ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論 の商品レビュー
現代ドイツを代表する現代美術家、ゲルハルト・リヒターのインタビュー及び自筆ノートをまとめた1冊。 多岐に渡る作風を持つ作家であるものの、やはりリヒターといえばフォト・ペインティングと呼ばれる写真を絵画として描くその作風にある。非常にぼやけた筆使いによって、写真とも絵画ともつかな...
現代ドイツを代表する現代美術家、ゲルハルト・リヒターのインタビュー及び自筆ノートをまとめた1冊。 多岐に渡る作風を持つ作家であるものの、やはりリヒターといえばフォト・ペインティングと呼ばれる写真を絵画として描くその作風にある。非常にぼやけた筆使いによって、写真とも絵画ともつかない不思議な雰囲気を漂わせる点が魅力であるが、私自身が初めてリヒターを初めて知った作品は「1977年10月18日」であった。ドイツ赤軍派の若者3人が獄中自殺した日をタイトルとして、その死の模様を描いたアブストラクトな作品は、新左翼というムーブメントの悲惨さの極致を示すものとして、強く印象に残ったものであった。 さて、本作ではそうしたフォト・ペインティングにたどり着いた経緯、現代美術がインスタレーションや映像などの多様な手法に細分化していく中でも絵画という手法にこだわり続ける理由、そして「1977年10月18日」に関する自らのコメントなど、リヒターを知る上では貴重な肉声が多数。 ちょうど今、メトロポリタン美術館ではリヒターの回顧展をやっていて、コロナで閉館となったことから、オンラインツアーをやっているらしく、ぜひ見てみようと思っているところ。
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「悪というものの平凡さ」 作品を見た人が、自問する。 ポップアートとは距離を置く。 細部を拭き取る。 ウォホールはシルクスクリーンと写真で。 自分は機械的な拭き取りで。 Ema(階段のヌード) デュシャン「階段を降りるヌード」と正反対の「因習的ヌード」を描いた。 絵画を通して、 もっとも異質なものを、矛盾に満ちたものどうしを、 できる限り自由で活発に生きられるように結び付けようとしている。
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リヒターへのインタビュー集。 絵画と写真の関係について、リヒターがどう考えているかその一端が垣間見える。
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本書はドイツ語の原著『Gerhart Richter Texte: Schriften und Interviews』(1993年)の抜粋訳として1996年に出版されたものに2000年以降のインタビューを加え,そのなかで言及されているリヒター作品の図版を掲載したもの。Amazon...
本書はドイツ語の原著『Gerhart Richter Texte: Schriften und Interviews』(1993年)の抜粋訳として1996年に出版されたものに2000年以降のインタビューを加え,そのなかで言及されているリヒター作品の図版を掲載したもの。Amazonで原著を調べたら,2009年に最新版が600ページにもわたる英語版として出版されているらしい。ドイツ語ができない私にはありがたいことだが,価格が3000円台で手に入るにしても,個人で所有するようなものか悩む。 しかし,図版も含めて279ページの日本語版がどれだけの抜粋なのかはちょっと想像がつく。研究上で彼の言葉を利用するのであれば,全文を入手するのは必死かもしれない。しかし,このリヒターという芸術家は多くの言葉を残している。これまで,リヒター関係の文章を読み続けているが,作品の真の意味を引き出すのに,彼自身の言葉を利用している人が多いことが分かる。彼自身は,言葉にできないものを視覚芸術にしている,というようなことを言っているのにだ。 いくら,芸術作品の解釈は観る者の自由であって,作者の意図が真なる作品の意味とは限らないといってみたところで,やはり作者の考えとは全く異なる解釈をしてしまわないかという不安から,作者の言葉は読んでしまう。 さて,前置きが長いが,本書は原著のタイトルにあるように,インタビュー集とノート集である。インタビューはともかくとして,記した年を記録したノートが1962年から存在するというのもこの芸術家の特徴といえようか。世界的な名声を得る芸術家だからこそ,哲学者でもあるわけだが,やはり彼の言葉は強い。これらを絶対視しないように作品に立ち向かうことが必要だ。
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うーん、言ってることが全然わからない。 まぁ、自分の予備知識が余りに足りないと言うのが一つあるけど、 話が抽象的すぎて何を意味してるのか分からないっていうのが多いのと、 「写真は絵画以上に悲しみを表す」とかいうこの人の言うこと自体なんか懐疑的になってしまうってい...
うーん、言ってることが全然わからない。 まぁ、自分の予備知識が余りに足りないと言うのが一つあるけど、 話が抽象的すぎて何を意味してるのか分からないっていうのが多いのと、 「写真は絵画以上に悲しみを表す」とかいうこの人の言うこと自体なんか懐疑的になってしまうっていうのと、 なんだか闇雲にインタビュアーに反論している感がある っていうので全然分からない。 カラーの花柄の服の女の子の絵はキレイだと思った。 でも写真でいいと思った。 他のスタイルを変えて描く絵もオブジェも、 私には現代アーティストの一人に見えた。 この人が「無駄なゴミ」という人たちの作品と何が違うのか分からなかった。 強いて言うなら「世界的に評価されてるゴミ」「付加価値のついたゴミ」 だから、「自分は認められているのだ」という前提で物事を語るこの人の「作品のすごさ」なんて伝わってこなかった。 そう思う私は、何様なんだよ、っつう話なんですけど、 読んでいてイライラした。なんか、腹がたった。 わたしは、ジグマー・ポルケの作品はとても好き。 でも、トンブリがすごいっていうこの人はわからない。 ロラン・バルトもトンブリについての考察をしているけど、 私にはわからない。 「意図してなったものとそうでないものの違い。」 難解な思考回路をめぐって「これはすごい」というのは、 絵を見ていないでしょう。直感で思うものじゃないでしょう。 わたしはきっとそれがイヤだったんだと思った。 でも、今はそんな気持ちなだけで、 読み返している今、この人にもう少し歩み寄ったら、 好きになれるかもしれない。 ガラスの作品とかは、見ていてスマートで、何も湧きあがらないと言う点で秀逸だとは思った。
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絵画の形式をひとつひとつ解体して、絵画を終わらせようとしているなどの解釈がされるリヒターが、実際はそういう人でないとわかる本。 彼の絵を見て感じる個人的な印象は「なにかの能力が欠落している」。 ひとことで言ってしまえば感情ない絵に見える。
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現代芸術論を模索し、購入しました。 主にインタビューばかりですがそこから読み取れるリヒターの考えは多いです。
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