脳はなぜ「心」を作ったのか の商品レビュー
ロボット工学の研究者が至った「人間の心の真理」について書かれた本。 ・自分とは、外部環境と連続している存在 →わかる ・「意識」は主体的な存在ではなく、脳の中で無意識に行われた自律分散演算の結果を、受動的に受け入れている存在 →わかる ・その「意識」はエピソード記憶のためにある...
ロボット工学の研究者が至った「人間の心の真理」について書かれた本。 ・自分とは、外部環境と連続している存在 →わかる ・「意識」は主体的な存在ではなく、脳の中で無意識に行われた自律分散演算の結果を、受動的に受け入れている存在 →わかる ・その「意識」はエピソード記憶のためにある →わかる ・さらにその「意識」の中にある〈私〉の正体は無個性なクオリアの錯覚 →わかる ・〈私〉は脳の錯覚現象。こんなの地球上に星の数ほどもあるから自分の一つがなくなってもなんでもないし、死んでも大丈夫。死は怖くない。 →わからない… 私にとって、死ぬのが怖いというのは、苦しむのが怖いというのと同義なので、これを読んで死ぬのが怖くなくなるかというと全くそんなことはない。ちょっと飛躍している気がする。 でも、受動意識仮説は興味深かったし、文系の人間でもわかるように書かれていておもしろかった。自己に対する新しい視点を持つことができ有益だったと思う。
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クオリアとは、五感から得た情報と、心の内部から湧き出てきた情報を、ありありと感じる質感。 膨大な脳神経の活動の中から特徴的なものに注目して、それを個人としての体験に変換したものが意識であると、著者は言う。意識はエピソード記憶をするために生じたもので、それによって高度な認知活動が...
クオリアとは、五感から得た情報と、心の内部から湧き出てきた情報を、ありありと感じる質感。 膨大な脳神経の活動の中から特徴的なものに注目して、それを個人としての体験に変換したものが意識であると、著者は言う。意識はエピソード記憶をするために生じたもので、それによって高度な認知活動ができるようになった。意味記憶よりも後に獲得されたものである。 すべての脊椎動物は、中枢神経系を持ち、大脳新皮質もあるので、知情意、学習と記憶を行っていると思われる。哺乳類のほか、鳥類も、いつ何が起こったかを記憶しているので、意識を持っていると言える。 行動には3つの方法がある。1つ目は、フィードバックに基づく、脊髄反射のような場当たり的な行動。2つ目は、フィードバック誤差学習による逆モデルで表される試行錯誤的な行動。3つ目は、頭の中で行動のシミュレーションをする順モデルを用いたイメージトレーニングとして表される行動。
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プロローグを読んでいる限りはかなり大風呂敷を広げて断言してしまっているように思う。大丈夫なのか? もしかしてトンデモに手を出してしまってはいないか? 読み進めていくと決してトンデモではなく意識と身体、さらに自意識のシステムが語られる。ニューラルネットワークをあたかもそれ自体が人格...
プロローグを読んでいる限りはかなり大風呂敷を広げて断言してしまっているように思う。大丈夫なのか? もしかしてトンデモに手を出してしまってはいないか? 読み進めていくと決してトンデモではなく意識と身体、さらに自意識のシステムが語られる。ニューラルネットワークをあたかもそれ自体が人格や意思を持つごとく小人たちと名付けてみたりとアイデンティティーを揺さぶるような扇情的な記述が並ぶが「利己的な遺伝子」やダーウィン、フロイトなどの一種パラダイムシフトにはなっておらず、ミスリーディングに思えてしまう疑義が生まれてしまった。 実際の最終章である第4章が、それまでのクール、もっと言うと冷淡な挙述から一転し、やたら熱くなる。結局これがやりたかったのだとわかる。宗教をこちらがびびるほど否定、人権意識を拡大し、アジテートしてくる。その論調が少しかわいいのだ。
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さぁー来た来た来た、・・・やばいぞ! ひとに薦められ、タイトルに惹かれて開いてみたこの本、「脳はなぜ「心」を作ったのか」のプロローグを読んで真っ先に思ったのはそのことでした。 正確にはプロローグだけじゃなくて、何だろうこの人、と思って開いた奥付のプロフィール欄。慶応大学の教授で...
さぁー来た来た来た、・・・やばいぞ! ひとに薦められ、タイトルに惹かれて開いてみたこの本、「脳はなぜ「心」を作ったのか」のプロローグを読んで真っ先に思ったのはそのことでした。 正確にはプロローグだけじゃなくて、何だろうこの人、と思って開いた奥付のプロフィール欄。慶応大学の教授で、ロボット工学者である。 ロボットの先生が脳と心について考えている! やばいぞ! というわけです。 プロローグには、「私は、生物の脳が、なぜ、なんのために心を造ったのか、そして、心はどんなふうに運営されているのか、という心の原理を理解した」と思い切り書いてあります。 いったいこの人は天才か。ユーモアリストか。はたまたパンドラの匣を無理に開こうとするマッドサイエンティスト(エンジニア)か・・・その話題のゆくえに興味惹かれるとともに、「ロボットに心は可能か」なんていう恐るべきテーマにどのような解を与えるつもりなのか、とにかく急かされるような気持ちで読みました。 * ネタバレってこともあるので、その答えはここでは書きませんが、なるほど、以前書いた「ロボットは心を持つのか?」(PLUTOの項)という疑念には、一定の解答を与えてくれました。でももうひとつの「理解不能な恐ろしいものに違いない」という思い込みを解いてくれるものではありませんでした。 そういう意味では、この人マッド・サイエンティスト(エンジニア)までは言わないまでも、いささか楽天的過ぎるのではなかろーか? やっぱやばいぞ。というのが読後の率直なところです。
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「私」は、すべてを知って制御しているのではない。「私」は受動的に無意識の選択を受け入れているので、自分が主動的に決定しているというのは錯覚である。という主張だ。
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受動意識仮説は今までになく新鮮に感じた。 自分の意識は単なる客観的な観察者なのか。興味は尽きない。 次は中田力先生の本を読もう。
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私にとって、リベットの実験結果が、すべての始まりでした。指を動かそうと「意識」するよりも先に、意識下の動作が先行するという。これを受け入れると、著者の「心の地動説」は、楽に受け入れることができます。それに、仏教的に無私とか、思考を停止させるといったメディテーションを訓練すると、...
私にとって、リベットの実験結果が、すべての始まりでした。指を動かそうと「意識」するよりも先に、意識下の動作が先行するという。これを受け入れると、著者の「心の地動説」は、楽に受け入れることができます。それに、仏教的に無私とか、思考を停止させるといったメディテーションを訓練すると、具体的にも理解できます。過激なまとめ方なのだと思うのだが、学会や世間の反応はどうなのだろう。一方で、人間はおろかで醜い存在でもあるので、著者ほど楽天的な社会は描けませんが。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「クオリア」については別途調べる。「死」についての筆者の考えが唐突だが自然である。「意識」とは何かについての仮説を述べている。簡単に言うと、脳は多数の「エージェント」により構成されている。その「エージェント」は自律的に様々な「入力」や「相互作用」により「出力」を行なっている。その「出力」の流れの最下流にいるのが「意識」である。「意識」してから何らかの行動を行なっているのではなく、これらの自立した「エージェント」の「出力」の総体が「意識」であるとしている。これは、「意識」の前に「行動」が始まっているという実験に基づくものである。コンピュータのアーキテクチャとしてもそれが自然であると思う。
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さまざまな未解明な謎について,本人は「わかった」ような気がしているようだ.ただ,あまり科学的な内容ではない.現在わかっている問題を考えたときに「それなりに整合するような考え方でしょ?」ということを言っているだけ.
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なぜ私たちに意識があるかの回答として、「エピソード記憶を強化するためにある」というのは個人的に新鮮で興味を持った。膨大な記憶を可能とするエピソード記憶が人間の特殊性の一旦を担っているというのはいかにもそれらしい話だし、逆に言えばエピソード記憶が見られない動物に関しては意識の程度も...
なぜ私たちに意識があるかの回答として、「エピソード記憶を強化するためにある」というのは個人的に新鮮で興味を持った。膨大な記憶を可能とするエピソード記憶が人間の特殊性の一旦を担っているというのはいかにもそれらしい話だし、逆に言えばエピソード記憶が見られない動物に関しては意識の程度も低いというのもとりあえずは納得ができる。 惜しいと思うのは、本書の後半あたりである。 この辺りは前半を受けての随筆なのだが、全体的に議論が浅い。また、人間の意識というものに神秘性がないことを大げさに表現しすぎている。 特に「特別性がないがゆえに死ぬことを恐れる必要はどこにもない」といったような記述は噴飯ものといってもよいレベルで、小説の中のキャラクターに言わせるにせよやや陳腐な感じがあるのは否めない。また、このような科学の成果を持って宗教の役割がなくなる、というのも宗教というものを矮小化しすぎているのだが、このあたりをまともに突っ込み始めると終わらないのでここでは控えておこう。 本書で参考になるとしたら前半部分と、あとはメカニズムをわかりやすい言葉で解説してくれている補稿だけであり、著者の思想が垂れ流されている後半を読むときには十分な注意が必要だ。もっとも、意識の受動性を強調している前半部分も、この本の出版年度(2003)を考えればそこまで突飛な考えでもない気もするのだが、一般向けに書いたというところが評価されているのだろうか。
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