忘れられた日本人 の商品レビュー
当時の生活や雰囲気がよくわかる。文字がない世界に生きてた伝承者は、信じる力をもつ人だけだった。文字を使える人の役割、という見方は感心した。
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「維新以降の日本のリアル」を知りたい欲求が止まらない今日この頃。大河ドラマの「史実との違いを探せばキリがない」という謎の開き直りや、「君たちはどう生きるか」のコぺル君周辺のSF的とも言える豪奢な生活ぶりを鑑み、一度ストレートに民俗学に立ち戻っては如何だろう?と名著の呼び声高い本書...
「維新以降の日本のリアル」を知りたい欲求が止まらない今日この頃。大河ドラマの「史実との違いを探せばキリがない」という謎の開き直りや、「君たちはどう生きるか」のコぺル君周辺のSF的とも言える豪奢な生活ぶりを鑑み、一度ストレートに民俗学に立ち戻っては如何だろう?と名著の呼び声高い本書を。大当たりです。 民俗学と言えば夜這い、夜這いと言えば民俗学ですが、やはり性の話題を避けてはリアルが見えない近代日本。この本の白眉は、橋の下で30年起居する盲目の乞食の性遍歴を30ページにわたって綴る「土佐源氏」。人生って凄い。これからも既成の価値観をグラつかせてくれる書籍を読んでいこう。
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ほんの数十年前のことと思えないほど、人の生活や価値観、倫理観の違いに驚く。 常識や当たり前とはなんなのか
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素晴らしい。とても読みやすいとは言えないが、熱量がすごい。どの村も部落も誰かが拓いたもの、それを維持するために命を燃やしたもの、それを引き継ぐもの、全てが揃わなければ、今の世に現存しない。平成の大合併でほぼ村がなくなった。相互依存による継続か、個性の死滅か、答えは未来にあるんだろ...
素晴らしい。とても読みやすいとは言えないが、熱量がすごい。どの村も部落も誰かが拓いたもの、それを維持するために命を燃やしたもの、それを引き継ぐもの、全てが揃わなければ、今の世に現存しない。平成の大合併でほぼ村がなくなった。相互依存による継続か、個性の死滅か、答えは未来にあるんだろう。会社も同じ。肝に銘じたい。
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寄りあいに興味が出て読む。それ以外は拾い読み。 日本の村には寄りあいというのがあったらしく、そこで村人は自分たちが納得いくまでいつまでも村の課題を話し合っていたらしい。議論の仕方は、自分の経験や体験、知っていることを話し、いろんな意見が出たうえで長老みたいな人にうかがう、という方...
寄りあいに興味が出て読む。それ以外は拾い読み。 日本の村には寄りあいというのがあったらしく、そこで村人は自分たちが納得いくまでいつまでも村の課題を話し合っていたらしい。議論の仕方は、自分の経験や体験、知っていることを話し、いろんな意見が出たうえで長老みたいな人にうかがう、という方式。面白いと思ったのが、村の文化伝承などの中心は隠居した人たちだったそう。村での隠居は早く、40~50で隠居。わりかし自由に動き回れるので地域貢献もできたそう。今は難しいから行政が出たほうがいいのかなぁ、どうかなぁ…忘れられた日本人だもんなぁ…
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再読。 柳田民俗学が風俗や風習に焦点をあてた横串の民俗学だとすれば、宮本民俗学はひと一人ひとりの個人史を追う縦串?の民俗学だ。でもそんなことはどうでもよい。 宮本常一の聞き取る古老たちの、あるいは村の生活史は、一つ一つがおとぎ話みたい。村の名士も、橋の下の乞食(本人がそう名乗...
再読。 柳田民俗学が風俗や風習に焦点をあてた横串の民俗学だとすれば、宮本民俗学はひと一人ひとりの個人史を追う縦串?の民俗学だ。でもそんなことはどうでもよい。 宮本常一の聞き取る古老たちの、あるいは村の生活史は、一つ一つがおとぎ話みたい。村の名士も、橋の下の乞食(本人がそう名乗る)も、それぞれの時代を自分なりに精一杯に生きた。 楽しいばかりでも、哀しいばかりでもない。それらが縦横に入り組んで織りなす人生の物語は、どっしりとした重量感がある。 後の世に伝わるのは王様や天才や豪傑の名前だけれど、本当に歴史を作るのは、大勢の名もないただの人たちだ。著者が残そうとしたのは、語らぬ人々の語る声。 「無名にひとしい人たちへの紙碑の1つができるのはうれしい」
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時代の進歩の陰で失われていくもの、忘れ去られていくものを考え直させられる。時代は常に移り変わっていくもので、今もなおその中で繰り返し何かが淘汰されていく。全てを残すことが良いのではない、しかしここに収められた先人の足跡は根本的な人間のあり方として心の片隅に生かす価値のあるものであ...
時代の進歩の陰で失われていくもの、忘れ去られていくものを考え直させられる。時代は常に移り変わっていくもので、今もなおその中で繰り返し何かが淘汰されていく。全てを残すことが良いのではない、しかしここに収められた先人の足跡は根本的な人間のあり方として心の片隅に生かす価値のあるものであることは間違いない。
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「姑による嫁いじめ」も「嫁による姑いじめ」もあったが、前者ばかりが有名なのは若い方が発信力が強かった、という話。 などなど相変わらず興味深い話が盛りだくさんの宮本常一氏の著。ほんの少し前のことなのに結構忘れられていたり、事実とは異なる固定観念にとらわれていることも少なくない。 ...
「姑による嫁いじめ」も「嫁による姑いじめ」もあったが、前者ばかりが有名なのは若い方が発信力が強かった、という話。 などなど相変わらず興味深い話が盛りだくさんの宮本常一氏の著。ほんの少し前のことなのに結構忘れられていたり、事実とは異なる固定観念にとらわれていることも少なくない。 その一例が先述の嫁いじめ姑いじめの件であり、また「女性は一人旅をしない」とかいうのも実際はそうでもなかったりという話である。 本書は様々なテーマの章があって、対馬の村落の成り立ちや合議の形成方法なども大変興味深いのだが一つ選べばやはり「土佐源氏」であろう。 土佐で博労(馬や牛の売買人)をしていて、いまは盲目となって乞食をしているという男性からの聞き書き、という体であるが、別の人の話によるとこの博労は盲目でも乞食でもなかったらしい、が、ともあれ話の内容は概ね事実(少なくとも聞き取った内容に忠実)であるとのことである。 この博労は夜這いで生まれた父なし子で、すぐに祖父母に預けられる。母は働きに出るがそこで事故に遭ってすぐに死んでしまう。物心ついたときには彼は「子守り」と一緒にいた。 この「子守り」というのは貧乏な家の子の定番奉公であって、豊かな家に雇われてその家の子(未就学児)を預かるわけだが、なんだかんだで貧乏人の家の子もそこに混じって面倒を見てもらったりもしていたらしい。 で、同年代の子が学校に行く歳になっても彼は学校に行けず、そのまま子守り仲間と育つ。扶養者は隠居の爺婆だから家の手伝いをさせられることもなかった。 そうこうしている内に子守り同士で悪い遊び、つまりは性行為をおぼえ、雨で外で遊べないときは納屋で見せあったり入れたりしていたそうな。 「あんまりええとも思わだったが、それでもやっぱり一ばんおもしろいあそびじゃった」 まあそんな所から始まって彼の女遍歴がとうとうと語られていく。明治大正期にも様々な愛の形、性の形があったのだということを改めて知らしめられる。 宮本氏の話が面白いのは、一貫して「人々」でなく「人」を見ている所であるように思う。幾人かの話を混ぜて「この地域では」などと雑にまとめたりせず、一人ひとりの話を聞き、それを記録している。一人ひとりを積み上げた上で「東日本」と「西日本」を対比しようとしている。 学術的に考えればやはりどこかで「人々」に統合しなければならない場面も出てくるのであろうが、ただの趣味人としては、氏の残してくれた膨大な「個」の記録をただただ眺めていたい衝動に駆られるのである。
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わずか百年たらずのうちに、日本人の生活はこうも変わってしまったのか…。 数十年前までは、日本全国にありふれていた風景と生活ぶり、しかし今ではイメージすることさえ難しい。 そしてここで描かれている人々のなんと情緒豊かなこと…。ワタシたちの暮らしのなんと殺伐としていること…。 ...
わずか百年たらずのうちに、日本人の生活はこうも変わってしまったのか…。 数十年前までは、日本全国にありふれていた風景と生活ぶり、しかし今ではイメージすることさえ難しい。 そしてここで描かれている人々のなんと情緒豊かなこと…。ワタシたちの暮らしのなんと殺伐としていること…。 色んな感慨を深くして再読したい本です。
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不勉強で、民俗学の世界に「宮本民俗学」があることを知らずに今に至ってしまいました。各地の老人たちの語りを通じて、忘れられた日本人の生きようをあぶり出す傑作。分けても、「私の祖父」が深く深く心に残る。
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