村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた の商品レビュー
「うずまき猫」はうまくみつかりましたでしょうか?と締めくくられてるけど、「うずまき猫」ってなんだろう? 村上春樹氏のエッセイです。 1994年~95年の米国滞在中の話題が中心。 この時期、村上さんは長編小説「ねじまき鳥クロニクル」を執筆している。 比較して読むと、エッセイ中に...
「うずまき猫」はうまくみつかりましたでしょうか?と締めくくられてるけど、「うずまき猫」ってなんだろう? 村上春樹氏のエッセイです。 1994年~95年の米国滞在中の話題が中心。 この時期、村上さんは長編小説「ねじまき鳥クロニクル」を執筆している。 比較して読むと、エッセイ中に、ねじまき鳥クロニクルと似通った表現や記述がみられて面白い。 さて、本作のタイトルである「うずまき猫」であるが、これ、本文には一度として登場しない。 村上さんのエッセイらしく、本作には猫はたくさん出てくるが、うずまきにはなかなか結び付かない。 先の「ねじまき鳥クロニクル」の小説中では、「ねじまき鳥」というのは、けっきょく主人公自身のことであった(と思う)。 それと比較すると本作の「うずまき猫」は、村上さん自身のことなのだろうか。 うずまき、つまりは、外国で、世間のゴタゴタにぐるぐると巻き込まれ、翻弄される村上さんのことを言いたかったのかもしれない。 〜しかし車を一台盗まれるというのが、これほど面倒きわまりない結果をもたらすものだとは僕も知らなかった。(中略)あちこちたらいまわしにされて、居留守を使われたり不親切な扱いを受けたり、時間は無為に流され、ストレスはたまっていく。(中略)。「そうか、世間とはこんなに面倒なものなのか、まあ何事も経験だな」と鷹揚に構えていたいところだけれど、実際にはとてもそんなこと思えないですよ。ただの消耗である。〜 (p140、わざわざこんな忙しい年末に、車を盗まなくたっていいだろうに) とにかく、村上さんはのエッセイは、村上さんが苦労している時がいちばん面白いので、本作はとても面白いです。 うずまき猫に限らず、村上さんの猫にむける優しい眼差しが感じられる一冊です。
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駒沢公園や落ち着いた純喫茶、緑の多いカフェで少しずつ、大切に読んだ。 読み終わるより先に、気づけば自然のある場所やのどかなところに出向くようになった。 猫のピーターに会うためにこれから先何度も開きたい。
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リズム感、ワクワク感、クスッと笑えて、時々感慨深い気持ちになる。 重い小説を読むのが苦しい時にも手に取れて程よく楽しめます。 村上さんの考え方に触れられるエッセイは、村上小説を読み解くヒントが含まれていることもあるような。 小確幸、大切にしていきたいです。
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奥さんがひとりでラーメン食べに行って女子高生にひそひそされて結局村上さんが怒られるくだりめちゃめちゃ笑ってしまった。中華アレルギー(?)ってのもあるんだな…。原因が気になるところ。
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・93年〜95年のマサチューセッツ州ケンブリッジ滞在記。その前にプリンストンに住んでいたときの本が「やがて哀しき外国語」という関係にある。 ・千倉は、一度旅行してみたい場所のひとつ。ハチマキが似合いそうな犬、という描写が可笑しい。村上朝日堂の本編と後書きにも、千倉のことが書いて...
・93年〜95年のマサチューセッツ州ケンブリッジ滞在記。その前にプリンストンに住んでいたときの本が「やがて哀しき外国語」という関係にある。 ・千倉は、一度旅行してみたい場所のひとつ。ハチマキが似合いそうな犬、という描写が可笑しい。村上朝日堂の本編と後書きにも、千倉のことが書いてあった気がする。 ・車が盗まれる話はいつも笑ってしまう。リカバリーレポートが忽然と消えてしまうくだりなど。
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村上春樹の本をこれまで何冊か読んできたけど、やっぱりどこがいいか分からない。 時代もあるかもしれないけど、この本読んでやっぱり好きになれないなあって思った。 猫のピーターの話は良かったけど、最後の対談で台無しになりました。
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日常の隙間時間を埋めるのに丁度いいエッセイ集。 基本的にはゆるっとしたエピソードが書かれているけれど、所々で阪神淡路大震災やアメリカで起きた痛ましいニュースに触れる記述があって、考えさせられることも。 フィリックスザキャットの時計、買おうかなあ。
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(Mixiより, 2011年) 春樹さんのエッセイ。かなり間の抜けた内容です。春樹さんの価値観ってもっとストイックで、自分と常に向かい合っているイメージだったけど、この本の中ではなんとなく奔放。小説の主人公に、常に孤独な男性を選ぶ理由も、ただ単に春樹さんのちょっぴり偏屈な性格のせ...
(Mixiより, 2011年) 春樹さんのエッセイ。かなり間の抜けた内容です。春樹さんの価値観ってもっとストイックで、自分と常に向かい合っているイメージだったけど、この本の中ではなんとなく奔放。小説の主人公に、常に孤独な男性を選ぶ理由も、ただ単に春樹さんのちょっぴり偏屈な性格のせいなのかな、とか 僕の中にある村上春樹幻想を、壊してくれる内容でした。自分の中では、春樹さんの「人間宣言」。
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しっかりした文章を持っている人のエッセイは面白いなぁ。 安西水丸の絵がたまらない。 とにかく 一に足腰、二に文体、です。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
これ、いいんですよねえ。めちゃんこサクッと読めると思います。もう、サックサク。一瞬で読み終えられちゃう、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、ある意味村上さんに失礼な言い方かもしれませんが、この本、なにしろめっちゃんこサクサク読めちゃいます。 で、それが、決して悪いことではない。本当に一瞬で読み流せちゃう気がするのですが、読んでいる最中は、もうね、すっごくこう、なんというか、素敵な気持ちになることができる、感じなんですよね。村上春樹さんのエッセイは、何故に、これほどまでに言葉が心地よいのだろうなあ。 ある意味、「この小説を読んで欲しい!」と、とある村上さんの小説を誰かに薦めるよりも、このエッセイを「こんな軽い感じ、どう?サクッと読めますよ。なんかこう、あんまグッと来なかったら、途中で読むの止めたらいいんだし」と、ごく軽く、ごくさりげなく(でも自信をもって)お勧めできる感じ。「僕はこれ、好きなんですよね。決して重すぎない感じだけど、本当に好き。あなたはどうなんだろうなあ。好きになってもらえたら、嬉しいんだけどなあ」って、ユル軽く薦める感じ。そんな素敵な、エッセイなのです。 このエッセイを書いている時期は、1994年春~1995年秋の頃。この時、村上さんは、マサチューセッツ州ケンブリッジに滞在されていたそうです。海外に住んでいる状況が経験がいかんなくエッセイに反映されている、訳では無いようでして、この時期に村上さんは、相当にコッテリと深く、長編小説の執筆に力を入れておられたようでして、その長編小説にめちゃんこ重点を置いて文章を書いておられたので、その時期のエッセイはバランスをとるように、かるーく気楽なものになった?という流れで、この著書が出来たようなのですが、、、 凄いよなあ。ある意味、大変に語弊のある言いかたですが、気晴らしに書いていた文章、ってことでしょう?これらは。その気晴らしの文章が、これほどまでに、素敵に誰かの心を(この場合は、僕の心を)とらえるなんて。おっとろしいよなあ。 収められた各エッセイの文章も文体も内容も凄く良いのですが、文庫内に、村上春樹さんの奥様が撮影された写真が、ちょこちょこと登場するんですが、その写真の解説に添えられた村上春樹さんの写真解説文章が、また、すっごく良いんですよ。めちゃんこ味のある文章だなあ、とかね、思います。絶対に、そんなに気負って書いていない筈の文章なのだろうに、それでも素敵。それって、村上春樹、という個人の、なんらかの魅力を、本当に引き出しているんではなかろうかな?とかね、僭越ながら、思っちゃうんですよね。 フル・マラソンに対する洞察が好きですね。何故にヒトはマラソンをするのか?という根源的な問いが素晴らしいです。 どれほどまでに自分は、中華料理が苦手なのか、ということを何とか説明したい、という文章も好きです。中国でピッツァを食べる、と言う行為の悲哀を訴える言葉が本当に好きですね。 車を盗まれたことに関しての、保険を巡る?あまりに七面倒くさい手続きの話も凄く好き(好きって言ったら失礼で申し訳ないのですが)ですね。とてつもなく無能?な、というか、とてつもなく無自覚に「悪い」人間の存在を、サラッと書いている気がするのも、ある意味怖い。あのような人間は、きっと、本当に存在するのだ。そのような存在と関わったならば、きっと「本当に消耗しきって」しまうのだろうなあ。となると、こっちから「関わらない」ことを選ぶしか、ないだろう?きっと、そうするしか、ないですよねえ、、、 「小確幸」という、とてもとても素敵な言葉がでてきます。この言葉が意味することは、人が日々生活を営む上で、本当に素晴らしく重要な概念ではなかろうか。と思う次第です。村上さんは、こういうことを教えてくれるから、しみじみと好きなんですよねえ、、、「小さいけれども、確かな幸せ」か。なんて素敵な言葉なんだろうなあ。
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