人間とは何か の商品レビュー
約半分読んだところで挫折。 老人と青年の会話が長々と続くが、うーん、面白くない。 同じ形式でも「君たちはどう生きるか」は非常に楽しめたが。
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同じような決定論的人間観を持っていたがこうまで明確な言葉になったものを読んだことはなかった。 善意や慈善も全ては己の満足が元にあるのも納得いく。 次は「不思議な少年」を読んでみる予定。
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個人的に何度も読み直したいと思った本。 例えばです。 私の身の回りにはもう亡くなった人も含め、何人か認知症を患っていました。 そのとき、「日常生活でできなくなってしまったこと」が数多くある中でさえ、人を選んで攻撃をする姿を幾人も目にしました。 大体、人により、(八つ当たりなど)攻撃する対象は限られてるのですよね。弱者に向かう。もちろん当人が一番の弱者なわけですが、当人が元気だった頃の認識で弱者と思われる人間が攻撃対象になる。強い人間にはあまり向かわない。 わたし、何となく見ていたり、その対象になったりして、 「あぁ、自分に対する弱者強者を見分ける力って、結構人間の根源的な能力なんだなぁ。」なんて思っている。 そこで、いかにうまく取り繕おうとして、勉強したり訓練したりしたところで、 そんな努力なかったかのように身包みはがされる。 それが、人間の性質なんであろうとすると、 自分の性質は、決して素晴らしいものとは言えない。本当に。 今までひたかくしにしているものが、いつしか決壊して漏れ出る可能性を考えると、 自分の性質ってやつについてよく考える。 まだよく見えていない部分も多いのだけど、 せめて「そんなにひどくない」くらいだったらありがたいのですが…。
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人間は自己を満足させるために生きている。 「人間とは何か」、このシンプルなタイトルとBOOKOFFで100円だったので購入。 登場人物は青年と老人の二人だけで、彼らの会話が描かれている。青年は人間には意思決定をする力があると信じている、対して老人は人間は自己を満足させるために生きていると信じている。青年は、老人の「人間は自己を満足させるために生きている」という考えを打破するために試行錯誤するが、決して破ることが出来なかった。 私自身、この老人の考えに納得せざる得ない。「人間は自己を満足させるために生きている」という理論は、言い換えると全ての人間の行動原理は自己満足であり、自己犠牲すら自己満足のためなのだ。そして、自己満足は当人の気質や性質からなっており教育や訓練はそれらに若干の影響しか与えることができない。こういった考えを知って正直今、反応に困っている。なぜなら、私は読書から生きるために役に立つことを学ぼういう姿勢で臨んでいる、しかしこの本から得られたものはなんだろうかと感じている。この読書から何を学べたかは今後わかってくると思う。
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人間はなに一つとして新しいものなんか考え出せるもんじゃない 人間は自分自身の安心感、心の慰めを求める 人はカメレオン 戒めとは自分の理想を向上させるために努力すること 人間に自由意志など存在しない 人間と動物に境界などない 物質欲などない全ては精神欲
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考え事をしたいときに読み返す一冊。 極端に自由意志を否定し、人間を機械だと評するおじいちゃん。 現在の行動と環境を規定しているのは、100%過去の行動だとしても、実際に生きていくうえで、それを正論と受け止めるメリットはないと思います。 九割意味のないこと。 けど、あ...
考え事をしたいときに読み返す一冊。 極端に自由意志を否定し、人間を機械だと評するおじいちゃん。 現在の行動と環境を規定しているのは、100%過去の行動だとしても、実際に生きていくうえで、それを正論と受け止めるメリットはないと思います。 九割意味のないこと。 けど、ある意味そういった嫌悪感を持つものに触れることが必要なのかもしれないと毎回思いながら読んだりします。
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マーク=トウェインの人間観・思想が色濃く表れた、エッセイのようなもの。老人と青年の対話に仮託して描かれる。1906年に書かれたという。 構造主義の先駆的な文学ととらえると、非常にすっきりと頭に入ってくる。そういった知識がわずかでもあればけっこう楽しめる。 構造主義の限界や矛盾...
マーク=トウェインの人間観・思想が色濃く表れた、エッセイのようなもの。老人と青年の対話に仮託して描かれる。1906年に書かれたという。 構造主義の先駆的な文学ととらえると、非常にすっきりと頭に入ってくる。そういった知識がわずかでもあればけっこう楽しめる。 構造主義の限界や矛盾が指摘されている今日では、この文章もところどころ論理的に誤りがないとは言えない。ただ、当時の著者の逼迫した精神状態を伝えるには十分なほどの、ギリギリの状態というか、筆の力を感じるのも事実。 だからロジック的には一種の頭の体操のような、パズルに近い感覚。でもその心理的背景を真に受けると割と鬱。 ただ、僕は人間を機械とこき下ろすような、一見冷徹な文章の裏に、筆者のある種素直な人間愛というか、皮肉の裏返しというか、生への肯定というか…そんなものも見てとれたような気がする。 「ようするに、気質がすべてだ」という主張は、所詮気質で決まってしまう、そのあきらめにも近いゼロ値を設定することで、ならそっからどうなるかなんて環境と、運任せだ。どうにでもなれ、気楽に行こうじゃあないか・・・(気楽というのも筆者にしてみれば気質の一つかもしれないが)。 そんな意味で、読了後は暗いよりはむしろすがすがしい気分。 最後の老人の〆の台詞もまさにそうだと言える。
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・本の内容紹介(本書表紙より引用) 老人と青年の対話の形で書かれたマーク・トウェイン(1835‐1910)晩年の著作。人生に幻滅している老人は、青年に向かって、人間の自由意志を否定し、人間は完全に環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械にすぎないことを論証する。人間社会の理想と、現実に存在する利己心とを対置させつつ、著者はそのペシミスティックな人間観に読者をひきこんでゆく。当初匿名で発表された晩年の対話体評論。 ・感想 人間は外的環境に影響を受けながら自身の欲望に従って動く機械にすぎない。老人は青年との問答を通じて、このような人間機械論とでも呼ぶべき悲観的な人間観を訴える。私はこのような人間観に共感できるところが多かった。このような前提に立ったうえで、自分の行動が社会や身のまわりの人の役に立つことが出来ればそれでいいと思う。「情けは人の為ならず」という言葉には、この本で訴えるような人間観が背景にあるのではないだろうか。 経済学でアクターとしての人間を、自己利益(インセンティブ)のみに従って行動する完全に合理的な存在と捉えるが、これも似たような考え方だと思った。 また「創造」について言及した問答が18ページや126ページなどに出てくる。これらの箇所で述べられている老人の創造に対する考え方が興味深いと思ったので引用する。 青年 つまり、人間なんてものに創造の能力はない。創造は無だと、本気でそうお考えになっているのですか? 老人 そうとも。人間はただ知覚するだけの動物。知覚されたものを自動的に結合するのは、つまり、その頭脳という機械なんだな。それだけの話さ。 青年 じゃ、蒸気機関みたいなもんで? 老人 そう。だが、それを発明するのに、何十人って人間が百年間もかかった。発明ってことの一つの意味は、発見だな。わしはその意味でこの言葉を使う。無数といってもいいほどの部分品を、少しずつ彼等は発見し、応用し、結局完全な機関をつくり上げた。蒸気を閉じこめると、急須の蓋を持ち上げる力があるってことに、ウォットがまず気づいた。だが、別にそんな考えを創造したわけじゃない。ただその事実を発見したってだけにすぎん。 (本書 p126,127より) 無限に近い事実に対して観察を続け、その中からある事実の関係性を発見する。そして、それをさらに発展させ、あるいは適切に事実を抽出し、ひとつの成果に行きつく。老人によると結局それは無から何かを作りげるのではなく、すでに存在する事実の模造にすぎないのだという。ゼロから何かを生み出すことは出来ないという意味で、老人はこれを創造ではないとする。 老人の「無から新しいものを生み出すことはできない」という考え方には共感する。しかしだからこそ、私は、観察可能な事実からこれまで着目されていなかった何かを発見することを創造的な営みだと呼ぶようにしたいと思っている。
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作品を間違ったっっ “それがまちがいなんだ。行動ってものは、なによりもまず自分のためじゃなくちゃならん。そうでなけりゃ、決してやらんね。なるほど、そりゃ一にも二にも他人のためにやっているつもりでいることはあるかもしれん。だが、実際はそうじゃない。まず第一には、自身を満足させてるんでー他人のためなんてのは、つねにその次なんだ。”p24l10~23
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とても重く、ずしりときてしまった。いま読むべきではなかったのかも。突き放される残酷さがとても心地良いのです。
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