曽根崎心中・冥途の飛脚 他五篇 の商品レビュー
「恋の手本となりにけ…
「恋の手本となりにけり…」死ぬ事でしか恋を成就出来なかった道行き浄瑠璃の魅力。
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曽根崎心中って内容は…
曽根崎心中って内容は知っていても字で読んだことはなかった。浄瑠璃なだけあってか、語感がいい。“声に出して読みたい○○”じゃないけど、音読もお勧め。
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「心中」というと、不謹慎かもしれないが思い浮かぶのは太宰治だ。彼の生き方や作品に関しては賛否両論あるだろうが、私はわりと太宰が好きである。とある作家のように神格化する気はまったくなく、むしろ文章が上手いこと以外からきしダメだったからこそ人々に親しまれたんじゃないかとすら思っている...
「心中」というと、不謹慎かもしれないが思い浮かぶのは太宰治だ。彼の生き方や作品に関しては賛否両論あるだろうが、私はわりと太宰が好きである。とある作家のように神格化する気はまったくなく、むしろ文章が上手いこと以外からきしダメだったからこそ人々に親しまれたんじゃないかとすら思っている。弱くて、女好きで、子供のような陰口を叩く、この絶妙な人間臭さに酒とタバコのかおりを染み込ませ、一抹の矜持をふりかけて生まれたのが太宰文学で、理想的な強さを追い求める文学に対するアンチテーゼとして世間に受け入れられ、認められた、というのが正当な評価だといえるだろう。どうしてすんなり受け入れられたかと言えば、世の中の男性というものが想像以上に「弱い生き物」だからではないかと思う。 近松門左衛門の作品をまとめた本書を読んでいると、男というものは意外と弱くだらしないものなんじゃないかと思えてくる。 『曽根崎心中』の主人公は金を返さない敵役に散々に打ちのめされ、復讐もできず金の工面もできずに心中の道を選ぶ。『卯月紅葉』の主人公は義父の妾に散々虐められ、あげくその妾の弟に殴られ、様々な濡れ衣を着せられたあと、弁明したり身を落として生きていく道を選ぶでもなく心中を決意し、自分一人は生き残ってしまうというなんとも情けない結末。『心中重井筒』に関しては妻がいる身で遊女と心中、自分は死にきれず井戸に落ちて死亡という哀れな最後。『冥途の飛脚』ではそもそも自害へ向かうことすらできず、親に会いに行ってしまった際に捕まり処刑されてしまう。 こう列挙していくと、誰一人として「好漢」と呼べそうな男がいないことがすぐにわかると思う。女好きで喧嘩は弱く、金を工面するだけの知恵もなく、潔さもない。男の容姿への言及もないので、どうして女たちはこの男どもに惚れてしまったんだ?と首を捻ってしまう。しかしなんというか、こういう男の描き方のほうが生々しく感じられるから面白い。子供のような考え方にはなるが、「強い」というのは「弱い」があるからこそ成り立つし、「強い」ことが尊ばれるためには「弱い」が多数派でなければならないのだ。 太宰達「無頼派」の時代になっても同じような男性像が描かれ、多くの読者を獲得していったことを考えると、近松が見出した男の姿は、時代を超えた普遍性があったのだなぁとしみじみ思う。むしろ男の真の姿と言ってよいかもしれない。坂口安吾が「下を向け!」と力強く声をかけ、それを受け入れて肩の荷を下ろした男達の数は計り知れないほどだったであろう。また、そんな男を慕った女の姿も多かったに違いない。弱い者が弱い者を慕う、それが誰もが目を背けつつも、受け入れている社会の真実なのだ。 さて、最後に本書の読みやすさなどに関しても述べていこうと思う。文法や単語的には難しくないのだが、独特の謡のリズムの中で、当時の人なら知っていて当然という調子で大した説明もなく物語が展開していくため恐ろしく読みづらい。ページ下の補注に書いてある簡単なあらすじを読まないと、特に序盤は話を理解するのが困難なほどだ。しかし岩波文庫の御多分に洩れず、本書も補注がとても丁寧なのでしっかり参考にした方が良い。この読みづらさも、我慢して耐えていれば、生々しく香ばしい群像劇を演出する最上の舞台装置として働いてくれる。美味しいものを食べるためには、多少の我慢は必要なのである。
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キャバクラのお姉さん(遊女)と相思相愛になったが結婚するほどお金がないので一緒に自殺するという話。 ・元ネタの実話が大阪にあって噂話になってた ・それをたまたま近松門左衛門プロデューサーが「これアニメ化(浄瑠璃化)したらおもしろくね?」と思って脚本書いてみたら空前のヒットになっ...
キャバクラのお姉さん(遊女)と相思相愛になったが結婚するほどお金がないので一緒に自殺するという話。 ・元ネタの実話が大阪にあって噂話になってた ・それをたまたま近松門左衛門プロデューサーが「これアニメ化(浄瑠璃化)したらおもしろくね?」と思って脚本書いてみたら空前のヒットになった ・それは社会現象となり、江戸の世にリアル心中ブームを巻き起こし、幕府が禁止することになった 「我とそなたは夫婦星」 とか 「恋の手本になりにけり」 とか、ここぞというとこの語感がすごくて、この言い回しって→浄瑠璃→歌舞伎→時代劇→特撮やアニメの「見得」にも繋がっているように思えます。 小説ばっかり読んでいると声に出した時の「語感」みたいの忘れがちなんですが、戯曲脚本は聞いた時の心地よさを前提に書かれているので発見でした。
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『曾根崎心中』は、近松世話浄瑠璃の初作。その後の24篇に及ぶこの分野の原型となっている。主人公の徳兵衛、お初は晩年の最高傑作『心中天網島』の治兵衛、小春の造形にほぼそのまま直結するし、心中へと収斂してゆく劇構成もそうだ。また「天満屋の段」における、お初⇔九兵次(横軸・虚構)、お初...
『曾根崎心中』は、近松世話浄瑠璃の初作。その後の24篇に及ぶこの分野の原型となっている。主人公の徳兵衛、お初は晩年の最高傑作『心中天網島』の治兵衛、小春の造形にほぼそのまま直結するし、心中へと収斂してゆく劇構成もそうだ。また「天満屋の段」における、お初⇔九兵次(横軸・虚構)、お初⇔徳兵衛(縦軸・真実)は実に見事な立体構造を成している。なお、現在の文楽では二人はあっけなくも美しく死んで行くが、原作では「断末魔の四苦八苦」と凄惨な苦しみの末に死ぬのである。けだし、近松は死を描くことで生の重みを逆照射したのだ。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
『曾根崎心中』原作は、ストーリーを理解した上で、言葉のリズムを感じ取るのが正解だと思いました。 なにより、頭の中で音読してみると、とても洗練された感じがして心地いい。 最期は本当に心が千切れそうでした。 死ぬ場所を求めて逃げ出す場面 「顔を見合はせ『アゝうれし』と死にゝ行く身を喜びし。あはれさつらさあさましさ。跡に火打の石の火の 命の 末こそ 短けれ」 死ぬ場所、曾根崎の森に着く場面 「神や仏に掛置きし 現世の 願を 今こゝで。未来へ回向し後の世もなをしも一つ蓮ぞやと。爪操る数珠の百八に 涙の玉の 数添えて 尽きせぬ。哀れ尽きる道」 最期の場面は、ぜひ、原作で。
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『曾根崎心中』を読んでみたくて買いました。 非常に難しかったです。 解説を読み読み辿っていくようなものです。 相思い草が煙草のことだったり、簡潔にして技巧的な文章が、シェイクスピアを想起させて浮き浮きしてしまう一方、心中ものとして、死を決意した男女の口の端々に浮かぶ“死”のイ...
『曾根崎心中』を読んでみたくて買いました。 非常に難しかったです。 解説を読み読み辿っていくようなものです。 相思い草が煙草のことだったり、簡潔にして技巧的な文章が、シェイクスピアを想起させて浮き浮きしてしまう一方、心中ものとして、死を決意した男女の口の端々に浮かぶ“死”のイメージがもの哀しいです。 舞台は大阪。 主人公の徳兵衛は手代、お初は遊女です。 非常に読みにくいもので、あらすじを把握するのが難しいのですが、飛田などの大阪の刑場が登場したり、闇夜をちらちらと飛ぶ蛍が登場したり、美しいけれども悲壮感漂う物語。 江戸期には心中事件が多くあったようですが、 どうしてこうしたものが評判を博したのかなとも思います。 人形のお初が足を投げ出すシーンが艶めかしく、 是非とも文楽の舞台をみてみたいものだなぁと思いました
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近世とは、庶民が文学をたしなみそれを発展させた時代です。わけても「世話物」と言われる分野は当時の現代劇であり、純粋であかぬけない、素朴な感動があります。本来は上映される人形浄瑠璃の脚本であるだけに、リアルな表現がありありと目に浮かんできます。
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曽根崎心中だけ読む。原文でも思ってた以上にスラスラ理解できて面白い。 「道行」の章以降の文章は本当に幻想的で美しいだけに、最後の最後、心中の場面の生々しい描写がショッキングだ。「断末魔の四苦八苦 あはれといふもあまりあり」の一文が実に悲惨に映る。それだけに、ラストの一文「恋の手本...
曽根崎心中だけ読む。原文でも思ってた以上にスラスラ理解できて面白い。 「道行」の章以降の文章は本当に幻想的で美しいだけに、最後の最後、心中の場面の生々しい描写がショッキングだ。「断末魔の四苦八苦 あはれといふもあまりあり」の一文が実に悲惨に映る。それだけに、ラストの一文「恋の手本となりにけり」が救いになっているように感じた。ああ、浄瑠璃で見たい。
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