苦海浄土 新装版 の商品レビュー
著者である石牟礼道子さんが亡くなったのは今年の2月。生憎と 私は入院中で、訃報がもたらされた時はテレビや新聞を見られる 状態ではなかった。だから、亡くなったのを知ったのは退院して からだった。 『苦海浄土』を初めて読んだのは高校生の頃だったろうか。文庫 新装版である本...
著者である石牟礼道子さんが亡くなったのは今年の2月。生憎と 私は入院中で、訃報がもたらされた時はテレビや新聞を見られる 状態ではなかった。だから、亡くなったのを知ったのは退院して からだった。 『苦海浄土』を初めて読んだのは高校生の頃だったろうか。文庫 新装版である本書は発行後に購入していたのが、読む機会を逸した まま積読本の山に埋まっていた。 気力・体力共に低下していたので、退院後もなかなか本書と対峙 出来なかったのだが5月1日に行われた水俣病犠牲者慰霊式のあと にチッソ社長の「救済は終わった」発言に唖然として、本書と 対峙する決断がついた。 ノンフィクションでも、ルポルタージュでもない。いくつかの 事実は散りばめられているが、本書は水俣病患者とその家族を 見て来た石牟礼さんが創作した、水俣病犠牲者の心の声であり、 魂の叫びだ。 土地の言葉を活かした文章の向こう側に、有機水銀に汚染されな がらも青さをたたえた水俣の海が広がる。その海が与えてくれた 豊富な魚介類が、まさか体と心を破壊してしまうとは誰も思いも しなかっただろう。 そして、原因はチッソ水俣工場から排出される排水に含まれた 有機水銀であると、早い時点で特定されていたにも関わらず 救済を遅延させたチッソ及び行政の罪は重く、改めて怒りを 感じる。 「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から 順々に、水銀原液ば飲んでもらおう。(中略)上から順々に、 四十二人死んでもらおう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性 の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になって もらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」 「あとがき」に書かれている言葉である。切なすぎるだろう。 加害企業として犠牲者に補償するのは当然だが、どんなに補償金 を積まれても、亡くなった人は戻って来ないし、有機水銀に害され た体は元には戻らない。 チッソの現社長・後藤氏は、本書を百万遍読んだらいい。
Posted by
ノンフィクションなのかルポルタージュなのかいまいちわからないまま手にとった本。 ちょうどその間のような体だけど、比喩表現がとても詩的で練り上げられてる。その一方でラストは怒りが行間から湧き上がってきて、現実に恐ろしい気持ちなる。 続きも読む。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
もっとも恐ろしい言葉が「あとがき」にある。 「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」 「もはやそれは、死霊あるいは生霊たちの言葉というべきである」 これに引っ張られるようにして読んだ。 作者が「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」といい、解説者渡辺京二が「聞き書きなぞではないし、ルポルタージュですらない。私小説である」という意味が、了解できた。 一読のあとに獲得したものとしては、まずはこれだけで上々だろう。 というのも、熟読前はやたらと難解でとっつきづらい印象で手を伸ばしかねていたのだ。 地の文、方言による語り言葉、報告書などの固い言葉づかい、が混在しているため。 ところで小説を読み終わった時に、美味しかったとか食べづらかったとか比喩することがある。 本書は咀嚼しても噛み切れず呑み込んだのに重くて吐き出さざるをえなかった「それ」を、食べねばといま思っている。 繰り返すようだが、初読でここまで味わえれば、上々だ。 これは「小説で」「重い美味しさがある」とわかっただけでも。 あとは多方面から読んで「小刻みに腹に納めていく」だけだ。 永遠に腹からはみ出し続けるであろう記述を、少しずつ食べていく。 私なりにまとめてみれば。 作者の巫女的な性質。(手をつなぐことで、相手のすべてが流れ込み、自分の中で生きる) ルポではなく創造的真実が生み出す人々……患者、患者の家族、遺族……の声が、幾度も反芻される。 反芻を繰り返すことで洗練さていく言葉と、生(き)の言葉と、の混在。 各章ごとに「わたくし」が直面している現在がまず提示され、思い返される過去が各々患者の言葉として思い出され(だからルポではない)、また現在刻まれていく政治的事実や研究報告書などが差し挟まれていく、この繰り返しで本書は構成されていく。「転ー起ー承ー転ー(本来存在しない結は先送りされていく)」そのため、割と時間は前後する。 主な患者は、山中九平少年ー野球の稽古。仙助老人ー村のごついネジすなわち柱。釜鶴松ー苦痛よりも怒り、肋骨に漫画本。坂上ゆきー海が好き、流産したややが食卓の魚。杢太郎少年の爺さまー棚に乗せたものはすべて神。杉原彦次の娘ゆりーミルクのみ人形。 ちなみに石牟礼道子さんの写真や映像を見て……ややスイーツ(笑)な雰囲気も感じ。 かんっぺきに感受性ばっかりの書き手が、幸運にも時代的題材を得て生き生きと書いている、とでもいうような。 いまにひきつけてみれば、「川上未映子が本腰入れてフクシマに取り組んでみました」とか。笑 その違いは要は継続性にあるのだと思うのだけれど。 (フクシマヲズットミテイルティーヴィーの醜悪さ(たとえば熊本はすっかり忘れているじゃん!)とはまた違う、人生を賭けた継続的アプローチ) 感動一辺倒に水を差すような感想も、きちんと示しておこうと思って、この嫌な一説を書き足した。
Posted by
リアルにものを表現しようとするとき、多くの場合我々はそれを方法論的に試みる。リアルな絵画は写真に近似していくが、そもそも写真はリアルなのだろうか。 文章の場合も同様の側面がある。小説は嘘で、ルポルタージュが真実とは限らない。この「私小説」に描かれているのは、著者の情景としての水...
リアルにものを表現しようとするとき、多くの場合我々はそれを方法論的に試みる。リアルな絵画は写真に近似していくが、そもそも写真はリアルなのだろうか。 文章の場合も同様の側面がある。小説は嘘で、ルポルタージュが真実とは限らない。この「私小説」に描かれているのは、著者の情景としての水俣であり、大いにフィクションの部分もあるが、それはいつも生々しく、紛れもなく真実である。
Posted by
普通に生きてることのかけがえのなさを思い知る。理不尽に人生を壊される痛み。その痛みは自分だけではなく、家族も担うこととなる。
Posted by
ゆっくりと、時間をかけて読みました。 内側から描かれた水俣病の物語を読んだのは初めてで、こんなにも一人一人の人が美しく尊厳をもって描かれている物語を読むのも初めてで、想像しては揺さぶられ、でも必ず読み終えなくてはという意思を強く持って読みました。 文字だから伝えられるもの。 ...
ゆっくりと、時間をかけて読みました。 内側から描かれた水俣病の物語を読んだのは初めてで、こんなにも一人一人の人が美しく尊厳をもって描かれている物語を読むのも初めてで、想像しては揺さぶられ、でも必ず読み終えなくてはという意思を強く持って読みました。 文字だから伝えられるもの。 物語という形だから訴えられるもの。 合間で示される、具体的なできごと。 柔らかな、けれど確かな意思を感じさせる文章。 ほかのところでは出会えない感触を味わえた時間でした。
Posted by
読まなくてはとずっと思っていたが、水俣病かぁ、、、と手に取れなかった。 しかし一読、このカラッとした明るさにビックリ。 この人たちは本当に海を愛していた、魚を愛していた。その人たちから奪ったのだ。 そして「3・11」も、また。 「だって、あの人が心の中で言っていることを文字...
読まなくてはとずっと思っていたが、水俣病かぁ、、、と手に取れなかった。 しかし一読、このカラッとした明るさにビックリ。 この人たちは本当に海を愛していた、魚を愛していた。その人たちから奪ったのだ。 そして「3・11」も、また。 「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」
Posted by
水俣病をテーマにしたルポかと思って敬遠していたのだが、1ページ目に「こそばゆいまぶたのようなさざ波」というすばらしい表現があり、文学作品として拝読。 水俣病という重苦しいテーマにもかかわらず、著者が豊かな表現と感受性で描写する水俣の民のみずみずしさ。 人々が生き生きと描かれている...
水俣病をテーマにしたルポかと思って敬遠していたのだが、1ページ目に「こそばゆいまぶたのようなさざ波」というすばらしい表現があり、文学作品として拝読。 水俣病という重苦しいテーマにもかかわらず、著者が豊かな表現と感受性で描写する水俣の民のみずみずしさ。 人々が生き生きと描かれているだけに、公害病の恐ろしさがまた浮き彫りになる。悲惨なのに美しい。美しいのに悲惨。 「なんの親でもよかたいなあ。鳥じゃろと草じゃろと。うちはゆり(娘さん)の親でさえあれば、なんの親にでもあってよか。なあとうちゃん、さっきあんた神さんのことをいうたばってん、神さんはこの世に邪魔になる人間ば創んなったろか。ゆりはもしかしてこの世の邪魔になっとる人間じゃなかろうか」 万人におすすめできる作品ではないけれど、私は読んでよかった~。
Posted by
美味しそうな描写があるという書評をみかけて、興味を持ち、手に取りました。 すごい文書力です。 生き生きとした方言で語られる生活、そして、苦しみ。間にはさまれる報告書や記録の冷たい事実。 文学としてのすばらしさと水俣病に対する会社と政府の態度のゲスさ。 最近、中国の公害のニュースを...
美味しそうな描写があるという書評をみかけて、興味を持ち、手に取りました。 すごい文書力です。 生き生きとした方言で語られる生活、そして、苦しみ。間にはさまれる報告書や記録の冷たい事実。 文学としてのすばらしさと水俣病に対する会社と政府の態度のゲスさ。 最近、中国の公害のニュースを見ると、バカにする日本人が多い気がするが、こんな公害が発生し、これほどまで放置されていた事実は忘れてはならないでしょう。
Posted by
読みにくそうだな、との思い込みで、ずっと本棚にあったのに、読まなかった本。 気合いを入れて、読み込んだ。なんと濃密な世界か。想像を絶する悲惨さを描きつつ、それぞれが生きている証を感じた。死もまた生きた証なのだ。右も左も、そして神も、医学も、さらには作者自身をも唾するような場面が...
読みにくそうだな、との思い込みで、ずっと本棚にあったのに、読まなかった本。 気合いを入れて、読み込んだ。なんと濃密な世界か。想像を絶する悲惨さを描きつつ、それぞれが生きている証を感じた。死もまた生きた証なのだ。右も左も、そして神も、医学も、さらには作者自身をも唾するような場面が見られ、深く考えこまされた。 これがルポルタージュでないと、聞き書きでないと、文学なのだと「解説」で読んで知り、衝撃を受けた。文学として読むと、なんと人間の深部と崇高に迫った希有な書であろうか。 ゆき女、杢太郎、ゆりと脳裏に焼き付いて離れない。
Posted by