アレクセイと泉のはなし の商品レビュー
12ページに掲載された写真は、アレクセイの年老いた母さんが畑にはいつくばるようにして、麦芽のようなものを左手に持った袋から1つ1つ取り出し、右手で1つ1つ丁寧に1列になるように土に置き、手でじかにその上から土をかぶせていく姿だった。 その土の色や質感が、何というか、日本で見られ...
12ページに掲載された写真は、アレクセイの年老いた母さんが畑にはいつくばるようにして、麦芽のようなものを左手に持った袋から1つ1つ取り出し、右手で1つ1つ丁寧に1列になるように土に置き、手でじかにその上から土をかぶせていく姿だった。 その土の色や質感が、何というか、日本で見られないような、豊かな大地を象徴していてすばらしい。土の恵みを実直に写し取った写真に感嘆。同時におそらく母さんと同じような格好で土に触れながら向き合い、土と母さんとを1つのフレームにおさめるように撮影しようとしただろうカメラマン(=本橋成一さん)の仕事ぶりに、私は熱情を感じた。 だが、そのすばらしい土は実際には見た目どおりではない。ある装置を通した途端、豊かな土には、どす黒い色彩がまとわりつく。 29ページにはこうある――プジシチェ村・放射能汚染調査 ジャガイモ畑…10~12キュリー/km2 ここで12ページの写真に再び戻りたい。母さんが機械や道具を使わずに種をまく姿はいわば原始的。しかしその姿こそは、人類が何十万年も守ってきた姿そのものではないのか。言い方を変えれば、人の営みはそれくらいの時間をかけて初めて、土や大地に定着できたのだ。急速に科学を進歩させて原子力を取り入れようとする人類は、人類が土との共生を獲得した数十万年と比べて、あまりに性急すぎるのではないだろうか。 なぜ人類が土と共生できるまでに数十万年もかかったのか。そのヒントはこの本の8ページの写真と文章に示されていると思う。 「ぼくの家にも、たくさんのいのちたちがいる。ウマ、ウシ、ブタ、ガチョウ、ニワトリ。家に住みついているネズミや鳥たち、そして畑のミミズやちいさな虫たちまで、かぞえきれないいのちといっしょに暮らしているんだ。」 たくさんの生命に囲まれて私たち人類も生きている。長い時間は人類が自分たちの利益だけでなく他の生き物にも恩恵をもたらすような共生の価値を獲得するために必要最小限な時間だったのだ。確かに原子力は人類がその進歩ゆえに足を踏み入れられた究極の自然科学の一端かもしれない。だが人類が長い年月をかけて培った英知と同様の過程と時間を経ることに手を抜き、目先の結果を得ることばかり考えるのであれば、人類は土からも大地からも地球からも追われる結果となるのは明らかではないか。悲しいかな、この写真集はその“事実”を如実に教えてくれる。それは、それでも住みたければどうぞという単純な話ではない。アレクセイたちの生活が実際には豊かさの裏返しであることは、本橋さんの見事な写真からは透かしのように見えてくる。 つまり、この写真集はロシア文学の諸作品などと同様に、表面だけでなく奥に深遠な要素が隠されているという話。その読解なしではこの本を手にした意味は薄まってしまう。 ◇ここからは余談です。(蛇足と思う人もいるかもしれないので、お暇な方のみどうぞ。) -私がこの本の存在に気づいたのは、NHK-FMの番組“Jazz Tonight”で。ゲストはサックスプレイヤーの坂田明さん。番組では坂田さんがチェルノブイリにちなんで演奏した、あの有名な映画の曲“ひまわり”がオンエアされていた。坂田さんも招待されてアレクセイの泉に行ったことがあるらしい。なんでかわかる? 坂田さんはフリージャズ奏者である一方で、大学の水産学部卒のミジンコ研究者でもある。その坂田さんがアレクセイの泉のミジンコ生息状況の計測をお願いされて同行したってこと。結果はなんと、放射能汚染調査では周りの森や畑では異常値が検出されたにもかかわらずアレクセイの泉からは100年間磨かれた水が湧き出ているために放射能測定値は「検出されず」だったのに、ミジンコの生息が確認された。つまり生活排水なのか家畜の糞尿なのか農業用の肥料なのかは不明だが、ミジンコを生息させる有機物が泉の湧出口近くから混入していたということらしい。 私はこれを聞いて、原子力もそうだけれど、自然の摂理って本当に精妙で、こざかしい人類の営みなんて鼻息のように吹き飛ばされてしまうだけなのだな、と恐れおののくしかなかった。
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記憶が薄らぎつつあった、チェルノブイリの原発事故のことを思い出させてくれた写真の絵本。ドキュメント映画『アレクセイと泉』があったこと、知りませんでした。 ベラルーシの小さな村の自然、人々、動物たち。写真が映像となって動き出しそうです。写真の芸術性を感じました。 畑や森からは放...
記憶が薄らぎつつあった、チェルノブイリの原発事故のことを思い出させてくれた写真の絵本。ドキュメント映画『アレクセイと泉』があったこと、知りませんでした。 ベラルーシの小さな村の自然、人々、動物たち。写真が映像となって動き出しそうです。写真の芸術性を感じました。 畑や森からは放射能が検出されるのに、泉の水からは検出されないという事実、とても不思議です。100年かかって地上に湧き出た水。100年後はどうなるのだろうか。 放射能の被害の怖さは、事故直後たくさん報道されても、時が経つにつれて強烈な衝撃が薄まってしまう悲しさ。日本においてもしかり。 “ひとつのいのちは、すべてのいのちにつながっていく。” 心に刺さる言葉です。 「世界じゅうの子どもたちへ」という筆者のメッセージが、あとがきに記されています。 子供から大人まで、一度は読んでおきたい、読み継がれてほしい絵本だと思います。
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子ども向けに、村の美しい面に多くのスポットが当たるよう編集されている。 写真に惹かれて、この写真を手に取った子どもたちが、何年か経った後に、写真集や映画を見て、「そういえば、小さい時に絵本を見た覚えがあるな。あれはこういうことだったんだ」ってなったりするのかな。 人間が作っ...
子ども向けに、村の美しい面に多くのスポットが当たるよう編集されている。 写真に惹かれて、この写真を手に取った子どもたちが、何年か経った後に、写真集や映画を見て、「そういえば、小さい時に絵本を見た覚えがあるな。あれはこういうことだったんだ」ってなったりするのかな。 人間が作った放射能のために、完成された美しい命の営みが途絶えてしまった。この村は、もう命をつないでいくことができない。そんな悲しみに気づくのは、大きくなってからでいい。 33億年の時をかけてつながってきた命。人間もその一部でしかない。環境を守るのは大事だ。でも、人間に地球を破壊したり守ったりする力があると思うなんて、ただのうぬぼれではないかな。どんなに人間が暴走しても、地球は大丈夫な気がする。人間は駄目かもしれんけど。 人間はそろそろ生き方を変えないと、自分たちを滅ぼすかもしれないけど、いくらか他の動植物を道連れにするかもしれないけど(人間がいないと生きられなくなっている、犬とか家畜とか。人間の手入れが必要な植物とか)、地球はその後で、ゆっくり傷を癒すんじゃないの。 1986年(昭和61年)4月26日 チェルノブイリ 100年前の水だから、放射能に汚染されていない。 それなら、100年後は?2086年4月26日からは、汚染された水が湧いてくるのか。 その頃にはきっとアレクセイもいなくなっている。誰もいない、昔ブジシチェ村だったところに時々、放射能をはかりに保険局から人が来るのかな。 この泉の水から放射能が検出される頃、きっとこの村の生活を愛する人はいなくなっている。それは慰めになるのだろうか。誰のための慰めだろう。チェルノブイリの聖母かな。
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写真がとても素敵。 けれど、この村はチェルノブイリの事故で放射能に汚染されている。 なんでもない日常を切り取った写真とアレクセイの言葉から、考えさせられるものがあった。
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命を育てて、命をいただく それを支えるのは、ずっと昔からここにあった大地、太陽、水 チェルノブイリ事故のあと 若い人のいなくなった、アレクセイの住む村 残った人たちは、汚染されなかった水を飲み この土地から取れるものを食べて暮らしている 放射能を測ることはできる けれど、人間...
命を育てて、命をいただく それを支えるのは、ずっと昔からここにあった大地、太陽、水 チェルノブイリ事故のあと 若い人のいなくなった、アレクセイの住む村 残った人たちは、汚染されなかった水を飲み この土地から取れるものを食べて暮らしている 放射能を測ることはできる けれど、人間の手で減らすことはできない どこに暮らし、何を食べるか どうやって、生活の糧を得るのか 人ごとのように思っていた、チェルノブイリのことが 福島の事故のあと、自分達のこととなった。 ここで暮らすことを選んだ人がいるのなら それをすべて排除することはできないだろう 全ての命はつながっている 一つの土地に生き物が住めなくなるのなら 他の土地に住む人間にだって影響がある
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彼の撮る写真と優しく愛にあふれる文章が大好き。映画は高校時代に、写真集は小学生時代に見て、児童用の写真集を今日見た。あちらこちらに人間を含むあらゆる命にたいする愛が感じられるし、写真もすごく幸福を感じられる写真がいっぱい。彼は時間をかけてこの村の時間のすごし方で村や人間、自然を見...
彼の撮る写真と優しく愛にあふれる文章が大好き。映画は高校時代に、写真集は小学生時代に見て、児童用の写真集を今日見た。あちらこちらに人間を含むあらゆる命にたいする愛が感じられるし、写真もすごく幸福を感じられる写真がいっぱい。彼は時間をかけてこの村の時間のすごし方で村や人間、自然を見れているし、あちらこちらにユーモアがまざっている。しかもブラックユーモアが。『はかればへるのかい?』とか。そしてお役人に立ち退きを命じられたときに『草や木やがちょうも連れて行けるのかい?』というせりふ。ぐさっときた。とってもシンプルなのに人間の生き方、自然とのつきあいかた、命の重みについて考えさせてくれる。いのちはつながって自分も生かされている。だから命を粗末にしてはいけない。命をおいて逃げることなんてできない。大切なものは全てそろっているのに、いらないものは人間のつくったものだけ。人間の愚かさと人間のすごさが伝わってくる本。 村が好きだからここに残る。村には命の泉があるから。その泉の水で人間も森も家畜も生きている。無駄なものは何もない。一生懸命働いて命を育て感謝し無駄にしない。全てのものとは命というところで通じているからわかりあえる。とってもとっても素晴らしい本です。
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