1,800円以上の注文で送料無料

ポル・ポト“革命"史 の商品レビュー

4

22件のお客様レビュー

  1. 5つ

    6

  2. 4つ

    7

  3. 3つ

    6

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2024/07/05

ジャーナリストの書いたもので、臨場感はあっていい。あまり細かい裏付けや考察には欠ける印象があるが、「ポル・ポト革命」とは何だったのか、を知るには読みやすいしコンパクトにまとまっている。 共産主義がどうとかではなくて、単にシロウトが"俺の考えた最強の政策"を、議...

ジャーナリストの書いたもので、臨場感はあっていい。あまり細かい裏付けや考察には欠ける印象があるが、「ポル・ポト革命」とは何だったのか、を知るには読みやすいしコンパクトにまとまっている。 共産主義がどうとかではなくて、単にシロウトが"俺の考えた最強の政策"を、議論にも諮らず、事後の検証もせず、異論のある人間を排除していった、そのやり方の行きつく先はこういうものだ、ということだろう。その意味では、まったく今の日本は「ポル・ポト化」しかけているのではないか?! 時間はかかっても広く意見を汲むこと、事後の結果・途中経過の検証をすること、異論を排除しない、ということ、これらはとても大事なことなのではないか、今の日本はまったく出来ていないのではないか、と空恐ろしくなる。。

Posted byブクログ

2021/11/22

ポル・ポト政権が行った事について学びたくてこちらの本を手に取る。 1970年代に時の権力者が独裁的な政治を行なった、という簡単な話ではなく、1930年代の抗仏民族運動・インドシナ共産党の興り・米国など資本主義国への反発・カンボジア内戦など当時の複雑な情勢のなか、いくつかの偶然が...

ポル・ポト政権が行った事について学びたくてこちらの本を手に取る。 1970年代に時の権力者が独裁的な政治を行なった、という簡単な話ではなく、1930年代の抗仏民族運動・インドシナ共産党の興り・米国など資本主義国への反発・カンボジア内戦など当時の複雑な情勢のなか、いくつかの偶然が重なり起こったものだった。 カンボジアがたどった複雑な歴史、隣国との関係、仏教・イスラム教の存在が思想に影響を及ぼすことなど、当時の事を幅広く知ることができた。 そして今、中国共産党がカンボジアを大規模支援し一帯一路の推進と中国化を推し進めている。 首相フン・ソンはポル・ポト政権打倒後から現在もその座についているカンボジアのいく先はどうなるのか。 こんな稚拙な言葉でしか感想を書けない自分を恥じる...

Posted byブクログ

2020/06/07

カンボジアを訪れた時、とにかく若い人の国だという印象を受けた。他の国ならある程度歳のいった人が出てきそうな管理職的立場の人さえも若い。とにかく、老人と呼べるような人が少ない。それが一定以上の年齢層の大多数がクメール・ルージュに命を奪われたせいだと気づくまで、少し時間がかかった。 ...

カンボジアを訪れた時、とにかく若い人の国だという印象を受けた。他の国ならある程度歳のいった人が出てきそうな管理職的立場の人さえも若い。とにかく、老人と呼べるような人が少ない。それが一定以上の年齢層の大多数がクメール・ルージュに命を奪われたせいだと気づくまで、少し時間がかかった。 首謀者であるポル・ポトはびっくりするほど普通の男だ。誰よりも切れる頭脳とか、見た目の華やかさとか、一切ない。自分でもその自覚があったからあまり政権の顔として表に出ず、あくまで影から物事を動かしていたのだろう。 しかし、そういう普通の人間が歴史上に残るような大虐殺をやってのけたことこそ、カンボジアが特殊だったのではなく「どこの国でも起こりうる」と思わされ、恐ろしく感じる。実際、クメール・ルージュが政権を握ることになるまでには様々な偶然があった。何か一つでも欠けていたらあのような惨事は起こらなかったかもしれない。 もちろんよく言われるように、歴史にタラレバはないのだが。

Posted byブクログ

2020/02/29

まったく気の重くなる内容の本です。 しかし、45年くらい前に実際にあった出来事をしっかり事実認識しておくことは、とても重要な事でしょう。こんな事が起きてしまった原因、因果関係、責任をきっちりと認識し、多くの人々が共有すること、が大切でしょう。

Posted byブクログ

2019/03/24

20世紀を振り返ったとき、最も多くの人間を殺したのは誰か?この問いに対するトップ3は、毛沢東(大躍進政策による失敗と文化大革命によって)、スターリン(強制収容所によって)、ヒトラー(アウシュビッツ等における民族浄化において)であるが、次点として名が上がるのが、カンボジアにおける大...

20世紀を振り返ったとき、最も多くの人間を殺したのは誰か?この問いに対するトップ3は、毛沢東(大躍進政策による失敗と文化大革命によって)、スターリン(強制収容所によって)、ヒトラー(アウシュビッツ等における民族浄化において)であるが、次点として名が上がるのが、カンボジアにおける大虐殺を引き起こしたポル・ポトである。 殺害されたとされる人数は推計で100-150万人とされ、トップ3に比べれば桁が1つ落ちるわけだが、重要なのは自国の人口における割合である。当時のカンボジアの人口は800万人足らずだということを考えれば、殺されたのは約2割弱という恐ろしい割合に達する。本書は読売新聞の東南アジア地域駐在員として活躍した著者が、虐殺と破壊の4年間とその前後の歴史を通説的にまとめた一冊である。 ポル・ポトらが率いた社会運動クメール・ルージュがここまでの大惨劇を招いた理由は多岐に渡る。知識というものを極めて軽視するその社会観、健全な社会援助であっても拒否する狂気的なまでの独立心、中国・ベトナム・アメリカらの関係国の対立における間隙の利用、など。ただし、それでも、やはりなぜこのような惨劇が起こったのか、という謎は残るように見える。それは、ポル・ポトという独裁者が、他の独裁者とは異なり、表舞台には全く登場せず、影武者のような独裁を好んだ、という点とも関係があるのかもしれないし、ないのかもしれない。 とっかかりとしてまず虐殺の歴史を知るための一冊であり、もう少し自己の中で理解をするには深堀りが必要、という印象。

Posted byブクログ

2017/05/07

いつかしっかり知りたいと思っていたクメールルージュによるカンボジア統治の歴史。 革命とは名ばかりの、虐殺に次ぐ虐殺の統治。 非常にディープな内容でしたが、いまだ本質的な真相は、既に当事者が亡き今となっては、完全に解明されていない様です。 なぜ、フランス留学までして、帰国後に教員経...

いつかしっかり知りたいと思っていたクメールルージュによるカンボジア統治の歴史。 革命とは名ばかりの、虐殺に次ぐ虐殺の統治。 非常にディープな内容でしたが、いまだ本質的な真相は、既に当事者が亡き今となっては、完全に解明されていない様です。 なぜ、フランス留学までして、帰国後に教員経験のある集団が、政権を握ると同時に、都市の知識層を農村へ強制移動させると同時に、虐殺に追い込んだのか。また、内ゲバによる億級幹部クラスの粛清に次ぐ粛清。一体、何を残したかったのでしょうか。 この集団が共産主義を標榜していた以上、とても共産主義社会を容認する訳にはいきません。

Posted byブクログ

2016/10/21

典型的な共産主義者の末路の話である。教員経験、留学経験もある傍から見た知識人たちがどうやって愚かな共産主義の道を進んでいったか。現代資本主義からの視点ではなく、当時世界中で存在したマルクス主義の観点から読みすすめる必要がある。あとがきにもあるように、普通の人間がひとつの方向に直進...

典型的な共産主義者の末路の話である。教員経験、留学経験もある傍から見た知識人たちがどうやって愚かな共産主義の道を進んでいったか。現代資本主義からの視点ではなく、当時世界中で存在したマルクス主義の観点から読みすすめる必要がある。あとがきにもあるように、普通の人間がひとつの方向に直進し続けたら、いくらでもこのような結果になりうると。まさにその通りでしょう。 当時の世界各国の時代年表や情報がもっと並列されているとわかりやすかった。

Posted byブクログ

2016/02/25

なんでこんな杜撰な政権が…という感じなんだけど、米ソ中に南北越の政治の隙間で成立してしまったのかね… この人自体、隣国からの取材が中心で、深掘りできてたりはしないけど、深掘りできるような人はもれなく殺す国だし、これ以上の詳しい文献は出てこないのだろうなあ…

Posted byブクログ

2014/06/08

「だが、民主カンボジアこそ今もなお世界一完成された高潔な国家だ。」 中国やベトナムとは違い、自分たちだけでアメリカに勝利したと宣言し続けたポルポト。世界一の独立国家であるために、すべてを急ぎすぎた。また、無知こそ正しいとし、インテリ階級を虐殺した。無垢な子どもこそ民主カンボジア...

「だが、民主カンボジアこそ今もなお世界一完成された高潔な国家だ。」 中国やベトナムとは違い、自分たちだけでアメリカに勝利したと宣言し続けたポルポト。世界一の独立国家であるために、すべてを急ぎすぎた。また、無知こそ正しいとし、インテリ階級を虐殺した。無垢な子どもこそ民主カンボジアにふさわしいと考えた。農業こそ国の根幹で、教育は捨てられた。人も家畜も命の価値は同じだ。 権力を握るまでは後ろに隠れていたポルポト。その病的なまでの猜疑心が、裏切りに対して強固な姿勢を作ったのだろう。権力を握るために協力してきた仲間ですら容赦なく殺害した。中国、北朝鮮からの援助も断り、いつまでも独立を掲げた。鉄の水牛などいらないのだ。 家族の絆を恐れたポルポト派、それでも彼らが最後までよりどころにしていたのが自身の家族たちとは。アジアのヒトラーとも言われるが、写真でみるラフな彼らはそこらにいる好々爺と変わらない。

Posted byブクログ

2013/09/20

カンボジアはカンボジア。 独立のために戦い続けてきた弱小民族の心の底からの叫び。 教育は全く存在しなかった。ただひたすら労働だった。 外部からのものには物凄い警戒心だった。 ポルポトは1998年まで生存していたのだ。 いったい誰が責任をとったのだろうか。

Posted byブクログ