朗読者 の商品レビュー
ドイツの友人からおすすめされて日本語訳版で読んだ。男の子が大人になっていく。ドイツの歴史を少しずつ知っていきたいと思える。
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私たちは「あの出来事」を、どう思い出すべきなのか。 無機質を気取って、他者の過ちだと斬って捨てるのか、理解しようと努め、苦しみ続けるのか。
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私にとって素晴らしい作品とは「分からない/判断がつかない部分がある」点で共通していると思う。 登場人物の発言や行動にうまくは飲み込みきれない何かがある。だから二回、三回と読み返し、演劇や映画といった別の手法による表現に触れて、あらためて考える。 そういった「繰り返し」に耐える力の...
私にとって素晴らしい作品とは「分からない/判断がつかない部分がある」点で共通していると思う。 登場人物の発言や行動にうまくは飲み込みきれない何かがある。だから二回、三回と読み返し、演劇や映画といった別の手法による表現に触れて、あらためて考える。 そういった「繰り返し」に耐える力のある物語が、時の審判の中で古典になっていくのだと思う。 きっと、この作品も古典になるのだろう。普遍性のある物語である。 一方で、ある世代の生々しさや戸惑いが含まれていることが私にも伝わってくる。発刊当初はもっとリアルな感覚として共有されていたのだろう、後ろめたさのようなもの。 「朗読者」は、確か高校生の時に途中で読むのを止めてしまったのだった。その時の気持ちはもう思い出せないが、読めて良かった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
何度も読み返したくなる、とても好きな本。すごくきれいな小説だなと思う。ミヒャエルやハンナの思い、自尊心、こだわりが、鮮明にかつ赤裸々に描かれている。 15歳のミヒャエルと30代半ばのハンナとの恋から物語は始まる。毎日のようにミヒャエルはハンナの家に行き、朗読をしてセックスをする。しかしある日突然、ハンナはいなくなる。 2人の再会は、ミヒャエルが大学の授業で傍聴した裁判所だった。それはナチス時代にユダヤ人の強制収容所で看守を務めていた女性たちを裁く裁判であり、その被告としてハンナはいた。 裁判ではハンナは非常に正直にふるまった。しかし1度だけはっきりと嘘をつく。ある報告書を誰が執筆したのか、ということが問題になった時だ。裁判官が筆跡鑑定をしようとしたところ、ハンナが自分が書いたと嘘をつくのだ。ハンナは文盲だった。書けるわけがなかった。しかし文盲だからこそ、それがバレてしまうことを最も恐れたからこそ、ハンナは嘘をついた。 ミヒャエルはハンナが文盲だということに気づいていた。だから苦悩する。文盲だということを裁判官に伝えるべきか、伝えないべきか。ハンナを説得して文盲だと告白させるべきか、そうしないべきか。。。 ”そうだ、彼女はそれを(量刑を軽くし早く自由になる事--引用者)求めて闘っていた。しかし、勝利するために文盲を暴露するという代償を払うことまでは望んでいなかった。彼女は、軽を何年分か短くするために、ぼくが彼女の自己演出を暴いてしまうことも望まないだろう。自分でもそうした取引をすることができたのに、彼女はやらなかった。つまり、やりたくないわけだ。自己演出を守ることに、刑務所何年分もの価値があるわけだ。でも、その演出はほんとうにそれほど重要なのだろうか?こんなふうに彼女を束縛し、麻痺させ、自己発展を妨げている偽りの自己演出から得るものがあるのだろうか?これほどのエネルギーを費やして嘘をつき続けるくらいなら、とっくの昔に読み書きを学ぶこともできたのに”pp159 ”君は裁判官に、何がどうなっているかを言うかい?考えてごらんよ、彼はホモで、その犯行はホモでは行い得ないのに、ホモであることを恥じている。左利きやホモを恥じるべきかどうかという話じゃないんだ。考えてごらん、被告が恥ずかしがっているということが問題なんだ”pp160 ミヒャエルは結局、裁判官に何も言わなかった。そしてハンナは無期懲役になる。数年間、ミヒャエルはハンナと何も接触しない。しかし数年後、ミヒャエルは、物語の朗読を吹き込んだテープをハンナに郵送する。何もメッセージは送らず、ただ朗読だけを送り続ける。 するとある日、ハンナから短い、一言だけの手紙が届いた。ハンナは、ミヒャエルからの朗読テープを使って、字の練習をした。朗読テープと実際の本の文字とを照らし合わせながら練習したのだ。 そして、ハンナがついに仮釈放になるとの手紙がミヒャエルに届き、ミヒャエルはハンナに会いに行く。そして、釈放後の家の準備をして、釈放の前日もハンナに会いに行く。しかし、釈放の日の朝、ハンナは自殺する。 なぜ、ハンナは自殺したのだろうか。ミヒャエルにとってハンナはどんな存在だったのか。ハンナにとってミヒャエルとは。読みながら、そして読んだ後、いろんな疑問がわく小説だ。 何より、ミヒャエルとハンナがそれぞれとても魅力的な人物として描かれている。 ハンナは文盲であり、その一方で知識欲が非常に旺盛であり、誇り高くかつ非常に誠実で人望のある人物だ。ミヒャエルは、様々な葛藤の中を生きている。ハンナへの思いも複雑で、対立する思いが同居してもいる。著者のシュリンクは、そんなミヒャエルの悩みや葛藤を赤裸々に描き出す。それは、思春期における恋愛の悩みであり、あるいはナチス時代の戦犯を裁かなければならないという時代の風潮とハンナへの愛情との葛藤であり、ハンナの文盲を公開すべきかどうかという苦悩であったりする。 僕は、これは人間の誇りについての話だと思った。文盲を隠して生きていくこと、これがハンナの人生を貫く一つの大きな原理だった。それは確かに歪んでいる。文字の練習をすればよかったじゃないか。そういうのは簡単だ。しかし、文字の練習をするということは、文字が書けない自分と向き合わざるを得なくなるということでもある。ミヒャエルはそんなハンナの強い自尊心に直面し当惑したのだ。しかしそんな中、ミヒャエルが送った朗読テープを使って、ハンナは文字の練習を始める。これはとてもすごいことだ。本のなかのミヒャエルと一緒に僕は興奮した。ハンナの強さに、勇気に、感動した。 ハンナは、しかし自殺をする。いや、「だから」自殺をしたのだろうか?なぜ彼女は自殺をしたのだろうか?いまだによくわからない。 また読みたい。
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強制収容所へのヒッチハイクなど,映画では省かれたシーンもある. 映画よりも詳細な描写があるので,心の機微が見えてくる.
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小説の登場人物が、この時、何を想ったのだろうかという余白がある。その余白に色々と考えさせられる作品。読みやすく色々な要素を兼ね備えている作品。一昔前に、売れた理由が読んでわかったような気がする。
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久しぶりに読む海外純文学です。 全体で250ページほどの掌編ですし、さほど難解な書き方では有りません。このため割りにサクサク読めますが、ナチスの戦犯裁判が一つの大きな舞台であり、その分やはり重い感じです。 かつて愛した女性が、強制収容所の女性看守であったことを知った主人公の悩...
久しぶりに読む海外純文学です。 全体で250ページほどの掌編ですし、さほど難解な書き方では有りません。このため割りにサクサク読めますが、ナチスの戦犯裁判が一つの大きな舞台であり、その分やはり重い感じです。 かつて愛した女性が、強制収容所の女性看守であったことを知った主人公の悩みが、女性と主人公の距離感で表現されます。強制収容所についてはエキセントリックな批判では無く、また決して弁護するわけでもなく、淡々と話は進んで行きます。その分、読者が色々と考えることを期待されているようです。 今のところは「読んで、受け入れた」そんな感想です。ちゃんとするにはもう一度ゆっくり読む必要がありそうです。
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出だしの展開に、この本は好みじゃないな、と思いつつも我慢して読み続けたら、よもやの展開に。オトナの文学作品だった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
思春期の少年の感情への共感がある一方で、ナチスの戦争を経た環境への実感のなさ、そして戦争が引き起こす悲劇が心に刺さるにも関わらずどこか他人事として、このまま読み終わってしまうんだろうなという無力感。 麻痺、想像力の欠如。 ベルクが感じたものは、レベルや性質は違えど、自分自身にもあてはまる。 「夜の霧」を読んだときも、「日本の一番長い日」を読んだときも、山岡荘八の「太平洋戦争」を読んでも、そして、知覧を訪れたときも、苛酷な環境のなかで戦う人間の強さ、弱さ、優しさ、身勝手さ、そうした様々な感情に心を動かせたものの、結局、私の生活の何かが変わる訳ではない。 これを、麻痺、想像力の欠如と言わずして、どう考えたらいいのだろう。 そして、それを埋めることは可能なのだろうか。 分からない。分からない。
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母親ほどの歳の女性・ハンナと恋に落ちた15歳の少年・ミヒャエル。だがハンナは突然姿を消す。2人が再会したのは、ナチス裁判の被告席と傍聴人としてだった…。 これ…ウチの想像力とか歴史的知識の欠如とかのせいで全然感動できねー。単に性欲あふれる15歳の少年が、情欲で夢中になった女のこと...
母親ほどの歳の女性・ハンナと恋に落ちた15歳の少年・ミヒャエル。だがハンナは突然姿を消す。2人が再会したのは、ナチス裁判の被告席と傍聴人としてだった…。 これ…ウチの想像力とか歴史的知識の欠如とかのせいで全然感動できねー。単に性欲あふれる15歳の少年が、情欲で夢中になった女のことが忘れられないだけじゃあ…。 映画で観たら違ってくるんだろうけどね。
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