「脳」整理法 の商品レビュー
「脳」整理法、というタイトルを見て、その意味すあるところは知識をどう整理して記憶するか、について書かれた本? と思い、実をいうとときめいた。だって、脳の研究者が書いた本なら、すごいことが書いてありそう。でも、こちらのハウツー本的興味は、軽く裏切られて、科学的普遍的知識をさす「世界...
「脳」整理法、というタイトルを見て、その意味すあるところは知識をどう整理して記憶するか、について書かれた本? と思い、実をいうとときめいた。だって、脳の研究者が書いた本なら、すごいことが書いてありそう。でも、こちらのハウツー本的興味は、軽く裏切られて、科学的普遍的知識をさす「世界知」と、人が生活していく上で日常的な偶有性を帯びた出来事にいかに対応していくかという「生活知」がどのような関係にあってその人らしさをかたちつくるのか、というテーマのもとに、どうその人らしい脳ができあがるのだろうか、と、話題はうつっていきます。意識的な整理法とは違って、自然に脳のなかでできあがる対応能力を脳の能力と考える。無意識のうちに脳は、その整理をしていく。筆者は、そこで、世界知につらなるITのような世界の切り取りかたに、日本人の割りきりかたにつらなるある種のそぐわなさを思う。難しい専門用語はあまりでてきません。ただ、この本では、自然にしばられて必然的にこうなった、のではなく、もう少し変化に富んで、変えられるものと捉えられている。これからも。2005年9月10日第一刷。
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少し高尚な自己啓発書。 『あわい』を生きる。 物理的な世界と人間生活における世界。 人間の一人称的な生き方。 他者が全く予測不能ではなく、偶有的存在であるからこそ、互いに惹かれ合うという主張。 感情的な存在。 日常生活での思わぬ出会い。セレンディピティ。 世界知と生活知。 自分というかけがえのない存在と結びついた生活知。 偶有性に満ちた人生。
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一見「整理」ということについて書かれた本かと思われるが、そうではなく、私たちが人生を生き抜くためのヒントのようなことが書かれているように思える。「世界知」と「生活知」の話から始まり、偶有性、セレンディピティとその分野は多岐に渡る。その中でも一本筋が通っているものとして不確実性の大...
一見「整理」ということについて書かれた本かと思われるが、そうではなく、私たちが人生を生き抜くためのヒントのようなことが書かれているように思える。「世界知」と「生活知」の話から始まり、偶有性、セレンディピティとその分野は多岐に渡る。その中でも一本筋が通っているものとして不確実性の大切さが訴えられている。「科学離れ日本」を憂う作者が脳科学というパースペクテヴから書いた作品であった。
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学びは以下。 • 今、マーケットにおいて最も高く評価されるのは、他人とコミュニケーションをとったり、新しいものを創造したりする能力です。コミュニケーションも創造性も、今のところコンピューターでは実現できない能力なのです。 • 「行動」「気付き」「受容」が、「偶然を必然にする」...
学びは以下。 • 今、マーケットにおいて最も高く評価されるのは、他人とコミュニケーションをとったり、新しいものを創造したりする能力です。コミュニケーションも創造性も、今のところコンピューターでは実現できない能力なのです。 • 「行動」「気付き」「受容」が、「偶然を必然にする」セレンディピティを高めるために必要なのです。 • 人間の脳の創造性は、「aha!」体験と呼ばれる短い時間の中におこる出来事によって支えられています。こういった瞬時の創造的体験は、脳が環境との相互作用の中で偶有的関係性を整理していく、ゆっくりとしたプロセスの末に起こるものと考えられます。 • 科学的世界観とは、理想的にはあたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ることによって成り立っています。そのことを、科学者たちは、「デタッチメント」をもって対象を観察する、と表現します。 • Detachmentをもって世界を眺めるということは、1つの生活知でもあります。「何が何でも私が」というむき出しの自己主張をお互いにぶつけ合うのでは、上手く生きることはできないのです。ディタッチメントを生活の中にほんの少し処方するだけで、静かで美しいライフスタイルを見出すことも可能であることを、私はケンブリッジの科学者たちを見ていて学びました。 • 「神の視点」は、ミラーシステム、つまり「私」の心と「他者」の心に対する「気づき」が、発達の過程で鏡に映したように同時に出現してくるプロセスで重要な意味を持ってきた「他者の視点」、及び、それがミラーシステムを通して変換された「自己の視点」からのアナロジーによって成立している、というのが、脳科学、認知科学の現時点での知見に基づく仮説です。 • 自我の形成過程で、他者と相互作用をしながら、「私」も「他者」もその中に含む、「公共的」な概念が作りだされていくのです。 • 社会、国、ネットワーク、さらには世界、宇宙、といった公共的概念は、それが大きなものであればあるほど、偶有的存在から離れて、確固とした全てのものを包み込むような存在に変わっていきます。 • 大きな公共概念が私たちの認識の中で偶有性を帯び、柔軟かつダイナミックに存在し続けることが、それらに対して私たちが真摯な関心を持ち続けるために、そしてまた、私たちの人生が阻害されないために、とても大切な用件となっています。 • 様々な人工物や情報が増加したため、自分の人生の中で行きかうそれらのものから受ける体験について、整理し、その偶有的な関係から様々なことを学ぶ必要に迫られています。 • 感情というものが自律的なものであることに着目すると、「根拠のない自信」をもつことが、偶有的な世界と渡り合うために、案外大切であることがわかります。
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この本のキーワードは、「遇有性」。本来の意味が分からない人はぜひ辞書で調べてください。茂木氏のこの言葉は一般的な意味とは違い、「正確に予測できる性質」と「完全に予測不可能な性質」の中間の性質を現している。この遇有性が脳に与える影響や、脳がこの遇有性をどのように扱うかに言及している...
この本のキーワードは、「遇有性」。本来の意味が分からない人はぜひ辞書で調べてください。茂木氏のこの言葉は一般的な意味とは違い、「正確に予測できる性質」と「完全に予測不可能な性質」の中間の性質を現している。この遇有性が脳に与える影響や、脳がこの遇有性をどのように扱うかに言及しているのであるが、科学的視点よりも人文的、社会学的な視点で語られており、「脳整理法」というよりも「茂木の思想」という感じ。また、おそらく編集者の問題であると思うが意味の把握が困難でとても読みづらい。とても投資対効果の悪い本であるといえる。ただし、セレンディプティに対しての記述は面白い(面白いというだけで、結論は平凡)。
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"脳科学者が著者。 脳は世界との交渉の中で得た様々な体験を整理して消化する臓器として進化したものらしい。その中で獲得されていく知は「生活知」と「世界知」。"
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タイトルに「整理法」と銘打っているが、「整理術」の本ではない。 脳に関する知識や取り扱い方などの簡単なエッセンス。
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偶有性と脳との関係について書かれていたようだ。ところどころ考えるヒントになるような材料が散見されるが、思考に飛躍をもたらしてくれるようなものは見られなかった。まともな議論にとどまり、ちょっと優等生タイプの書き方だなと思った。私が「優等生」という場合決して褒め言葉ではない。余談だが...
偶有性と脳との関係について書かれていたようだ。ところどころ考えるヒントになるような材料が散見されるが、思考に飛躍をもたらしてくれるようなものは見られなかった。まともな議論にとどまり、ちょっと優等生タイプの書き方だなと思った。私が「優等生」という場合決して褒め言葉ではない。余談だが、NHKのアナウンサーは「優等生」の権化と評して差し支えなかろう。
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著者はあとがきで構想の段階では脳の使い方についてのノウハウ本になる予定だったと書いているが、実際には、著者の「偶有性」を巡る考察となっている。 著者はまず、全ての「知」を、私たちの生にぴったりと寄り添った一人称の「生活知」と、一人称の生を生きることから取り敢えずは切り離された「世...
著者はあとがきで構想の段階では脳の使い方についてのノウハウ本になる予定だったと書いているが、実際には、著者の「偶有性」を巡る考察となっている。 著者はまず、全ての「知」を、私たちの生にぴったりと寄り添った一人称の「生活知」と、一人称の生を生きることから取り敢えずは切り離された「世界知」に分けている。「生活知」とは一人の人間がいきいきと充実した人生を送るために必要な知恵で、「人生にはこのような意味がある」、「このように生きるべきだ」という、日々の生活実感や哲学・思想などによって支えられてきたもの、一方の「世界知」とは私たち人間が住む世界はこのようになっているという世界観に関わる知恵で、近代においては科学がその骨組みを提供してきたものであると言う。そして、双方はイコールではなく、潜在的な齟齬、緊張関係がある。 また、私たちの人生に起こる出来事は、半ば規則的で、半ば偶然であるという「偶有性」に満ちており、「偶有性」は、私たちがいかに生きるかという「生活知」に大いに関係すると同時に、「偶有性」こそが、覚悟を決めてチャレンジすることや、偶然を予め活かす準備をしたり事後的にそれを活かすこと(=「セレンディピティ」)を通して、脳を鍛えるのである。 一方で、自らの立場を離れて世界を見ること(=「ディタッチメント」)により「世界知」を自らの生活の中に少しでも取り入れられれば、静かで美しいライフスタイルを見い出すことができると言う。 そして、生きていく上で必要な「熱い知」である「生活知」と、世界をありのままに見るための「冷たい知」である「世界知」の間に、どのように補助線を引き続けるかということが、現代における「脳」整理法の中核的な課題であると結んでいる。 著者が「本を書くことの歓びの一つは、大切な問題について、ゆっくりと考え、自分の思考を進めることができる点」と言っている通り、著者の思考を追っていく体験ができる作品である。 (2005年9月了)
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科学の発展のためには、「生活知」と「世界知」の区別が必要であるということ。セレンディピティは「偶然の幸運に出会う能力」。高めるためには「行動」「気づき」「受容」。 安易なマニュアル本ではない。
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