国盗り物語(一) の商品レビュー
道三やり手すぎww 信長・・デアルカ 明智光秀のいとこ?の光春素敵伝説 天王山の大舞台、鉄砲隊が売りなはずなのに、濡れて使えんとは何事か。。 の4本立てでお送りしてます
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歴史に全く興味なかったのにこの本を読んで引き込まれてしまった。 斎藤道三の生き様がとても魅力的でかっこいい。後編、織田信長が気になる。
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「草の種ならば、種によって菊にもなれば、雑草にもなる。が、人間はひとつの種だ。望んで望めぬことはあるまい」 若者は乞食同然の暮らしをしていた時でもこの確信を持ち続けた。抱き続けた希望が彼を天下人にまで導いた。 司馬遼太郎はすごい人だとは思うけど、性差別主義者だから好きになれない...
「草の種ならば、種によって菊にもなれば、雑草にもなる。が、人間はひとつの種だ。望んで望めぬことはあるまい」 若者は乞食同然の暮らしをしていた時でもこの確信を持ち続けた。抱き続けた希望が彼を天下人にまで導いた。 司馬遼太郎はすごい人だとは思うけど、性差別主義者だから好きになれない。
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本屋でパラパラとめくっていて、なかなか面白そうな書き出しだったので読んでみたところ、、、斉藤道三、つい最近までまったく知らない人だったけれど、一瞬ではまりました。 いやあ、このぐらい読んでいて安心できる人ってなかなかいないよね。次、三、四巻に期待。
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斎藤道三っていう人知らなかったんだけど、織田信長の義父らしい。 竜馬といい、庄九郎(主人公)といい、なんか似ている。司馬さんはこういう人が好きなのか、似ちゃうのか。。。 それにしても、徳川幕府以前はいろんなことが割と自由だったんだなぁと感じます。
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壮大な夢を持ち、その夢に向かい一歩づつ着実に歩む様にウキウキします。 目的意識をしっかり持ち、それにむかって手段を選ばず爆心していく姿が逆に気持ち良いです!!
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
2部作に分かれる。第一部の主人公は美濃の蝮・斉藤道三の半生。戦国時代、一介の素浪人から身を起こし油屋の主人から美濃国への仕官を経て、ついには美濃を手に入れるまでの立身伝を描く。 第2部は、道三の弟子とも言うべき2人、娘婿の織田信長と、甥にあたる明智光秀の関係に焦点をあてる。本能寺の変の後、山崎の合戦で光秀が命を落とすところで物語は終わる。 前半の道三半生記はあらゆる手段を駆使して上り詰めていく様が痛快。欲しいものを手に入れていく様子はまるでわらしべ長者のようだ。 一方信長登場後の物語は、天下統一へ向けて破壊と創造を繰り返す信長と、足利幕府再興を筆頭に旧世代の体制維持を人生の目標とする光秀の対比になる。日本史で一番激動の時代(元亀・天正時代)の描写は歴史小説の国民作家である著者の真骨頂だ。
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上司に薦められ、最初は気のりせずに読んでいたけれどお万阿ちゃんが出てきて面白くなった!お万阿ちゃん好き。キャスティング考えてニヤニヤしてしまう。この巻しか読んでいないので読み進めると印象が変わるかもしれないが今のところ 主人公:成宮くん お万阿:鈴木エミ という組み合わせがいいな...
上司に薦められ、最初は気のりせずに読んでいたけれどお万阿ちゃんが出てきて面白くなった!お万阿ちゃん好き。キャスティング考えてニヤニヤしてしまう。この巻しか読んでいないので読み進めると印象が変わるかもしれないが今のところ 主人公:成宮くん お万阿:鈴木エミ という組み合わせがいいな~♪ 早く続きが読みたい!
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司馬遼太郎先生の戦国四部作の初作。他の三作品は既に読了したので、残すは本作品だけである。本来は、国盗り物語→新史太閤記→関ヶ原→城塞の順に読むべきなのだが、新史太閤記から読み始めてしまったため、順番が狂ってしまったのだ。まあいい、私の得意な時代だから、頭が混乱することもないだろう...
司馬遼太郎先生の戦国四部作の初作。他の三作品は既に読了したので、残すは本作品だけである。本来は、国盗り物語→新史太閤記→関ヶ原→城塞の順に読むべきなのだが、新史太閤記から読み始めてしまったため、順番が狂ってしまったのだ。まあいい、私の得意な時代だから、頭が混乱することもないだろうと気を取り直して読み始めた。 単純に面白い。要因は二つ。 一つは、サクセスストーリーが痛快であるのだ。僧侶から京の油商人になり、そして美濃一国を分捕ってしまう話の展開は分かり易くて楽しい。まるで「わらしべ長者」のようである。この点、新史太閤記で描かれている豊臣秀吉の話と共通するところである。 もう一つは、舞台が私の故郷、岐阜(美濃地方)であること。所々に出てくる場所は馴染みがあり、「あの辺で仕掛けたのか」「あそこに城があったとは…」など新鮮な思いで故郷を振り返ることが出来るのだ。 以下に、興味深かった記述を引用したい。 ・庄九郎が美濃を選んだのは天才的な眼識といっていい。美濃に天下分け目の戦いが行われたのは、古くは壬申の乱、のちには関ヶ原の戦いがある。徳川時代は美濃に大大名をおかず、この国を制せられることをおそれ、一国のうち11万7千石を直轄領とし、残りを大名、旗本に細切れに分割して互いに牽制させた。それほどの領国である。 →我が故郷をそう表現されると気分がいいものだ。土地は肥沃だし、京に近く、東海道、東山道など様々な街道が出ており要衝の地なのである。 ・庄九郎よりもやや後年に出た黒田官兵衛如水の先祖は、一時、この備前福岡の市に居ついていた。黒田家が筑前一国に封ぜられ、博多の西方に築城したとき、先祖にゆかりの備前福岡の地名をとって「福岡」と名付けた。今の福岡市がそれである。 →こうした由来話は私は大好きである。福岡がもともと岡山県にあってそれが派生したとは驚きである。果たして、このトリビア、福岡県民の何割の人が知っているのだろうか。 ・庄九郎は売り子の悪徳を見つけた。売り子は油をマスで計って客の壺にいれてやるのだが、最後に一滴をたくみにマスの中に残すが商い上手とされた。その一滴ずつをためておいて、自分が着服するのである。一日溜まると馬鹿にならぬ量になる。庄九郎は「それはならん。一滴残らず客のものである」と厳しく禁じた。「奈良屋の商法に嘘があってはならぬ。マスから壺へは客の手で移させよ。奈良屋の商法はこれじゃ、と言えば客も喜ぶだろう」 →現代でも通じる商法である。私も飲食店で食事をしたとき、似たような経験があった。「ちゃんと全部よそえよ!」と腹正しさが生ずることもあるのだ。これをきっちりやる店、セコさのない店は信頼できる。 ・「絵具でございますな。旦那様がおかきになりまするか」「いや、わしは浮世に絵をかくのだ。絹の上に絵などをかいている暇はない」 →小姓の杉丸に問われて返した言葉。「浮世に絵をかく」・・・。ロマン溢れる表現!(笑)。 ・旧家というのは、迷信の因習が累積してそのあくのなかで人が育つ。ろくな者ができるはずがない。 →合理主義的価値観を持つ司馬氏ならでは論理である。もちろん、本作品の主人公:庄九郎も合理主義者である。
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1・2巻は斎藤道三、3・4巻は織田信長が主役。その二人に仕えた明智光秀の活躍も興味深く読めたシリーズの一巻です。司馬先生の作品は初読でしたが、一つ一つ丁寧で臨場感のある描写だという印象を受けました。何度読んでも読み飽きないのも好印象です。
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