博物学の巨人 アンリ・ファーブル の商品レビュー
日本人の多くが子ども時代に学校で触れていて、おそらく知ってるヒトも多いだろうあの「昆虫記」のファーブルさん。私もフンコロガシの絵が印象的だったので、覚えていました。 本書は、そんなファーブルさんに様々な角度からライトを当て、日本との繋がりについても書かれている面白い本です。...
日本人の多くが子ども時代に学校で触れていて、おそらく知ってるヒトも多いだろうあの「昆虫記」のファーブルさん。私もフンコロガシの絵が印象的だったので、覚えていました。 本書は、そんなファーブルさんに様々な角度からライトを当て、日本との繋がりについても書かれている面白い本です。 著者の奥本さんは、「今の我々が、かつての博物学者らが持っていた生物の多様性、神秘性とその美に対する感受性を、少しでも取り戻せたら」という願いから執筆されたそうです。 まずは、博物学者ファーブルと日本とのつながりから。当時フランスの洋書を日本に広めたのは、あのアナーキスト大杉栄であったというエピソードに驚きました。獄中読んでいたそうです。 そして、奥本さんは中西悟堂の昆虫本を読むことから、ファーブル本の翻訳を志し、実際、集英社版で『ファーブル昆虫記』を完訳することになるのです・・・! そんな奥本さんはファーブルの生家に行ったりして取材もされている筋金入りの追っかけみたいなところがあります。 ファーブルの幼年期の学習法、青年期のどん底放浪時代、晩年期の集大成など、読みどころ満載です。 ファーブルの昆虫を観察する眼は相当確かなものだったそうで、その忍耐強さは論文発表後も疑いをもたれるくらいだったそうな。つまり常人では「こんなにじっくり観察できないだろ、想像で書いてんじゃないの?」みたいなところがあったそう。 でも、同時代のダーウィンとの違いからも分かるように、推測で埋めないところがファーブルのすごさだと奥本さんは、語っています。こう見たからこうだったんだ、後は分からない、推測は一切交えない。このスタンスだったらしいです。 そこから、これまた同時代の南方熊楠とファーブルの博物学的考察での類似を語る奥本さん。この辺りとても興味深く読ませてもらいました。 本書、見山博さんという昆虫画家の挿絵があるのですが、それもまた素敵です。 ぜひ手に取ってパラパラとしてもらえればなと思います。 ファーブルの伝記としても、昆虫や植物などの博物学の入門書としても、日仏比較文化論としても、一人のファーブル追っかけ記録としても、楽しく読めると思います。
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1999年刊。四半世紀を経て再読。やはり抜群におもしろい。臨場感あふれる描写。ファーブルがそこにいるかのよう。南フランスの乾いた熱気も感じられる。 今回気がついたのは、昆虫記の初期の邦訳がかなり詳しく紹介されている点。最初に訳を手掛けたのが大杉栄(第一巻出版後に甘粕正彦らによって...
1999年刊。四半世紀を経て再読。やはり抜群におもしろい。臨場感あふれる描写。ファーブルがそこにいるかのよう。南フランスの乾いた熱気も感じられる。 今回気がついたのは、昆虫記の初期の邦訳がかなり詳しく紹介されている点。最初に訳を手掛けたのが大杉栄(第一巻出版後に甘粕正彦らによって殺害されてしまうが)。その後、椎名其二、三好達治、獅子文六なども訳を手掛けた。三好の訳は、なんと仏文和訳ならぬ「和文和訳」(つまり、ほかの訳者の既訳本の手直し)だったという。 訳業には、平野レミの父、平野威馬雄も参加していた。その威馬雄の父は、アメリカ人のヘンリー・パイク・ブイ。ブイは、フランスで音楽を学んでいた時にファーブルと知り合い、南フランスの家を訪ねて一緒に演奏をして楽しんだこともあったという。威馬雄にとっては、奇縁と言うべきか。 奥本は、初めてアルマスを訪れた時のことも書いている。パリに留学中の1973年の夏、友人と車でフランスを南下。オランジュではたと気づく、そういえば、ファーブルの住処(研究所)が近くにあったはず。しかし住民に聞いてもだれも知らない。ようやく夕方に「J.H.ファーブルのアルマス」の表札を探し当てたが、折しもその日は休館日。数年後に仕切り直しと相成る。
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ファーブル昆虫記は幼少の頃に読んだ気がするが、記憶は定かではない。しかし、勿論ファーブルの名は知っている。ファーブルは昆虫をひたすら研究した人という認識でいたが、実際は数学や物理、化学、歴史などとても多才で博識の人物であった。 「あなた方は細胞や原形質に試薬をためしておられるが、...
ファーブル昆虫記は幼少の頃に読んだ気がするが、記憶は定かではない。しかし、勿論ファーブルの名は知っている。ファーブルは昆虫をひたすら研究した人という認識でいたが、実際は数学や物理、化学、歴史などとても多才で博識の人物であった。 「あなた方は細胞や原形質に試薬をためしておられるが、私は本能の、もっとも高度な現れ方を研究しています。あなた方は死を詮索しておられるが、私ら生を探っています」。ファーブルの言葉であるが、生物に対する向き合い方、自然に対する畏敬の念、教師でもあったことのあるファーブルの姿勢を現代の試験のためとなっている教育の場に活かして欲しいと感じる。
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ファーブル昆虫記を読み始め、ファーブル自身に興味を持ったので読んでみることに。 ファーブルに関する箇所ももちろん楽しめたが、日本におけるファーブル昆虫記の翻訳の歴史についての箇所が興味深かった。大杉栄が昆虫記にハマっていたことなどは意外だったが、わかるような気がした。ファーブルの...
ファーブル昆虫記を読み始め、ファーブル自身に興味を持ったので読んでみることに。 ファーブルに関する箇所ももちろん楽しめたが、日本におけるファーブル昆虫記の翻訳の歴史についての箇所が興味深かった。大杉栄が昆虫記にハマっていたことなどは意外だったが、わかるような気がした。ファーブルの学問の権威主義に反する自由な記述方法や、虫や自然への真摯な取り組み方は、確かに等身大で権威に反対していく大杉の生き方に通じるものがあったのだろう。
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『ファーブル昆虫記』の翻訳の歴史から、伝記的な生涯の 記述、そしてファーブルの今日的な意義など、ファーブルに関するまとまった知識が得られます。奥本氏が全訳を完成させたのは、出版界の事件だったように記憶しています。私は、虫や植物への愛着の度合いが低いため、そんなにファーブルの恩恵...
『ファーブル昆虫記』の翻訳の歴史から、伝記的な生涯の 記述、そしてファーブルの今日的な意義など、ファーブルに関するまとまった知識が得られます。奥本氏が全訳を完成させたのは、出版界の事件だったように記憶しています。私は、虫や植物への愛着の度合いが低いため、そんなにファーブルの恩恵を受けていないようです。日本において初期の訳者が大杉栄であって、その人物描写の面白さにとても興味を持てました。ファーブルは、十代初めから、家族離散という環境で、何とか一人で生きてその道を切り開きました。自分の望む道を、一歩一歩達成してゆく姿は、人生においても達人といえます。しかも、その仕事は天才そのものの偉大さです。著者のファーブルに対する愛情と尊敬が十分伝わってきました
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久しぶりに寝る時間を忘れて読んでしまった。とくに、おもしろい!というのでもないのだけれど、なぜか引きつけられるものがある。ファーブル昆虫記は我が家にも岩波文庫版が全10巻そろえられている。だけどそれらは本棚の飾りと化している。(だいたい岩波文庫は飾りのために買うことが多い。数えて...
久しぶりに寝る時間を忘れて読んでしまった。とくに、おもしろい!というのでもないのだけれど、なぜか引きつけられるものがある。ファーブル昆虫記は我が家にも岩波文庫版が全10巻そろえられている。だけどそれらは本棚の飾りと化している。(だいたい岩波文庫は飾りのために買うことが多い。数えてみておどろいた。約70冊ある岩波文庫で最後まで読んでいるのは中谷宇吉郎著「雪」1冊だ!)最初の1章は大正・昭和初期にファーブルがどのように日本に紹介されてきたかが語られている。日本ではファーブルという名前はほとんどの人が知っていると思うけど、フランスではあまり知られていないらしい。2章以降はファーブルの伝記だ。ファーブルがいかに当時の人々の中で特異な存在であったかがよく分かる。数学や物理も自学自習で身につけていったらしい。すごい勉強家だ。昆虫に対しては、他の人たちとは全く違う視点で研究をしている。目の付け所が違う。そして彼は憶測ではものを言わなかった。見たものをあるがままに伝えようとした。その点では、両者が認め合ってはいたものの進化論を唱えたダーウィンとは一線を画していたようだ。ファーブルは生活のためにということもあったが、優しい文章でたくさんの本をまとめあげている。本書を読むとぜひ昆虫記を全巻読んでみたくなる。でも、一向に手が向かない。なんでだろう。(訳が悪い!のかなあ?)
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(2014.11.11読了)(2001.01.08購入) 奥本訳の『ファーブル昆虫記ジュニア版』全八巻(集英社)を読み終わったので、ついでにこの本も読んでしまうことにしました。「ファーブル昆虫記 8」もファーブルの伝記だったので、ほとんど同じものかな、と思ったのですが、内容的には...
(2014.11.11読了)(2001.01.08購入) 奥本訳の『ファーブル昆虫記ジュニア版』全八巻(集英社)を読み終わったので、ついでにこの本も読んでしまうことにしました。「ファーブル昆虫記 8」もファーブルの伝記だったので、ほとんど同じものかな、と思ったのですが、内容的には重複する部分もありますが、まあ、別ものといっていいでしょう。 第1章は、日本での「昆虫記」の紹介の歴史といったところです。実にいろんな『昆虫記』が出ています。本家の、フランスでは、『昆虫記』もファーブルもあまり知られていないとか。昆虫に興味を持つ人自体が、非常に少ないとか。 第7章では、『昆虫記』のなかでもとくに重要な三つの話題、「スカラベのナシ玉、蜂の外科手術、蛾の超能力」について、紹介しています。詳しく知りたい方は、『昆虫記』をお読みください、というわけです。 大人がファーブルの伝記を読むとしたら、こちらのほうが、いいと思います。「ファーブル昆虫記 8」のほうは、『昆虫記』の記述をもとにまとめたものと思いますが、この本のほうは、奥本さんの独自色というか、思い入れが詰まっていそうです。 【目次】 まえがき 序章 『昆虫記』と私 -クリスマスの贈り物 第1章 無政府主義者とファーブル -最初の訳者大杉栄、獄中で夢見た虫の世界 第2章 せせらぎの音、小鳥の声とa、b、c… -サン=レオンの幼年時代 第3章 放浪時代 -詩と学問にあこがれるレモン売りの少年 第4章 コルシカの海と山 -博物学へのめざめ 第5章 アヴィニョンの教師時代 -レザングルの丘とヴァントゥーの峰 第6章 『昆虫記』の出版 -1879年、五十五歳からの出発 第7章 『昆虫記』の面白さと意義 -スカラベのナシ玉、蜂の外科手術、蛾の超能力 第8章 アルマスの賢者 -虫と花々に囲まれて あとがき [補遺]『昆虫記』およびその他の著書の訳者たち ●ファーブルの研究テーマ(187頁) ファーブルは昆虫のみならずムカデ、クモや、カタツムリなどの貝類、植物、菌類(茸)など、手に入る限りの生物を研究した。 ●百科全書的(187頁) ファーブルは、生物の他に考古学、民俗学、天文学、物理学、化学、数学などにも手を出し、南仏文芸復興運動のメンバーとしてプロヴァンス語で詩を書き、作曲までした。彼の書いた教科書、啓蒙書は百冊に近く、まさに生きた百科全書のような人間であった。 ●理論や法則(189頁) ファーブルは自分の目で見たことしか信用せず、理論をつくりあげることを極端に嫌っていた。理論や法則を作って手柄をたてようとする人間は、その理論に都合のいい事実ばかりを自然の中に探し、都合の悪い事実を無視しようとする。 ●生きた昆虫(202頁) ファーブルの登場によって、生きた昆虫の研究が本格的に始まることになるのである。 ●代表的な研究(202頁) 『昆虫記』の中から、代表的な研究をいくつか挙げるとすれば、狩り蜂とスカラベの生態の研究、後にフェロモンと呼ばれることになる蛾の不思議な伝達物質の研究、それからツチハンミョウの過変態の研究ということになるであろうか。 ☆関連図書(既読) 「ファーブル昆虫記 1」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.03.20 「ファーブル昆虫記 2」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.05.15 「ファーブル昆虫記 3」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.06.10 「ファーブル昆虫記 4」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.07.10 「ファーブル昆虫記 5」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.08.10 「ファーブル昆虫記 6」ファーブル著・奥本大三郎著、集英社、1991.09.10 「ファーブル昆虫記 7」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.10.09 「ファーブル昆虫記 8」ファーブル著・奥本大三郎訳、集英社、1991.11.12 「ファーブル『昆虫記』」奥本大三郎著、NHK出版、2014.07.01 (2014年11月12日・記) (「BOOK」データベースより)amazon 「昆虫の詩人」―ファーブルは従来、最大の敬意をこめてこう呼ばれてきた。しかし、彼は繊細な詩人である以上に、百科全書的な博物学の巨人なのである。さらに“死んだ”標本の研究から“生きた”昆虫を研究することへと方向を転換し、自分の目で見て確かめたことだけを書いたファーブルの自然理解こそは、自然を単純化し、遺伝子をもてあそぶかのような今日の生物学の対極にあるものである。スカラベの生態など代表的研究を紹介しつつ、その91年におよぶ人生をたどる。第一人者による新たなファーブル像に迫る本格評伝。
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著者は「昆虫記」の訳者の一人。第1章に「昆虫記」のこれまでの翻訳の歴史や翻訳の苦労話が紹介されているのが、伝記の本では変わっていておもしろい。 ファーブルは学士号をとった後、数学で身を立てようと独学で勉強を続けていた。ともすると植物や動物の研究に夢中になりそうになる自分を励まし...
著者は「昆虫記」の訳者の一人。第1章に「昆虫記」のこれまでの翻訳の歴史や翻訳の苦労話が紹介されているのが、伝記の本では変わっていておもしろい。 ファーブルは学士号をとった後、数学で身を立てようと独学で勉強を続けていた。ともすると植物や動物の研究に夢中になりそうになる自分を励まして、数学の勉強のために机にかじりついていた。そんなファーブルの運命を変えたのは、植物学者のルキアンと博物学全体に広い知識を持ったモカン=タンドンとの出会いだった。 17年間務めた高校教師を辞めた後、「インクの壺の中から」生活の糧を引出すために、次々と教科書や科学啓蒙書を書いた。数学、物理、化学、生物のほか、歴史、地理、家事についてまで本を書いている。52歳の時に、アヴィニョンの農事試験場所長に就任したが、雑用に気に染まず、翌年には辞任し、自由を選んだ。 55歳の時に「昆虫記」第一巻を刊行。その後、自らアルマスと名付けた「エデンの園」に移り、平穏な環境の中で昆虫の研究に没頭した。ほぼ3年に1冊のペースで昆虫記を書き、83歳の時に第十巻を完成した。 ファーブルは、昆虫だけでなく、ムカデやクモ、貝類、植物、菌類など、手に入る限りの生物を研究した。しかも、考古学、民俗学、天文学、物理学、化学、数学にも手を出し、詩を書き、作曲までした。書いた教科書、科学啓蒙書は百冊に近い。
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