ひとりよがりのものさし の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
古道具坂田は目白にあった骨董屋さん。 20歳のときに上京して目白のアパートに住んでいた2年間、 毎週通い詰めた僕にとって価値形成の柱のひとつになった大切な場所だ。 坂田和實は今はなく古道具坂田も閉業、建物自体が取り壊されてしまった。 古道具坂田の打ち出した美は、骨董というジャンルを飛び越えて文化史そのものの 結節点であり、 坂田和實は千利休以降日本の「見立て」の概念を拡張する稀代の表現者のひとり である。 坂田さんの骨董業そのもののコンセプトは「美しいものは自分の目で選ぶ」。 これは骨董の歴史における明確なアンチテーゼであり、歴史も権威も銘柄も関係なくフラットに ものの美しさを「見立てる」坂田さんのアプローチそのものがストロングだった為沢山のフォロワーを生み出した。 「ひとりよがりのものさし」は古道具坂田のコンセプトを端的に表現した本になっている。 江戸時代のぼろ雑巾、コーヒーの濾過紙(使用済)というただのゴミと弥生土器と無印良品を同じ机の上に並べる アナーキズムを体感できる場所は古道具坂田だけだ。
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「美しさは知識からは見えてこない。自由な眼と柔らかな心がその扉を開く鍵らしい。(中略)ムツかしい理論よサヨウナラ。高い品物の中にしか美しいものがないと信じている人、ゴクロウさま」 というまえがきから始まる、モノを見るものさしについての本。 全50のモノについての考察を披露されて...
「美しさは知識からは見えてこない。自由な眼と柔らかな心がその扉を開く鍵らしい。(中略)ムツかしい理論よサヨウナラ。高い品物の中にしか美しいものがないと信じている人、ゴクロウさま」 というまえがきから始まる、モノを見るものさしについての本。 全50のモノについての考察を披露されている本なのですが、記念すべき最初の01が「ボロ布」。この時点でわくわくが止まりませんでした。 特に、 「違う人間が同じものを同じくらい好きということはありえない。(中略)一人ひとりが自分の責任で何が好きなのか、つまりはどんな道を歩きたいのかを声高く言い続けなくてはいけない」 「収集品はその人の生き方を恐ろしいくらい端的にあらわします」 をはじめとする言葉の節々から伝わる、モノ・モノを見ること・モノを集めることに対する責任感の強さは自分も見習いたいと思いました。 ※モノにまつわるおすすめの本があれば教えて頂けると嬉しいです!
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コンビニで全ページコピーして持ち歩いていたこともある、思い出の一冊です。掃除していて、また読み返しました。
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へうげものの系譜は続く オンリージャパンのティーセレモニーの礎を構築すると共に我が列島に根付く特有の美的思考を発見し抽出した利休 彼から始まるへうげものの系譜 明治の近代化による西洋至上主義思考を民藝の抽出によって乗り越えた柳宗悦 現代へと続く骨董の美的基準を確かな言葉で見出した...
へうげものの系譜は続く オンリージャパンのティーセレモニーの礎を構築すると共に我が列島に根付く特有の美的思考を発見し抽出した利休 彼から始まるへうげものの系譜 明治の近代化による西洋至上主義思考を民藝の抽出によって乗り越えた柳宗悦 現代へと続く骨董の美的基準を確かな言葉で見出した小林秀雄 青山二郎 白洲のお正 そして平成 坂田和実 おびただしく書き込まれた目盛りを今一度洗濯したし へうげものの純粋思考を抽出せんことを きっと上記の誰も他人に自分の美的価値観のものさしを押し付けたりしていないんだけど 秀雄二郎お正が言うのだからこれが良いものだと無条件に骨董界における美的価値観のものさしを形成してしまった いいものはいいと共感できることは素晴らしいし幸せなこと ただ仮に自分個人が持つものさしの存在に気づかず 他人のものさしだけを鵜呑みにし その目盛りに踊らされているだけであれば それはかつてのへうげものたちの発見と主張を無視することと同じなのではなかろうや へうげものの思考 それを極めて純粋なままで 感じ取るしかないその力動そのものを見事に抽出してきたのが坂田和実の偉業である
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美術という分野がある。あると勝手に思っている。フランス語ができなくては入って行けない気がする。絵を嗜まないものには門が閉ざされているような雰囲気がある。だから滅多に美術館に行くこともない。それでも、何年かに一度位そういう機会がある。そんな時にあれこれ考えながら見て歩くのは、実は、...
美術という分野がある。あると勝手に思っている。フランス語ができなくては入って行けない気がする。絵を嗜まないものには門が閉ざされているような雰囲気がある。だから滅多に美術館に行くこともない。それでも、何年かに一度位そういう機会がある。そんな時にあれこれ考えながら見て歩くのは、実は、楽しい。楽しいけれど、本当はほとんど絵を観ていなかったりする。絵を前にして何かが頭の中に浮かんでくるのが楽しいのだ。それをなんとか言葉にしようとするのが好きなのだ。浮かび始めたら最後、注意の先は自分の脳味噌に移ってしまっているので、絵を観ている訳ではない。だから美術館には連れがある方が楽しい。もっとも、ひっそりとした美術館の中であれこれ話すのは迷惑ではあるだろうけれど。 著者の坂田さんは古道具屋の主人らしい。古道具といっても美術館に納めるような芸術作品以外は新しいものでも何でも扱うようだ。その商品の中から一点ずつ、毎月「芸術新潮」に文章とともに紹介されたものをまとめ直したのがこの「ひとりよがりのものさし」である。うーん、と唸ってしまうようなものがあるかと思えば、自分にはさっぱりどこがいいのか解らないものもある。しかし、紹介している坂田さんは、一様に、嬉しそうだ。自分は芸術品を扱ってるのではないぞ、という少し天邪鬼な気質も見えてくる。それを端的に「工芸品」だと言い切る。そしてその工芸品に対するこだわりが伝わって来て、自分のような素人にも楽しめる。そもそも、この本の装丁がすばらしい。色といい、布の感触といい。中身を観ずとも「これだ」という気にさせられる。工芸品だ。 もちろん、中身もすばらしい。但し、芸術作品としての価値、小道具としての一つひとつの作品の価値を言っている訳では決してない。その佇まいが素晴らしいのだ。筒口直弘という人がほとんどの作品を撮っている。その写真が素晴らしい。彼がその作品をその場所においたのかは不明だが、見事に空間を切り取っている。背景となるもの、写されるべき対照としての作品。その空間にあってこそ、その作品の良さが感じられるだろうという構図を写したその写真に魅入られる。写真からは不思議とものの大きさを感じない。感じないのに、どこかわけの解らない場所にあるという感じがしない。そこに、ある。ただ、ある。その切り取られ方が、よい。 写真を観ている内に、何度となく出てくる土壁の背景に目が行く。漆喰塗りの壁がひんやりとした涼感をイメージさせるのに対して、土壁は手のひらの温度と同じ暖かさをイメージさせる。ぽろぽろと崩れそうでいて、そんなことは気にするな、というおおらかさもある。そしてその色。まさに土の乾いた色だ。その前に、ぽつんと作品がある。大きなものも、小さなものも、土壁は等しく作品を浮かび上がらせる。でしゃばることなく。いいなあ、と思う。いいなあ、と思っていたら、どうやらこれは坂田さんが開設した美術館の壁らしいと、匂ってくる。その美術館を建築したのが、中村好文だ。 中村さんのことは購読している新潮社の雑誌を通して初めて知ったのだが、ああ、なる程、と納得する。中村さんと坂田さんが長い付き合いだと聞いて、尚の事その感を強くする。でしゃばらない、建築が主役ではない、住む人が主役なのだ、という中村さんの建築主張は、地味といえば地味なのだが、いぶし銀の光を放っている。そして、そこに建物が「ある」、その佇まいが美しい、と思う。その価値観と坂田さんの持つ「工芸品」に対する思いは共鳴するものだろうな、と傍から見ていてもうなずける。 連載の半ば25回目に、その美術館の紙模型が登場する。古いのか、新しいのか、判断の着かない家がそこにある。そして、最終回50回目に、実物の美術館が登場する。模型とは雰囲気が違う存在感がある。存在感はあるのだが、佇まいの奇妙な一致がある。場所は千葉県長生郡、とある。行ってみようかな、とぼんやりと思った。
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