移民たち の商品レビュー
「私」がかつて出会い、不意に記憶のなかから浮かび上がってくる人たちの奇妙な人生。写真と新聞記事の切り抜き、手記などの断片が巧みに嵌め込まれ、真実と思えないほど不思議な話が作り事と思えないほど生々しく語られていく。 7歳のときにリトアニアから家族でニューヨークに移住するつもりが...
「私」がかつて出会い、不意に記憶のなかから浮かび上がってくる人たちの奇妙な人生。写真と新聞記事の切り抜き、手記などの断片が巧みに嵌め込まれ、真実と思えないほど不思議な話が作り事と思えないほど生々しく語られていく。 7歳のときにリトアニアから家族でニューヨークに移住するつもりがロンドンで船から降ろされ、それから名前も英国風に改めて妻にも出自を伏せていた元開業医のドクター・セルウィン。両親が百貨店を営む地元の町に馴染めず、恋した女性を強制収容所で亡くすという悲しみを抱えながら教師という天職に就いたものの、74歳になって自死を選んだパウル。ドイツからアメリカに移住しホテルのボーイから富豪の息子の付き人になったが、主人が精神病院で亡くなってからは少しずつ狂っていき、ついにショック療法の被験体となって記憶を失うことを自ら望んだアンブロース。子ども時代に両親をナチに殺され、自分だけがイギリスに渡り生き延びたという過去をずっと胸に秘めていた画家のアウラッハ。「私」が見聞する四人の物語の裏には、ユダヤ人の歴史が陰画のように貼り付いている。 まるで来歴不明のアルバムやスクラップ帳があって、それを何年も眺めながら被写体の人生を妄想して書いたかのようだ。写真を使って本当らしく見せる手法について、作中でアウラッハの叔父が「新聞に載った記念写真は偽造なんだ。この記録が偽造だということは(略)おなじようにほかのものも偽造なんだよ、なにもかもはじめから」と語る場面がある。これはナチの焚書についての話なのだが、本作の構造に自己言及したセリフでもあると思う。たとえば、アンブロース叔父さんの章に日本人なら必ず知っている建造物の写真がでてくるのだが、その説明がとんでもないことになっていて笑ってしまった。国を追われた人びとの悲劇を描いた小説とだけ思っていたら足元を掬われるような虚構のうねりが、濁流のように物語を進行させていく。 本書を読みながら感動したのはまさにそういう歴史の被害者として一絡げにされる人たちの細部に対する、偏執的とも思えるほどの凝視だ。集合写真を見ていたはずがそのうちの一人のアップになって、古いはずの写真がその人の身につけている指輪やなんかまでくっきりと見えてくるような感覚を、文字を通して体験させられる。アウラッハの母、ルイーザが遺した手記のパートでは彼女が幼少期を過ごした村での幸福な記憶がいきいきと語られる。戦争がなければ書き残すこともなかったようなこまごました事柄が、本当の意味で人の生きた証になるのだ。 ゼーバルトを読むのは初めて。こんなにも好みにぴったり合って、こんなにも豊かなものを書く作家に出会えて嬉しい。主題をこれと一つに定められるような作品ではないので、いくつも気になったことがある。まずはやはり〈蝶男〉というモチーフ。セルウィンの章の網を持ったナボコフの写真、パウルとマダム・ランダウが知り合うきっかけが「ナボコフの自伝」なのも蝶男の変奏であり、移民というテーマにもかかっているのだろう。また、同性愛のほのめかしも繰り返される。セルウィンからネーゲリへの(妻への思いと比べられるほど)強い憧憬、アンブロースとコシモの閉じた関係、ウィトゲンシュタインへの度重なる言及。 それから帯には「四人の男たちの生と死」とあるが、彼らの人生の語り部はマダム・ランダウだったりフィーニ叔母さんだったりして、文章から女性の声が聞こえてくる小説だということ。アウラッハの章では後半のほとんどをルイーザの手記が占め、エピローグで「私」が今度はゲットーで働いていた若い女性たちの写真を凝視しながら〈造りだした記憶〉の世界に再び入り込んでいく最後の一文で、これは著者の意図する読み方だと確信が持てた。本作は語る女性たちの小説でもあり、語られなかった女性たちにも思いを馳せる人の手になる物語なのだと。 解説は堀江敏幸。だからというわけじゃないが、本書のはじめのほうは堀江さんにそっくりだなと思いながら読んでいた。かと思えば、ドクター・エイブラムスキーが語る恐怖のショック療法とアンブロースの最後の姿は、アンナ・カヴァンのように冷たい幻想性を帯びる。「私」がアンブロースとコシモの食事を眺める夢や、アウラッハが母の昔の恋人に出会う夢のシーンにも、白黒映画のようにしんと底冷えした陶酔感があり美しい。 彼らは初めから失われるために生みだされ、再び消えていった"キャラクター"なのだが、それにしては本作を読み終えたあと、空の手のなかに質量のある実在感が残りすぎる。はたしてそれは初めから何もなかったのと同じなのだろうか。
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ゼーバルトは実に愚直な作家だな、と思う。器用に虚実を混交させて書いているようで、実は彼自身の実存を賭けてこうした「偽史」に取り組んでいるのだ、と思ったのだ。故に彼の書くユダヤ人迫害の歴史も少年時代の甘美な記憶も、現実を超えてより生々しく感じられる。書き続ける内に文章が単なる事実の...
ゼーバルトは実に愚直な作家だな、と思う。器用に虚実を混交させて書いているようで、実は彼自身の実存を賭けてこうした「偽史」に取り組んでいるのだ、と思ったのだ。故に彼の書くユダヤ人迫害の歴史も少年時代の甘美な記憶も、現実を超えてより生々しく感じられる。書き続ける内に文章が単なる事実の記述を超えて生々しい細部の描写や肥大化する記憶へと至るあたり、一般的にはむしろ「蛇足」と言われそうなところがゼーバルトの場合は美味しい贅肉/果肉として結実しているように感じられる。読みやすい作家ではない。晦渋だが、確かな力を感じる
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ユダヤ人の移民の物語。4篇。一筋縄ではない。 ①元医師の物語。山岳ガイドの凍死体が72年を経て見つかる。 ②教師の話。鉄道が死のメタファー。ある意味わかりやすい。 ③大富豪の執事の話。精神病院への足取りが壮絶。 ④マンチェスターの芸術家とその母の手紙。最後も痛めつけられる。
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どこからか生まれた土地を離れてきた人々の物語は、良い思い出も苦い記憶もすべてはモノクロの世界となる。 私たちはそういう過去をふとしたとき思い起こします。 そう例えば、古い一枚の写真を見たときとか。
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どれも移民……ユダヤ人の話でどんなに時間がたっても絶対に記憶から喪われることはない出来事は知らないふりをしたらダメだし、恥ずかしいことなのでは?と強く思う。2話目のパウル・ベライターの話はたぶんずっと忘れない。ワタシも忘れないよと伝わればいいなと思う。
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ドイツ系移民にまつわる四編。 とある新聞記事、写真、手稿などを発端に、その人物の生涯を辿るという趣向。彼らは歴史的偉人でもなく、作者の親族でもない様子である。一様に冷めた描写が重ねられてゆく過程で、いまは亡き移民達がまさに生きた時代と土地が、ありありと現前する。その手前が鮮やか...
ドイツ系移民にまつわる四編。 とある新聞記事、写真、手稿などを発端に、その人物の生涯を辿るという趣向。彼らは歴史的偉人でもなく、作者の親族でもない様子である。一様に冷めた描写が重ねられてゆく過程で、いまは亡き移民達がまさに生きた時代と土地が、ありありと現前する。その手前が鮮やか。 作者の遺作長編「アウステルリッツ」がそうであったように、作中にモノクロの写真が多数配置されている。この写真は必ずしも小説の展開とつながりがあるわけではなく、不穏で気がかりな心理を増幅させる装置。非常に印象的で、写真を眺めるだけでも、何事かが心の奥でうごめく様な気がしてくる。 その時代の無名な個人ひとりの生涯を、残された記録や聞き取りを手がかりにして、ピンポイントで光を当てることにより、人ひとりの周辺だけでない多くのものが現前する。決して新しい方法ではないが、ゼーバルトはこの方法において巧みである。
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生涯にわずか4作しか残さなかったゼーバルトの2作目。 はじめから文体が確立されていたことに驚かされる。 想像の助けになるようで、ならない写真も・・・ この世から消え去りたいという諦念、絶望もなぜか心地よい。 --- 「彼らはこうやって還ってくるのだ、死者たちは。」
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静かで印象的だった。移民たちにとっての故郷(故国)とは記憶なのだろう。記憶をたどり、記述することで、その人々が確かに存在したという事実をとどめようとする強い意志を感じる作品でもある。蝶男がたびたび出てくるあたり、移民であったナボコフへのオマージュでもあるのだろう。/ 写真が添えら...
静かで印象的だった。移民たちにとっての故郷(故国)とは記憶なのだろう。記憶をたどり、記述することで、その人々が確かに存在したという事実をとどめようとする強い意志を感じる作品でもある。蝶男がたびたび出てくるあたり、移民であったナボコフへのオマージュでもあるのだろう。/ 写真が添えられてというより、写真が先にあって、物語がつむがれたような気がする。/ 「どのように語ろうが、私は対象に公正ではありえないのではないか」という問いは重い。
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古い日記やメモ、写真から浮かび上がる、異郷で生を終えた四つの人生。 ページに添えられた数々の写真は、物語に真実味を加えるというよりは、さらなる謎を誘う。物の名前を執拗にあげていく文章も、かえって言葉を尽くしてもすくいきれないものを示唆しているかのよう。
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幸せを求めて、僕は山形から東京へ上京した。けれど、僕は薄々気が付いていた。ここは僕の土地ではない、と。 僕らが絶えず動き続けているのは、きっと僕ら自身に組み込まれた欠如のためだろうと思う。 欠如を埋めようとして、日々の生活を営んでいる。足りないもの。抜け落ちた何かを求めて。 ...
幸せを求めて、僕は山形から東京へ上京した。けれど、僕は薄々気が付いていた。ここは僕の土地ではない、と。 僕らが絶えず動き続けているのは、きっと僕ら自身に組み込まれた欠如のためだろうと思う。 欠如を埋めようとして、日々の生活を営んでいる。足りないもの。抜け落ちた何かを求めて。 4つの短いストーリーは、欠如を埋めることが出来なかった人々の話だ。誰もがそれを知っているにもかかわらず、どこかでそれから遠く離れていく。すっぽりと空いた心に埋まるものは、故郷の土だった。 強烈なのは、精神病院で電気ショックを受け続けた老人の話だった。彼はロボットだったのかもしれない。足りないものを呼び起こすために、彼は苦痛を求めていた。衰退へと。 僕は故郷を見据えてもいまだ東京にいる。人工的な香。どぶの匂い。過剰な有機物。僕は彷徨っているのだろうか。足りないものが遠く離れていく。強烈な電気ショックのように、度々刺激を求めようとする。ギャンブル、酒。僕らは衰退を免れない。生れ落ちたその場所へ再び戻るまで。
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