経験と教育 の商品レビュー
極めて本質的で古びないことを主張している。「学習者個人と社会との両方の目的を達成するための教育は、経験ーそれはいつでもある個人の実際の生活経験ーに基礎づけられなければならない。」
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「教育とは知識を教えることではなく経験から学ぶこと」というデューイの教育哲学が書かれています。ワークショップを学びの仕掛けとして行う実践者へのエールのようにも感じられます。
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どうなるか分からない将来への「準備」としてのみの教育ならば、それは「今」という時間を犠牲にしている。未来における価値しかない授業よりは今この瞬間に価値がある授業がしたい。 「将来英語を使って~するため」なんて子どもに言うのは、無責任なことかもしれない。その子が将来英語を使わずによ...
どうなるか分からない将来への「準備」としてのみの教育ならば、それは「今」という時間を犠牲にしている。未来における価値しかない授業よりは今この瞬間に価値がある授業がしたい。 「将来英語を使って~するため」なんて子どもに言うのは、無責任なことかもしれない。その子が将来英語を使わずによく生きることができたならば、その子の時間を無駄にしていたことになる。今、この教室で、ここにいる友と教師とともに、英語を学んでいることに価値がある授業をしたい。 私は今まで、教育の成果は数十年先にしか分からないだろうと思っていた。しかしこの考え方は改める必要がありそうだ。子どもの「今」という時間を本当に大切にするならば、この学校生活での数年間が子どもにとって幸せだったかどうかが教育の成果の一つの形として問われるべきである。将来よりよく生きるための教育だけではなく、数年間の学校生活も子どもにとって素晴らしき人生の一部となるために。 ・経験には教育的価値が高いものと低いものがある ・経験のつながりが大切 ・相互作用の原理と連続性の原理=経験の価値をはかる基準 「教室」は子どもの「生活経験」の場となり得るか? 佐伯でいうところの「第二接面」をどうつくるか? 社会 日常生活から古代の歴史にどうたどり着くのか? オンラインでの「経験」とは何か? d-school 教育における how と why 英語:なんで英語を学ぶの? どのタイミングで why を問うか 時間ベースの教育・空間ベースの教育 議論の立て方 主義を固定化しないで問うことが大事 「どうすればいいかわからない」ということを教師が認めることも必要。 だからこそ子どもの学びにとことん付き合う。「教える」ことだけを考えていると、教えた気になるこわさがある。 子どもを「見る」という介入。徹底的に見ることで何が必要か見えてくる。
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100年以上前の書籍でも名著の素晴らしさは全く色褪せない。系統主義と経験主義の話、強化を進歩的に組織化することなど現代にも通じる教育哲学の名著。
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まぁ文章が難しいこと、難しいこと。例外を極力排除する緻密な文構成ゆえに仕方ない。 「伝統的教育」と「進歩主義的教育」の二者択一的な「主義」で捉えてはならないことを口酸っぱく述べている。 両者を良い塩梅で組み合わせると良いのでは?と考えたが、訳者はあとがきでそれを「中間者」と表...
まぁ文章が難しいこと、難しいこと。例外を極力排除する緻密な文構成ゆえに仕方ない。 「伝統的教育」と「進歩主義的教育」の二者択一的な「主義」で捉えてはならないことを口酸っぱく述べている。 両者を良い塩梅で組み合わせると良いのでは?と考えたが、訳者はあとがきでそれを「中間者」と表現している。 今、自分の中でその中間者はどんな教育組織であるかは一読するだけでは曖昧だ。 まぁ政府が伝統的教育、民間が進歩主義的教育を推進しても良いのではないか?と思わなくもない。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
1回読んだだけでは内容が入ってこなかった。子どもの成長と教師の役割。教師は教科を教えるだけでなく、子どもの成長に貢献する役割があるということか。
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デューイの『経験と教育』に星印で評価をつける、というのも奇妙な気がするのだが、とりあえずこんな感じか。 たんに教育論を振りかざしたものではなく、そもそも自由や経験とはなにか、といった深みのある話が読めてよかった。 デューイというと政治的には「左派」プラグマティズムというイメー...
デューイの『経験と教育』に星印で評価をつける、というのも奇妙な気がするのだが、とりあえずこんな感じか。 たんに教育論を振りかざしたものではなく、そもそも自由や経験とはなにか、といった深みのある話が読めてよかった。 デューイというと政治的には「左派」プラグマティズムというイメージがある。が(かなり簡略化すると)そうした従来の保守または進歩主義のイデオロギーに染まった教育を「プラグマティックに乗り越える」ということが重要とのこと。このあたりが一見すると「左」っぽいのだが、デューイの立ち位置はそこではないという(当たり前のこと)をあらためてよく理解できた。 個人的には教育論よりも「行動と思考の一致・不一致」というあたりを論じている箇所が一番おもしろかった。
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原書名:Experience and education 第1章 伝統的教育対進歩主義教育 第2章 経験についての理論の必要 第3章 経験の基準 第4章 社会的統制 第5章 自由の本性 第6章 目的の意味 第7章 教材の進歩主義的組織化 第8章 経験―教育の手段と目的
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経験の再構築論、相互作用論にハートをつかまれました。 ソーシャルワークの領域で大切にしてきたことが、がっつり重なります。 個人の経験を、社会とつなぐこと。 もっと読み込んで、自分の中に染み込ませたいです。
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2007/6/20 この本,原著は1938年に書かれた古典なんすね. で,何が書かれているかというと~ 「学生を静かに席に座らせて,話を聞かせるだけの 伝統的教育」 「学生の自由を過度に尊重し,押しつけに否定的になりすぎ,教師が何も出来なくなる進歩主義教育」 の二項対立に対し...
2007/6/20 この本,原著は1938年に書かれた古典なんすね. で,何が書かれているかというと~ 「学生を静かに席に座らせて,話を聞かせるだけの 伝統的教育」 「学生の自由を過度に尊重し,押しつけに否定的になりすぎ,教師が何も出来なくなる進歩主義教育」 の二項対立に対して警鐘をならしている. 本人自身は進歩主義的な教育(目指すところは現代でいうところの総合教育とほぼ同じ)を求めているのだが,当時の進歩主義教育が, ただ,伝統的教育を否定するだけで,伝統的教育にまけずおとらずひどいことになっている事を指摘している. 本人も認めるように進歩主義教育は伝統的教育以上に圧倒的にデザインが難しいのだ. だから,A xor Bのような,両端の二者択一な議論は意味をなさない. どう,進歩主義教育を経験の哲学に基づいて作り上げていくかが問題なのだ. って,今の「ゆとり教育」の議論とかと,何も変ってねーじゃん!! 70年間,ここの改革,なんもなしかよー!! orz (それだけ難しい問題なんだと思いますが.) ジョン・デューイは記号論のC.S.パースとならんで,アメリカのプラグマティズムの指導者の一人. デューイは教育の分野で仕事をした人らしいが,読んでいると,プラグマティストなだけあって, パースと共通した世界観のようなものを感じました. コミュニケーション,論理的な議論は言語にしかされ得ないが,その解釈の自由度は常に残る.その乖離を無視すれば伝統的教育に, 直視すれば進歩主義や総合教育の道が開かれるのだと思うのだ. 要するに情報を記号論から捉えなおせっていう話になるんですね.
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