能力構築競争 の商品レビュー
アメリカの技術にも決…
アメリカの技術にも決してひけをとらない日本の技術のすごさを垣間見ることができる。
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ある会社の「人だけ」総入れ替えしたとする。昨日までの会社と、入れ替えてからの会社は、同じように操業できるだろうか。設備やマニュアル、制度はあっても、そこに対する熟練、人が保有するノウハウがない。作業標準があれば、手探りでもある程度現場は動くだろうが、外殻だけあってもやはり会社が今...
ある会社の「人だけ」総入れ替えしたとする。昨日までの会社と、入れ替えてからの会社は、同じように操業できるだろうか。設備やマニュアル、制度はあっても、そこに対する熟練、人が保有するノウハウがない。作業標準があれば、手探りでもある程度現場は動くだろうが、外殻だけあってもやはり会社が今まで通り、機能するとは言えない。これは若干、ドラゴンボールのギニュー隊長がその技により悟空の身体と「チェンジ」したが、肉体と精神が一致せず、力を発揮できなかったという現象に似ている。 企業の業績を左右するのは景気や外部環境もあるから、一時の経営不振で、即その企業が弱い、とはならない。業績の波を超えながら、企業は経験を組織に取り込みながら能力を構築しているものだというのが本書。上述は、その能力が宿るのは、肉体か精神かを私が勝手に妄想したもの。 例えば、会社で働く全ての人が、逆に全く別の会社を立ち上げたならば、今までと似たような会社を作る事はできる。しかし、人だけ変わった今までのA社、新しく立ち上げたB社はどちらが強いだろうか。 強さは人に付随する。しかし、それはジワジワと会社の仕組みに組み込まれていく。自動車産業に関して、私はまだA社が勝つのではと思う。つまり、系列も販売店もブランドも同じで、従来通りのモノづくりが可能ならば、消費者は、A社の商品を買わない理由があまりない。 つまり、日本の自動車産業が何故強いか、これは、築き上げてきたブランドによるのだが、そのブランドを磨き上げる組織の日々の向上心が機能していて、それによる積み重ねだと言える。 その中で、古いのだが「リエンジニアリング」という考え方が重要なポイントの一つだと思った。 ー アダム・スミス以来、分業は生産性向上をもたらすとされてきたが、二十世紀の教訓は「過ぎたるは及ばざるがごとし」、つまり過剰分業の弊害であった。専門化の論理を武器に二十世紀前半、世界経済を席巻したアメリカ式大量生産方式が二十世紀後半になって失速しはじめた一因が過剰専門化であったことは、いまや定説といえる。労働者の作業や生産設備を細かく専門化しすぎたために、生産システムが硬直化し、調整コストやムダが発生し、コスト・品質面の競争力を低下させた、ということである。しかし、戦後日本の自動車企業などの生産現場では、そうした過剰分業的制度の導入が抑制され、むしろ幅広い職務区分、多能工育成、多工程持ちなどの組織ルーチンが定着し、競争力を支えてきたわけである。一九九〇年代に一時流行したアメリカ発の「リエンジニアリング」は、過剰分業を回避すべきことを正しく指摘していたが、日本の生産現場ではこのことは理論なき実践として長く定着していたのである。しかし、日本メーカーははじめから国際競争力の向上を目的として、意図的に過剰分業を回避してきたのだろうか。そうともいえない側面がある。むしろ、国内市場が成長していくなかで、生産現場が恒常的に「猫の手も借りたい」状況に置かれていたため、欧米量産企業のように細分化された職務区分を工場に持ち込みたくてもその機会がなく、幅広い職務配分とせざるをえなかった、という状況が頻繁に観察される。 ー 社長が送り込まれたことによって「事実上傘下に入った」とみる向きもあるが、むしろ「能カ補完型の提携」とみることも可能だ。そもそも、オペレーション能力で世界をリードする日本企業は、その「もの造り能力」を海外拠点に適用する「トランスプラント戦略」を柱にグローバル化を進め、またその開発力を使って高級車分野への多角化を図るという、欧米企業とは異なるオペレーション主導の展開をみせてきた。しかし、バブル経済崩壊後の一九九〇年代、戦略構想能力の弱さが一部企業で顕在化し、マツダ、日産、三菱などが財務的に苦境に陥ったそこに目をつけたのが、資力と戦略構想力で優る一部の欧米企業であり、これら日本企業との包括的資本提携を果たした。これを、欧米企業の地域補完的な対アジア戦略とみることもできるが、「組織能力補完型」の提携とみることもできる。すなわち、社長送り込みによって、日本企業の戦略構想能力の弱点を短期集中的に強化し、また資本注入によって財務的体力を回復させる一方、依然として強い日本企薬の製造・開発能力は徹底的に活用する、というものである。 考えさせられるし、勉強になる本。
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トヨタの「マニュファクチャラーとしての能力」がいかに優れているか、それがどのようにして構築されてきたのかについて非常に深い考察を重ねる。この能力は、創発的なアプローチのたまものであり、能力を構築する能力の高さに帰着できることを喝破。非常に参考になる。製造業のマネージーのみならず、...
トヨタの「マニュファクチャラーとしての能力」がいかに優れているか、それがどのようにして構築されてきたのかについて非常に深い考察を重ねる。この能力は、創発的なアプローチのたまものであり、能力を構築する能力の高さに帰着できることを喝破。非常に参考になる。製造業のマネージーのみならず、すべてのビジネスマンへ。
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2003年刊行。戦後日本の躍進を支えた製造業、特に自動車製造にかかる日本のモノ造りの特色と長所(特にトヨタ方式)を、史的経緯・システム構築などの面から解読し(「能力構築競争」に由来する)、現在低迷する他の製造業者や自動車製造業者の処方箋の一助にしようとする意欲作。重複が多く、よりシンプルに圧縮できたとは思うが、内容は充実。特に、偶然など要因が明快でない試行錯誤から製造方法の暫時改善がなされた(創発的革新)点、日本をキャッチアップしようとした欧米メーカー、果ては将来像まで広く叙述。少し古いが参考になる。
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「日本の自動車産業は、なぜこれほどまでに強いのだろうか?」以前から、私の頭の片隅に漠然と存在していた疑問が、本書を読むことで氷解した。 本書は、わが国の自動車産業が、国際競争でもトップレベルを維持し続け、なぜ世界シェア30%を占めるまでに至ったのか、そして、なぜ21世紀に入っ...
「日本の自動車産業は、なぜこれほどまでに強いのだろうか?」以前から、私の頭の片隅に漠然と存在していた疑問が、本書を読むことで氷解した。 本書は、わが国の自動車産業が、国際競争でもトップレベルを維持し続け、なぜ世界シェア30%を占めるまでに至ったのか、そして、なぜ21世紀に入った現在も最高益を更新し続けているのかについて、主にトヨタ自動車をケースとして取り上げ、「もの造り経営学」の視点から競争の本質について分析した、興味深い書である。 著者は、能力構築競争とは、「企業が経営の質を高めるために切磋琢磨し、組織能力を改善することによって深層の競争力レベルで競い合うこと」だと定義し、企業・産業の長期的な発展パターンを、この「能力構築競争」という視点から分析している。 著者はこの視点を軸に、自動車企業の長期的反映の重要な要件として、①顧客や株主を満足させることのみでなく労働者に人気があること、②地域社会への貢献が認められていること、③サプライヤーと長期的に共存共栄できることを要件とし、従ってこの用件を満たすことにより、わが国の自動車産業は強さを誇ってきたと述べている。 そこで私は、今日の競争力の形成にあたって必要な条件として、企業の社会的責任(CSR)の徹底を、④として提案したい。なぜならば(①~③にも当然含まれていると思うが)、現代企業に求められる社会的な責任は、従来の経済的あるいは法的な企業の責任を大きく超えた概念にまで広がっているからである。特に欧米を中心として、CSRは広く浸透しており、社会的責任投資というスタイルまで確立されている。CSRは競争力強化のためには、もはや不可欠の要素となっている。 つまり、「法令順守やコーポレートガバナンスなど、倫理面や経済性への配慮」を含めた①~④が競争力の重要なポイントになる。その結果として、「リスク・マネジメントの強化」、「ブランド価値の向上」、「優秀な人材の確保」、「市場からの評価」といった企業の長期的な安定性や成長性のための要件が確保されるのではないかと考える。 また、本書では、自動車産業の光のあたる部分だけでなく、もの造り能力と戦略能力のアンバランスなど、能力構築競争によって生じた影の部分にも触れており、製造業の現状分析として、誠実に向き合っている。 以前、トヨタ自動車のグループ企業に勤務していた私にとって、「QC」「かんばん方式」などは日常的に実践していたことであり、本書の内容は、非常に身近に感じることができた。実際、トヨタ企業では、製造ラインは勿論、情報システムや経理、営業に至るまで、品質向上や環境対策などの「カイゼン」意識が従業員に広く浸透している。その意味においては、現場において競争力は今現在も常に向上しているのである。 「もの造り」は平成不況とともに評価は低くなり、悲観論がささやかれてきたが、実は自動車産業においては、いまだ競争力は強さを維持し続けていることが、本書を読むことによって理解できた。企業にとっては、業種・規模を問わず、「深層の競争力レベル」の維持・向上が、共通、しかも今日的な課題になっているのではないだろうか。その解決のためのヒントが、本書では述べられていると思う。
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日本のもの造り産業における企業の組織能力に関する1冊。自動車産業を例にしており、とても分かりやすかった。 日本のもの造り(特に自動車産業)では深層の競争力が高く、すり合せ製品と日本の組織能力はとても相性がよい。深層の競争力とは、顧客が目で見て評価しにくいものである。例えば、開発リ...
日本のもの造り産業における企業の組織能力に関する1冊。自動車産業を例にしており、とても分かりやすかった。 日本のもの造り(特に自動車産業)では深層の競争力が高く、すり合せ製品と日本の組織能力はとても相性がよい。深層の競争力とは、顧客が目で見て評価しにくいものである。例えば、開発リードタイム、生産性など。藤本氏は競争を表層の競争力と深層の競争力とに分けられると考えている。表層の競争力は収益につながる。しかし、表層の競争力は深層の競争力によって実現し、高い企業組織能力があって、高い深層の競争力を実現できる。日本の高い組織能力の例として、フロントローディングなどがあげられていた。だが、過剰な能力構築だといわれるようなこともあり、確かにそうだとも言える。しかし、もの造りにおいて、組織能力を構築することが大切。それを活かす戦略に日本は弱さを持っており、欧米などを手本に見習う必要があると藤本氏は指摘。 深層の競争力が強くなったことを過去の歴史と共に説明していて、とても分かりやすかった。創発によって企業の組織能力は高められるが、それは必ずしも意図した経路からは生み出されない。結果的によかったといった事後的に合理的なこともある。どのプロセスをたどろうが、進化しようとする意志がなければ、組織能力は高まらないと思った。これは日常生活でも同じように感じる。運がいいとか悪いとか関係なく、そのときのチャンスをものにするのは日々の努力。運を引き寄せる努力を日常からすべきだと感じた。
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日本の競争力を考えるうえで外せない本。「自動車産業は他の産業と、どこが、なぜ違っていたのか」とう問題意識にこだわり索引まで含め406頁も新書であります。
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この論考。誤った使われ方をしてしまった。擦り合わせ型のアーキテクチャ礼賛に使われた。これは間違い。 モジュラー型の威力を強調すべきであった。
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以前読んだ「トヨタシステム」と違う、日本自動車産業界の学術的研究書だった。だからといって小難しい理論をこねまわしている訳ではなく、非常に論理だった読みやすい書物だった。本書を読んでみると「擦り合わせ型アーキテクチャー」という産業形態はTプロにもあてはまり、偶然による能力構築という点(ねばり強さ、転んでもただではおきない)ではなるほどと思わせる類似点が見受けられた。(S畑・S三兄弟事件、T-USAの失敗、ST主義)。こと、品質的な面からいえば、ISOの取得はトヨタでいうところの職人的技術の平準化の段階と言えなくないのではないか。そう考えれば、まだまだ品質管理などは始まったばかりであり、品質意識の低さを嘆く余裕などないほど課題は山積み。焦らず弛まずゆっくりと。
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[ 内容 ] 日本の自動車産業は、製品の品質、世界市場でのシェアなど現在も世界トップレベルにある。 またカンバン方式、TQCなど日本発の生産システムが「グローバルスタンダード」となっている。 これほど国際競争力があるのはなぜなのか。 その強さの秘密に、企業が生産・開発現場で総合的な実力を競いあう「能力構築競争」という観点から迫り、長期不況下にあって自信喪失に陥っている日本企業の再生に向け、明確な指針を提示する。 [ 目次 ] 序章 もの造り現場からの産業論 第1章 自動車産業における競争の本質 第2章 能力構築競争とは何か 第3章 なぜ自動車では強かったのか 第4章 もの造り組織能力の解剖学 第5章 能力構築の軌跡―二十世紀後半の自動車産業 第6章 創発的な能力構築の論理 第7章 紛争―脇役としての貿易摩擦 第8章 協調―競争を補完する提携ネットワーク 第9章 欧米の追い上げと日本の軌道修正 第10章 能力構築競争は続く [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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