麦ふみクーツェ の商品レビュー
漢字の開き(ひらがな)が多いので 読み切るのに少し時間がかかりました。 前半にあるのは穏やかで停滞した世界。 後半に訪れるのは残酷で優しい世界。 後半に物語がどんどん加速するので、 途中で断念してしまった人も、 ゆっくり休み休みで良いので 読み進めて欲しいなぁと思う作品でした...
漢字の開き(ひらがな)が多いので 読み切るのに少し時間がかかりました。 前半にあるのは穏やかで停滞した世界。 後半に訪れるのは残酷で優しい世界。 後半に物語がどんどん加速するので、 途中で断念してしまった人も、 ゆっくり休み休みで良いので 読み進めて欲しいなぁと思う作品でした。 終盤に主人公のバックグラウンドが 靄が晴れるように一気に明らかになっていき、 それはそれなりに鬱蒼になる内容だけれども、 根底には思いやる気持ちが流れているので深く沈み込むことなく、 読後には柔らかな余韻に包まれます。 所々散らばる一見意味不明なパーツたちが組み合わせっていく様も読みどころです。 人生には救いのないことがままありますが、 この作品に悲劇は数あれど、本当の悪は描かれていません。 それが現実との境界線であり、いびつで愛おしい童話たる秘訣なのかもしれません。
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変わった男の子が、変わった町に住んでいて、子供の頃に幻覚?みたいな麦をふむクーツェにであるんだけど、それは本筋じゃなくて、 その男の子がいろんな人にであって、変わった人ともであって成長していく話
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今思うと笑っちゃうけど、幼稚園児の頃だと思うけど、よく押し入れに閉じこもった。真っ暗な中で何してたんだろ?よく思い出せないけど、何だか想像上の自分の世界を作って、そのなかで、誰かに話かけたりしていたような、ぼんやりとした記憶がある。親でもない、兄弟でもない、現実の友だちでもない“...
今思うと笑っちゃうけど、幼稚園児の頃だと思うけど、よく押し入れに閉じこもった。真っ暗な中で何してたんだろ?よく思い出せないけど、何だか想像上の自分の世界を作って、そのなかで、誰かに話かけたりしていたような、ぼんやりとした記憶がある。親でもない、兄弟でもない、現実の友だちでもない“その誰か”と、心のなかで話続けていたような・・・ この物語の主人公の「ぼく」は、その生まれもった体格などから、小学校で同級生や先生から何となく「へんてこなもの」として遠ざけられる。それは、最初の方は、ほとんど独り言だけってことからもわかる。 そんなとき、ぼくは屋根裏で「へんてこなひと」に出会えるようになる。とん、たたん、とん、という足ふみの音とともに屋根裏に現れる“クーツェ”にぼくは、いろいろと話かけるようになる。でもクーツェの答えは謎かけのようなものばかりで、ぼくもわかったような、わからないような、という毎日を過ごす。 そうするうちに、主人公を取り巻く、おじいちゃんや父さんや、町のたくさんの大人たちのいろんな“事件”に巻き込まれていき、おじさんや先生や女の子という、他人からは見たら「へんてこ」と見えるかもしれない人たちに出会い、彼らに対して自分を不器用ながら、自分の言葉で伝えようとすることで、「へんてこ」は実は「へんてこ」じゃなく、ある意味輝きをもったものだってことが少しずつわかり始め、それが彼らやまわりの多くの人の共感となって広がり、ぼくは、すごい「仕事」をなしとげることができるまでになる。 最後に、ぼくは、おじいちゃんが生まれた土地を訪れる。ぼくはもう、自分の体格や生い立ちで卑屈になったり自分の殻に閉じこもったりはしない。自分のルーツを確かめるかのように、ぼくはクーツェがしていたように、自分で足をあげて大地を踏みしめる。その時、ぼくはクーツェに会いに行く必要はなくなっていた。 (2010/2/28)
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表紙とタイトルに惹かれて読んでみましたが、最初でくじけ ました・・・意味がよく分からなかったです。 いしいさんの本は「プラネタリウムのふたご」もそうでしたが正直私の頭では理解できないです。 高評価ですが、ごめんなさい。 表紙だけの評価として★3つで。
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思ったよりスケールの大きな物語。 人の死や「やみねずみ」、悪意、硬直化した心など、目を背けたいものもしっかり描かれている。 「ねこ」と呼ばれる大柄な少年と、数学者の父、自称ティンパニ奏者の祖父。 物語の後半はねこがそんな家族のもとを離れ、成長していく。 そこから物語のテンポがよ...
思ったよりスケールの大きな物語。 人の死や「やみねずみ」、悪意、硬直化した心など、目を背けたいものもしっかり描かれている。 「ねこ」と呼ばれる大柄な少年と、数学者の父、自称ティンパニ奏者の祖父。 物語の後半はねこがそんな家族のもとを離れ、成長していく。 そこから物語のテンポがよくなってきて、だんだん読むのが楽しくなっていった。 そこで「クーツェ」が何者かがもわかる。 この本は十年位前、当時十代だった知人に教えてもらった本だ。 私もその頃読んでいたら、もっと多くのものを感じとれたかな…。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
読むのに時間がかかった一作。 前半があまりに暗くて辛い。 その分後半があったかくて幸せ へんてこはあつまらなくちゃ生きていけない へんてこさに誇りを持つためにわざを磨かなくてはならない この言葉で星が2つ増えた
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完全な空想の世界。 とてもあったかい想像に支えられた、不思議な世界の話です。 色々な事に傷つきながら、色々な人に出会いちょっとずつ成長していく主人公が素敵です。 何があっても自分なりの一定のリズムでまえに歩いていく、そんな生き方をしたいです。
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素敵な素敵な童話 いいこと わるいこと みんなおなじさ 大きい小さいは距離の問題 へんてこはじぶんのわざをみがかなきゃならない
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小学三年生の夏、ぼくは、海辺の町に住んでいました。 自転車や物干しの金具はあっという間にさびつくし、お世辞にも綺麗な海じゃなかったから、 潮風のにおいは清々しいものとはあんまり言えなかったかもしれない。 だけど、テトラポッドに登って、遠くの方を眺めていたり、 どこかから流れ着い...
小学三年生の夏、ぼくは、海辺の町に住んでいました。 自転車や物干しの金具はあっという間にさびつくし、お世辞にも綺麗な海じゃなかったから、 潮風のにおいは清々しいものとはあんまり言えなかったかもしれない。 だけど、テトラポッドに登って、遠くの方を眺めていたり、 どこかから流れ着いた得体のしれないごみなんかがテトラポッドに 挟まっているのを観ると、空想が広がって、世界はとても広いものだ、と思ったりしていました。 その夏は、毎日、図書館に通いつめて、司書の人に顔を覚えられるくらいに 本を借り続けて物語の世界に浸っていました。 本そのものとはあまり関係はないのだけれど、 麦ふみクーツェを読むと、ぼくはそんな頃を思い出します。 良質な物語は、その人の心の面積をほんの少し拡張してくれる気がします。 主人公はねこと呼ばれる少年で、彼は誰よりもうまく猫の鳴き声を真似することができた。 彼はものすごく大きな体を持っていて、母親が亡くなってしまったのも、 大きな体の自分を産んだからだと思っています。 彼はある日、自分にだけ聞こえる麦ふみの音を聞くことになります。 とん、たたん、とんというリズムは物語を通して響き続けることにもなる。 お父さんは数学の美しさにに魅せられた変わり者、 おじいさんは吹奏楽の王様として、ティンパニを操りながら、 港の倉庫で街の人たちの吹奏楽団の指導役をしている。 この作品にはへんてこなひとたちばかりが登場します。 お父さんは数字に取りつかれ、おじいさんは音楽に取りつかれている人たちだし、 目の見えない元プロボクサー、玉虫色スーツのセールスマンや、 色盲なのに、みどり色と名付けられた女の子などなど。 へんてこな人たちは、そのへんてこさ故に、目立ってしまう。 でも、へんてこさを持った人たちは、そのへんてこさを磨いていくしかないのです。 それが、へんてこであるということに誇りを持てるたった一つのことだから。
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