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善の研究 の商品レビュー

3.9

43件のお客様レビュー

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2014/01/02

結果はなるべくしてなる。 そうかーそうだよな。ある程度特定の状況が重なるとその結果を予想することができる。 それを避けるには準備が必要などなど難しいことはないがあんまり楽しいってわけでもない内容でした。 それと、でも精神の話は良かった。自然とひとつになって客観的な思考で器を大き...

結果はなるべくしてなる。 そうかーそうだよな。ある程度特定の状況が重なるとその結果を予想することができる。 それを避けるには準備が必要などなど難しいことはないがあんまり楽しいってわけでもない内容でした。 それと、でも精神の話は良かった。自然とひとつになって客観的な思考で器を大きくしたら幸せになれるよねとあってそんなことをある物理学者も言ってたなと思い自分もそういう考えを持った人になりたいと思いました。 自然に淘汰されるとまでは行かないですが川の流れに身をまかせ本質を見極めあるがままを受け容れるのは良いですね。 他に何というか、何もそんな面倒な言葉(純粋経験とか)使わなくてもいいのではないかと(時代とか著者の趣味ですかね)、内容をより早く理解するのに手間取りました。 斜め読みが向かないので結構もしかしたら重要な箇所を読み飛ばした感じがします。

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2013/05/16

知識・研究として読むのではなく、自分のなかの善とは何かということを、己に照らし合わせながら読むと楽しい。

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2013/03/12
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

西田先生の尊敬すべきところはなにより、相対主義を認めようとせず唯一の絶対的真理を追求する姿勢。ポストモダンとかいって、多元的な価値観に甘やかされた我々に喝を入れてくれること間違いなしです。 疑いようのない知識を『純粋経験』に求め、その視点から実在や倫理を論じています。善・宗教を論じはじめたあたりから、さすがにノリきれず、身の縮む思いでした・・・w でもそのくらいデッカく考えたほうが、大きく生きられそう。 還元主義者たちに肘鉄を食わすような言葉もちらほらと・・・。 『物体に由りて精神を説明しようとするのはその本末を顛倒した者といわねばならぬ』 でも、この本で人の生き方を説く以上、西田先生はこの書の思想を実践しているはずで、どんな生き方をしたのだろう・・・。 西田先生の人生にも興味のわく本でした。 (西田先生をパパラッチしてやろう、フッヒッヒッてイジワル言ってるわけじゃありません)

Posted byブクログ

2013/03/10

純粋経験がなんたらかんたらと考えているうちに、数ページで確実に眠たくなる本。 眠れない人におすすめです。 (なぜこういうレビューが出てこないのか謎) 5章は比較的読めました

Posted byブクログ

2012/11/07

中世以降の西洋哲学の始まりがデカルトによる「我思う、故に我あり」だとするなら、文明開化以降の日本哲学は西田幾多郎による「純粋経験ゆえに我あり」から始まるのだろうか。それはデカルト的な主客二元論を否定し、知識(=客観)とその対象(=主観)が合一している状態こそ全ての実在の根底に置か...

中世以降の西洋哲学の始まりがデカルトによる「我思う、故に我あり」だとするなら、文明開化以降の日本哲学は西田幾多郎による「純粋経験ゆえに我あり」から始まるのだろうか。それはデカルト的な主客二元論を否定し、知識(=客観)とその対象(=主観)が合一している状態こそ全ての実在の根底に置かれているとする思想であり、その知性を疑い自己に宇宙を見い出す姿勢は善の思想は禅の思想でもあるのだということを示している。本書によれば、善とは何より自己の実現であり、それは真の自己は宇宙の根本でもあると認識することなのだ。まじですか

Posted byブクログ

2011/09/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

難しい。 とにかく難しいです。 前半の内容が特に理解不能で、純粋経験なるものを解説していますが一知半解…。主観と客観の超越とか言われても今一つピンときません(笑) 本書後半からがタイトル通り『善の研究』について述べています。こちらの方が分かりやすい。ただ、これといった知識を得られないまま読み終えてしまい(これは僕の理解力不足にある)、また歳を重ねてから読むといいのかなと感じました。 上記引用を見れば分かる通り、本質の本質を掘り下げようとする姿勢には感服です。『なぜ地球が自転しているのか』『なぜ私が私であるのか』『なぜ殺人を犯してはならないのか』『インセストタブーの普遍性』…例えを挙げればきりがありません。しかしこの根本的な質に、明快で説得力のある答えは未だかつて出されたことはありません。 人格の実現が善ならば、突出した、つまり何かに秀でたものがある人が良い、と。個々人の突出したものが総体として民主主義につながっていく、あるいはそれらが互いに刺激し合って多様な社会・文化を育んでいく…。 読後感としては『すごい』の一言に尽きます。日本にはこれほどの哲学者がいるのかと、驚愕しました。 純粋経験(主客合一)の視座を築き、さらに実在論や神についての考察はまさに圧巻です。 本書の最後、 主観は自力である、客観は他力である。我々が物を知り物を愛すというのは自力をすてて他力の信心に入る謂いである。人間一生の仕事が知と愛との外にないものとすれば、我々は日々に他力信心の上に働いているのである。学問も道徳も皆仏陀の光明であり、宗教という者はこの作用の極致である。学問や道徳は個々の差別的現象の上にこの他力の光明に浴するのであるが、宗教は宇宙全体の上において絶対無限の仏陀その者に接するのである。 (―中略) 而してこの絶対無限の仏もしくは神を知るのはただこれを愛するに因りて能くするのである、これを愛するが即ちこれを知るのである。印度のヴェーダ教や新プラトー学派や仏教の聖道門はこれを知るといい、基督教や浄土宗はこれを愛すといいまたはこれに依るという。各自その特色はないではないがその本質においては同一である。神は分析や推論に由りて知り得べき者でない。実在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのはただ愛または信の直覚に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我ただ神を愛すまたはこれを信ずるという者は、最も能く神を知りおる者である。 上記引用は秀逸。鋭い洞察力と言えます。『知を愛する』という単語(フィロソフィア=哲学)があるのを知ってか知らずか、それを神と結び付ける技、巧みな論考には驚きです。 と、素晴らしい本だと褒め称えたいのですが、恐らく本書の半分も理解していないだろう僕の頭では、『面白いけどもっとわかりやすく解説して!』と心の中で叫んでいるので(笑)評価をA―にします。

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2011/05/29

再読。かなり昔読んだときよりも、格段によく理解できた。 特に前半(第1編、第2編)がすばらしい。禅的な香りもする「純粋経験」の思想は、たしかに画期的かもしれない。 ただし後半(第3編、第4編)は倫理学、宗教を扱うが、急に平易になり、哲学入門めいた密度の薄さで、物足りなかった。 後...

再読。かなり昔読んだときよりも、格段によく理解できた。 特に前半(第1編、第2編)がすばらしい。禅的な香りもする「純粋経験」の思想は、たしかに画期的かもしれない。 ただし後半(第3編、第4編)は倫理学、宗教を扱うが、急に平易になり、哲学入門めいた密度の薄さで、物足りなかった。 後年の西田幾多郎は、このように「神」を語ったりしない。 このあとの著作と比較してみても、全体に、この本はとてもわかりやすく書かれている。

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2011/04/19

さすがの密度。読み慣れないので骨が折れるが、一章一章で他の本なら一冊分くらいの内容がある。日本最初の哲学書が分別の還元なのも面白い。

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2010/09/23

「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の四篇からなる。60年も前に出版されたもので、発想に新しさを求めるのは難しいが、『「いき」の構造 (岩波文庫)/九鬼 周造』に似て、その思索と思想に詠嘆に値する見事な一冊。 本書は著者が三十歳代の十年間を過ごした高等学校の講義のための草案で、二...

「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の四篇からなる。60年も前に出版されたもので、発想に新しさを求めるのは難しいが、『「いき」の構造 (岩波文庫)/九鬼 周造』に似て、その思索と思想に詠嘆に値する見事な一冊。 本書は著者が三十歳代の十年間を過ごした高等学校の講義のための草案で、二篇と三篇に他を加えた構成になっているらしい。正直なところ読みにくくて、多分海外の哲学書に慣れたからだろうと思ったが、読み終えてから眺めてみると、かなり重要な箇所に重点が置かれていて、教育に向きだと思った。 本書を読んで、もしかしたら自分が苦手だと思っている中島義道の本も、相性の問題ではなくて慣れの問題ではないかと思えて来た。今は興味が手元にある氏の本に向いていないので、落ち着いたら開いてみようと思う。 ただし、本書は歴史的な宗教考察をするものではなくて、特に四篇に関しては著者の私的発想について述べられているものなので、そういった類いを期待することはできない。 そして頻発する偶然の話をすると、本書は半分ほど読んだところでしばらく放置してしまっていて、昨日『世界がわかる宗教社会学入門』を読み終えて、何となく本書を手に取ったのだけど、三篇と四篇はそれに直結した内容で、自身の宗教と倫理・論理に対する認識の位置を明確にするのに役立った。 最近読書に関して思うのは、西田先生の言を借りると、発展完成のうちにあるもので、偶然性と適当に諦めて進めるものだということ。そこには技術・姿勢といった問題があって、それを発展させる過程に注視せねばならないが、それを個性と呼べる程度まで昇華させてからでよいという個人的趣向がある。 最近は「〜する」とか「〜したい」と言うことに少し敏感になっていて、なるべく言わないようにと思っている。再読すると言って読んだ本なんてミルの自由論くらいしか思い当たらないし、でも読書に関してはそこで諦めたくないので違和感を封じて言ってしまっていたりする。 そしてこれも偶然なのだけれど、数ヶ月前から悩んでいた「特質と技術」の関係の問題が、最近徐々に解決していて、本書を読むことで一応の解決をみせたのでよかった。途中の期間的断絶のせいもあって理解が不十分というかほぼゼロなので、余暇を使って読み直したいと思う。 『「いき」の構造』のときには気づかなかったけど、僕はこういうウマい本が苦手で、づいづい進んでしまう割には読み終えたときの理解度(もしくは満足度)が他の本に比べて低くなってしまうらしい。今回もそうで、共有する発想が多いのもあってか、いっそう後に残る者が少なかった。

Posted byブクログ

2010/08/28

第三編の途中あたりから俄然面白くなるが、面白い部分はがんこじいさんの説教みたいにも聞こえる。学術的な部分、言葉遊びにしか思えないのは修行が足りないんだろうなきっと。

Posted byブクログ