ダンス・ダンス・ダンス(下) の商品レビュー
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再読。一回目、いったい何読んでたの? 文庫第1刷が1991年か。。裏表紙に"1980年代を描く"って書いてあって、びっくりした。90年代じゃないんだ!80年代といえば私の母親が30代半ば・・! 過ぎた今思うのことは30代がいちばん万能感あったなってこと、関係ないけど。 記録、探したけど何もない。私の持ってたのは1999年の第21刷だった。 私が大人になったせいもあるとは思うが、いろんなことがとても魅力的だった。 というかおそらく一番大きいのは、英語的文化がわかるようになった(なってきた)ことじゃないかなぁ。 村上作品は別の言語に翻訳されてもその風味を失うことが少ないそう。 それは村上さんは最初「日本語で小説が書けなくて、まず英語で書いてそれを日本語にした」ってどっかで言ってた、そのせいじゃないのかなぁ。もともと英語で書かれたものっていう意味。なんか英語の言い回しっぽいなーって会話をよく見た気するし、あと主人公がペラペラ喋るくだらないジョークとか。洋画の主人公が可愛い女の子に喋るアレ。 あと、結構面白い(笑える)ポイントがたくさんあった。 私の大好きなw 牛河さん的描写、それにエッセイに近い感覚とか。そういう意味では、やっぱり初期作品のほうが主人公が"村上春樹"本人に近いんじゃないのかなぁ〜と。時間が経つに従ってどんどん、村上さんは自分の要素を抽象的に、さらにバラバラに細分化することに成功(?!)しているんじゃなかろうか。 下巻で、話の輪郭が見えてきて、羊男のところにあった骨が6体で・・とかなった時。五反田くんとどんどん親しくなっていった時。 ユキから話聞く前に「え、これもしかして五反田くんがやったとかいうオチじゃないだろうね?」ってちらっと思って・・ユキから聞いたあと本人を目の前にしてのらりくらりと避けるところ、すごく緊張した。 『おい、そんな風にずっと後回しにはしつづけられないんだぞ、と僕は思った。でも駄目だった。』 ・・とか迷ってる割に急にトートツに「どうしてキキを殺したの?」て聞く。直前まで、『意識は僕自身から離れてひどく遠くにあった』のにもかかわらず。 すっごくよくわかる。 会話や意識が上滑りして後で思い返すと全く何も覚えてないやつ、その感覚のままえーいいっちゃえーみたいな感じが(私のは半分ヤケクソだw) 五反田くん・・・ こちらで至極マトモな人が、見えないところで暴力を「求めて」いて・・そう、「見えない」ことが曲者で「本人には意識されていないところで求めている」、それがリアルで怖かった。それは勝手に顔をだしはじめるのかもしれない。 たくさん書きたいことありすぎる。 そう、村上さんと子ども。1Q84で赤ちゃんの存在が出てきた時にえ!?て思ったんだけど・・だって村上さんはいつも自分についてしか考えてなくて(言い方が雑ww)妻以外に護らなければならない、しかも弱い、自分を犠牲にしてもいいほどの存在なんて彼に似つかわしくなかったからなのだ。。 意外に(!?)すごくまともなことを、大人としてユキにしゃべっていた。 『ある種の物事というのは口に出してはいけないんだ。口に出したらそれはそこで終わってしまうんだ。』 『でも、公平に言って、君は時間のことをまだあまりよく知らない。いろんなことを頭から決めてしまわないほうがいい。時間というのは腐敗と同じなんだ。思いもよらないものが思いもよらない変わり方をする。誰にもわからない』 そう、いろんなことを頭から決めてしまわないほうがいい。 チョコが嫌いかという話。興味がもてないことについて 『君はダライ・ラマは好き?チベットの一番偉い坊主だよ』『じゃぁ君はパナマ運河が好きかい?あるいは、君は日付変更線が好きか嫌いか?円周率はどうだ?独占禁止法は好き?ジュラ紀は好きか嫌いか?セネガル国家はどう?1987年の11月8日は好きか嫌いか?』 いやいや、うざいw すごく好きw 一番印象に残っていることは、時間をかける ってことだった。 っていうか、時間がかかってもいいんだ、ってこと。
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「いるかホテル」から始まった物語は、そこで知り合った女の子を、その父親、母親とボーイフレンドといった人々と関わりながら紡がれていきます。しかしながら、明確な解決に辿り着くことなく、行き止まりの感も醸し出されます。そんな中でも、少しずつヒントが現れてきて、最後は急展開に物語が流れて...
「いるかホテル」から始まった物語は、そこで知り合った女の子を、その父親、母親とボーイフレンドといった人々と関わりながら紡がれていきます。しかしながら、明確な解決に辿り着くことなく、行き止まりの感も醸し出されます。そんな中でも、少しずつヒントが現れてきて、最後は急展開に物語が流れていきます。ラストスパートでは、今までの物語は何だったのだろうと思うくらいに、通り抜けてきた人々をスルーして、最初に戻りつく、そこだけ別の物語になったかのような世界になっていました。様々な出来事があって、物事が進んでいくという物語に慣れていると、違和感を残した読後になってしまうと思います。そうではなく、物語の最初から喪失があった主人公が、自分でダンスのステップを踏めるように成長し、喪失を自分で解決することができる人間になるための物語と読むのだと思います。故に、途中の人物はラストに直接は関わってこないのだと。そのように考えると、感慨ひとしおでした。
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物語としては普通に楽しく、しかしながら鼠三部作の続編と捉えるとあんまり好きにはなれない作品でした。読んだのがもう10年以上も前のことなので、なんとも言えませんが、鼠三部作の続編があるんだと楽しみにして買って、がっかりした思い出があります。 とはいえ、村上春樹さんの世界感は存分に出...
物語としては普通に楽しく、しかしながら鼠三部作の続編と捉えるとあんまり好きにはなれない作品でした。読んだのがもう10年以上も前のことなので、なんとも言えませんが、鼠三部作の続編があるんだと楽しみにして買って、がっかりした思い出があります。 とはいえ、村上春樹さんの世界感は存分に出ており、一つの作品と考えると普通に面白い作品でした。
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「風の歌を聴け」から始まった「僕」の物語もいよいよ完結編。 『ダンス・ダンス・ダンス(下)』 村上春樹 (講談社文庫) キキの行方も未だわからず、仕事をする気にもなれず、精神的に行き詰ってしまっていた「僕」は、ユキとともにユキの母親が仕事をしているハワイへ行くことになる。 今までになくリラックスをし、ゆったりとハワイを楽しんでいたある日、ホノルルのダウンタウンで「僕」はキキを見かける。 キキの後ろ姿を追って入ったオフィスビルの一部屋で彼が見たものは、六体の白骨だった。 まるでその光景が何かの予言であるかのように、彼の周りで次々と人が死んでいく。 五人までが現実に死に、残るは一人… 「僕」は再び札幌のドルフィン・ホテルへ戻る。 ホテルのフロントの女の子ユミヨシさんと羊男に会うために。 この巻では、全編通して夢と現実が交錯し、とても不思議な雰囲気を醸し出しているが、ドルフィン・ホテルの場面は果たして現実なのだろうか。 ハワイは現実だっただろう。東京での五反田君のことも現実だ。 でもこのドルフィン・ホテルだけは私にはよく分からない。 ここで「僕」はユミヨシさんと結ばれたけれど、それは現実なのだろうか。 そもそもユミヨシさんは実在するのか。 名前が片仮名表記のままなのが、(208,209の双子のように)機械的な感じがする。 ユミヨシさんと一緒に羊男の部屋へ行った時、羊男がいなかったのは何故なんだろう。 そして、あと一体の白骨は誰のものなのだろう。 結局何一つ答えは出ないまま、物語は唐突に終わる。 村上さんの小説は、読む人によっていろいろな解釈ができてしまうところがある。 私が思うに、「僕」はもうすでに“あっち”の人間になってしまっているんじゃないかな。 ユミヨシさんは「僕」をあっち側に連れて行く役目の人で、羊男が消えてしまったのは、もう“繋げる”必要がなくなってしまったから。 「僕」はいるかホテルに完全に含まれてしまった。というか、いるかホテルそのものであると。 冒頭の夢のシーンで、自分のために泣いていた“誰か”は、自分自身だった。 「あんた幸せになれないかもしれない」と羊男は言ってたし。 結論。 白骨の最後の一体は「僕」である。 うー。それはあんまりかな(笑) ユミヨシさんはキキである。というのはどうかな。 まあどっちにせよ、この物語がハッピーエンドとはどうしても思えないんだなぁ。 「僕」が求め続けていた「ユミヨシさん」に、リアリティを感じないし。 踊り続けること。 これがこの物語の主題だ。 ユキは自分の力で歩き始めた。 彼女はこれからいろいろなダンス・ステップを踏みながら生きていくだろう。 でも「僕」はどうなんだろう。 ただ何かが起こるのを待っている。 他力本願な主人公は、とうとう最後に羊男を失い、喪失の物語は幕を下ろした。 でも、逆にそのことによって「僕」が“救われた”と取ることもできる。 一番人間的にまともなのは実はユキだった、というのが面白い。 後味が何とも言えないこの物語、明るい気分にはならないけれどもかなり深い。 そしてやっぱり、解釈は読者に委ねられている。 茫漠な荒野にひとり(笑) そんな読後感でした。
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物語の本筋はやはり漠然としていて、生活描写はかっちり書いているスタイル。中盤で展開に興味が薄くなりやや投げやり気味に読んでしまう。羊男が人物を繋げる役だったはずだが、それも崩壊し、無闇に人が死に、そしてあまりに唐突なラスト。方向感がないのがこの本の味なんでしょうね。 納得感を求める自分には物足りないですけど。幸いだったのは出てくる音楽、アーティストの大部分を知っていて雰囲気をより味わえたことかな。作者はおませな美少女が好きですね。ねじ巻き島〜にも出てますよね。変な方向に展開しないかとヒヤヒヤ。表紙のイラストは良い雰囲気ですね。羊男が示した、踊り続けること、キキどの夢のシーンとマッチさせていて一体感があります。主人公は全く踊り続けてはいなかったけど。 ふわっと世界観を味わうのがこの作品を読む作法のようです。
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村上春樹の小説が、高度資本主義社会に疲れ・傷ついた魂を優しく慰撫してくれるものだとするならば、最も上手く書かれているのはやはりこのダンス・ダンス・ダンスだろう。80年代の村上春樹の筆は、滑らかにして美しく、抑制が効きながらもリズム感のある饒舌さ。ダンスのステップを踏み続けるのだ、...
村上春樹の小説が、高度資本主義社会に疲れ・傷ついた魂を優しく慰撫してくれるものだとするならば、最も上手く書かれているのはやはりこのダンス・ダンス・ダンスだろう。80年代の村上春樹の筆は、滑らかにして美しく、抑制が効きながらもリズム感のある饒舌さ。ダンスのステップを踏み続けるのだ、というメッセージには一定の力強さがあるか。
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数年ぶりに村上春樹の長編をまとめて再読中。自分自身20代も半ばを迎えて、心を許せる友人と出会える幸運や別れの虚しさに少しずつ実感が伴い始めている。読むたびに面白いと感じる。これから先も読み続けるだろう作品。
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五反田君との別れのシーンがギャツビーとの別れと重なって見えた、最後に言うべき言葉を言ったかどうかが違い。言えなかった分の切なさがグッときた。僕が「ユミヨシさん」「キキ」などと誰かの名前を呼ぶことっていままで無かったような。
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村上春樹さんの小説でも特に好きな何冊かの一つです。実際読んだのは33年前なのでだいぶ忘れてしまっていたけど、読んでいてもいなくても魅力的で刺激的であることは間違いなかったです。 世の中がデジタルになっても、スマホの時代になっても新しい気持ちで読める昭和の小説って素敵ですね。 あえ...
村上春樹さんの小説でも特に好きな何冊かの一つです。実際読んだのは33年前なのでだいぶ忘れてしまっていたけど、読んでいてもいなくても魅力的で刺激的であることは間違いなかったです。 世の中がデジタルになっても、スマホの時代になっても新しい気持ちで読める昭和の小説って素敵ですね。 あえて評価はつけませんが、星10個ぐらいでしょうか。
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震えるほど心が躍らされました。まさに、ダンス・ダンス・ダンス。この言葉が浮かびました。羊シリーズ(鼠シリーズ)の4作目で、シリーズの最終章になります。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」、シリーズを通して感じたのが、「理解するのではなく、感じること。」村上...
震えるほど心が躍らされました。まさに、ダンス・ダンス・ダンス。この言葉が浮かびました。羊シリーズ(鼠シリーズ)の4作目で、シリーズの最終章になります。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」、シリーズを通して感じたのが、「理解するのではなく、感じること。」村上作品を読む上で大事なのが、この言葉だと思います。ぜひ読んで感じてみてください。
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