのだろうか。彼の生き様は気になる。 ボーセアン公爵夫人の気丈さ、それを支える愚かなまでのひたむきさ。隠遁した先で彼女はそんな自分をどう考えるのか。 何よりもゴリオ爺さん。金で買えるものは、金で買えるものでしかない。娘がどんなに大切だろうと、切り売りできるそんな接し方でしかない。それを愛と呼び溺れる、彼の迎える結末。父性なんて自己愛の裏返し。 ひとつの完結した物語でありながら、幾重にも可能性を秘める。どういうわけか、パリはひとを惹きつける。
Posted by
2015/5/20読了。先日のバークに続いてバルザック。近代フランスネタ続くのは偶然ですが。当然ピケティに感化された邪な動機(笑)で読み始めたわけですが、これがなかなか面白い。ラスティニャックをはじめゴリオ爺さんやヴォートランなどヴォケー館の人々、医学生ビアンション、またヴォケー...
2015/5/20読了。先日のバークに続いてバルザック。近代フランスネタ続くのは偶然ですが。当然ピケティに感化された邪な動機(笑)で読み始めたわけですが、これがなかなか面白い。ラスティニャックをはじめゴリオ爺さんやヴォートランなどヴォケー館の人々、医学生ビアンション、またヴォケー館とは対照的に華やかな社交界をめぐるストーリー展開、冒頭の描写は長くてやや読みにくいかもしれませんが、当時のパリの光と影が描かれ、特に最後の夕食のシーンからラストまでのテンポは圧巻。続きが読みたい。500頁超という長さを感じさせず、「人間喜劇」シリーズなど他のバルザック作品も読みたくなりました。おすすめ。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
俺は登りつめる!と意気込んだ若者が若さゆえの暴走で 失敗する…あるある、あるよね、と思ってしまう うっかり言っちゃうのやっちゃう、若さゆえ 青年ラスティニャック目線で物語は進んでいくけど 最後にはゴリオ爺さんの強烈な人生の終焉で終わる 面白かった、満足。人間喜劇は読み続けたい。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ゴリオ爺さんはかわいそうだけど、自分から進んで財布になってれば人間扱いもされなくなるでしょ。父親としての立場を放り出してお金で釣ろうなんて娼婦を買う男の発想だし、その根性に娘はけっこう失望してたと思うよ。 この話で一番かわいそうなのはバカ娘を押し付けられた二人の婿さんと思う。まあこの人らも持参金目当ての結婚だったろうから自業自得とも言えるけど。 ストッパーの奥さんが早逝しちゃったのが爺さんにとっての悲劇だな。救いのないラストだけど悲劇というには滑稽すぎて、「人間喜劇」って副題に納得。ジェットコースターみたいにズバッと読めた。
Posted by
バルザック『ゴリオ爺さん』新潮文庫 まさにr>gの世界 時の人ピケティ教授のおっしゃる通り。 バルザックの小説群『人間喜劇』の一つとして収められている本作品。登場人物が他の作品にも登場する「人物再登場」の手法が取られているので、他の作品も機会があれば手にとってみたい。 ...
バルザック『ゴリオ爺さん』新潮文庫 まさにr>gの世界 時の人ピケティ教授のおっしゃる通り。 バルザックの小説群『人間喜劇』の一つとして収められている本作品。登場人物が他の作品にも登場する「人物再登場」の手法が取られているので、他の作品も機会があれば手にとってみたい。 田舎町から出てきた青年ラスティニャックは、本来の目的である学業そっちのけで、上流階級に魅せられ、自らもそこへ入り込むべく、あらゆる手段を用いるが… 金持ちの仲間になるには、金持ちの女と結婚するのが一番手っ取り早い。 一方で、貧しい風貌の老人ゴリオ爺さんは、可愛い二人の娘が優雅な暮らしで幸せであれば、自分がどれほどみすぼらしくても構わない。なんだったら、もっと落ちぶれても構わない。娘が父である自分を愛してさえくれるなら… ー金が人生なのじゃ。お金さえあれば何でもできる。ー ー死ぬときになってみて、子供ってものがどういうものかわかる。ー この話は、自分に子供ができて父親になってから読むと、きっとまた違った感情を織り交ぜながら読める気がする。 バルザックが言いたかったことの一つは、恐らくラスティニャックの友人ビアンションの次のセリフだろう。 ーおれたちの幸福なんて、君、いつでも足の裏から後頭部までの間に収まっているのさ。ー
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「あの子たちが暖かくしていればわしは寒くない、あの子たちが笑えば、わしも退屈しませんのじゃ。」 二人の娘のために私財を投げる父親。パリの社交界で出世を望んだ青年。道徳心を超えるよう教唆する紳士。誰も彼もが個性的である。 ゴリオ爺さんは、娘が誇りであり、娘の悲しみがそのまま自分の悲しみになり、娘の喜びがそのまま自分の喜びになる。最後には、自分の愛し方の間違いを認め、狂気に包まれながら死んでいく。しかし、それはきっと本心ではないだろ。薄々気づいていてもやめられなかったのは、そうしたかったからに違いない。 ラスティニャックは、野心家でありながら、それでも人間としての優しさを捨てきれなかった。104頁の「容赦なく打撃を与えなさい」からの一連の流れ、283頁の「子供ねえ!」からの一連の流れ、は傑作だ。彼は財産のために自分に好意を寄せている女性を踏み台にしなかった。いや、できなかった。情に流され、過去にとらわれた。出世のためには、悪魔と罵られなければならないのに。 ヴォートランは、ラスティニャックを悪に手招くお兄さんのような存在であった。とても打算的で、しかしそれが正論で、ただそれは良心を持ち合わせていてはあまりにも苦しい。彼は、物語の途中で脱落するが、最後まで悪魔的であった。
Posted by