憲法と平和を問いなおす の商品レビュー
1月? [内容]本書は、民主主義と立憲主義、平和主義の緊張関係を指摘している。 ?では、まず、なぜ民主主義なのかという問題をとりあげる。その手始めとして多数決が議決方法としてとられる理由の分析から入る。どれか一つが答えとなりえるのではなく「直面している問題ごとに、多数決の持つさま...
1月? [内容]本書は、民主主義と立憲主義、平和主義の緊張関係を指摘している。 ?では、まず、なぜ民主主義なのかという問題をとりあげる。その手始めとして多数決が議決方法としてとられる理由の分析から入る。どれか一つが答えとなりえるのではなく「直面している問題ごとに、多数決の持つさまざまな機能のうち一つが、あるいはいくつかが利用されていると考えるべきであろう」と指摘する。それに続きなぜ民主主義なのかという問題へと議論を進めていく。なぜ多数決なのかという問題となぜ民主主義なのかという問題は別であるという点は留意すべきであるが、民主主義の政治体制の下で多数決が普通であるから、なぜ民主主義なのかという問題に答える際にも流用は可能である。そこで、民主主義に対する見方として筆者は、民主主義は「正解」を発見するための手段としての見方、民主的な手続きに従って出された答えだから「自分たちの答え」として受け入れるしかないというものがあると指摘する。また、ここでの議論において、民主主義制自体に参加することに意義があるという考え方は成立し得ないと筆者は指摘している。前述のような立場は、どれが唯一の答えというわけではい。これらのかたちで民主主義を正当化できるとしたときに、民主主義で決められることに制限が設けられるのはなぜなのだろうかと問う。それに対し、筆者は民主主義は使うべきではない場面があること指摘し、その境界を線引きし、民主主義がそれを踏み越えないように境界線を警備するのが、立憲主義の眼目であると主張する。?では、なぜ立憲主義なのかという議論を進める。まず立憲主義の始まりとして、自然権という概念の持つ重要性を指摘する。つまり、「自然権ともつという考え方をベースに、異なる価値観の共存しうる社会の枠組みを構築しようとした、立憲主義のはじまりである」という。その社会生活の枠組みには、人々の深刻な対立をもたらしかねない根本的な価値観の対立が進入しないようにする必要がある。なぜかというと、「比較する客観的な物差しのないところで、複数の究極的な価値観が優劣をかけて争えば、ことは自然と血みどろの争いに陥りがちである」からである。それを防ぐために具体的には、人為的に公と私の区別をすることが必要になる。立憲主義的な憲法典で保障されている「人権」のかなりの部分は、公と私の人為的な区別を線引きし区別するためのものであるという。たとえば、本書で挙げられているのは「信教の自由」「自己決定の問題」などである。また、憲法上の権利の役割として、公と私の線引きという役割以外に、社会の利益の実現を目指して、保障されているものの説明もなされている。?では、平和主義は可能かという点から、立憲主義と平和主義の関係にかんして述べている。 [感想] まず感じたのは、筆者は文章がうまいということである。決して淡々と自分の説を述べていくのではなく、時にドン・キホーテやハムレットを登場させながら読者を飽きさせることなく説を展開していく。かといって決して内容は薄っぺらいわけではなくかなり読み応えがあると思う。もしこの本を買うかどうか迷う人があれば、まずは「あとがき」を立ち読みしてから決めるのがいい。憲法とは、条文をおうばかりではなく、社会との関連性を重視しながら勉強すべきであると強く思った。そうしないと憲法のもつ歴史的意味や役割を理解することなく表面的な勉強で終わってしまう。本書の中で驚きであったのは、民主主義と関連させつつ、憲法の役目の一つに「公と私の境界線」を決める役割があるという指摘であった。なるほどと納得すると同時に、なんだか自分の見方が変わった気がした。価値ある一冊であると思う。
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民主主義とは?立憲主義とは?という視点から、憲法の平和主義を考えた本。 立憲主義の核心である「さまざまな価値観を抱く人々が平和的に共存するための枠組みをどう築くか」というテーマには興味があるものの、政治学を全然勉強したことがないせいかちょっと難しかったです。 古典なり参考書を読む...
民主主義とは?立憲主義とは?という視点から、憲法の平和主義を考えた本。 立憲主義の核心である「さまざまな価値観を抱く人々が平和的に共存するための枠組みをどう築くか」というテーマには興味があるものの、政治学を全然勉強したことがないせいかちょっと難しかったです。 古典なり参考書を読むなりして勉強しないと、自分の意見を言えない状況です(汗)
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筆者は立憲主義と民主制とを峻別する。これ自体は目新しい思考態度ではない。民主主義と自由主義とを区別したHayekや、市民的法治国的憲法はあらゆる政治制度に対する制約を目的とし民主制もその例外ではありえないとしたSchmittもその流れにある。 民主主義は何でもなしうるという、素人...
筆者は立憲主義と民主制とを峻別する。これ自体は目新しい思考態度ではない。民主主義と自由主義とを区別したHayekや、市民的法治国的憲法はあらゆる政治制度に対する制約を目的とし民主制もその例外ではありえないとしたSchmittもその流れにある。 民主主義は何でもなしうるという、素人=「市民」的理解を長谷部は採用しない。 そして、立憲主義の適切な理解こそが、「憲法と平和」ついて語る鍵であるとする。 では、長谷部は平和主義とは何と語っているのか? …語っていない。諸概念を列挙はしている。しかし、終始「〜ではない」の論法に徹している。それについて歯がゆく思うかもしれないが、それは当然に予定されたこの書の態度である。 すなわち…以下のように記してこの書は終わる。 「…自分で考えるということは、「…である以上、当然…だ」という論法で使われる、そうした「切り札」など実はないとあきらめをつけることである。 そして、自分で考え始めた以上は、本書ももはや用はないはずである。願わくば、本書を踏み台としてさらに進まれんことを。」 あたかも、Ludwig Wittgensteinが、 「わたくしを理解する読者は、わたくしの書物を通り抜け、その上に立ち、それを見おろす高みに達したとき、ついにその無意味なことを悟るにいたる。まさにかかる方便によって、私の書物は解明を行おうとする。(読者は、いうなれば、梯子を上りきったのち、それを投げ捨てなければならない。)読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。」 "Meine Sätze erläutern dadurch, daß sie der, welcher mich versteht, am Ende als unsinnig erkennt, wenn er durch sie - aufihnen - über sie hinausgestiegen ist. (Er muß sozusagen die Leiter wegwerfen, nachdem er auf ihr hinaufgestiegen ist.) Er muß diese Sätze überwinden, dann sieht er die Welt richtig."と述べているように。 本書は、「あとがき」から読むことを強くお勧めする。知る限り、日本一の「あとがき」である。 目次 憲法の基底にあるもの 第1部 なぜ民主主義か?(なぜ多数決なのか? なぜ民主主義なのか?) 第2部 なぜ立憲主義か?(比較不能な価値の共存 公私の区分と人権 公共財としての憲法上の権利 近代国家の成立) 第3部 平和主義は可能か?(ホッブズを読むルソー 平和主義と立憲主義) 憲法は何を教えてくれないか
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