物理学と神 の商品レビュー
西洋では、自然科学と神は切っても切れない。というイメージ。…東洋でもそうかもしれないですね。 書き方が上手いのか、内容が入門だからなのか、単純に雑学物として面白い。
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物理学と神、というより「宇宙論 神と悪魔とときどき人間」って感じ。 俺が子供の頃は「星と星座のひみつ(http://portal.nifty.com/special05/10/02/3.htm)」レベルだったけど、今は物理無しでは宇宙の研究者になるのは無理なんだね。
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物理学における、真理や定理の発見や格闘の歴史を神になぞらえて追っている。 いわゆる「神」について論じてるのでなくて、あくまで比喩的に描いてる。 それぞれの時代における神。 錬金術、永久機関、量子論、複雑系、宇宙論をざっくり分かりやすく紹介してるのはなかなか面白かった。 ただ、紹...
物理学における、真理や定理の発見や格闘の歴史を神になぞらえて追っている。 いわゆる「神」について論じてるのでなくて、あくまで比喩的に描いてる。 それぞれの時代における神。 錬金術、永久機関、量子論、複雑系、宇宙論をざっくり分かりやすく紹介してるのはなかなか面白かった。 ただ、紹介だけで終わってたので、純粋に歴史を追ってるだけの印象も受ける。 もっと著者の考えも知りたかった。 そういう意味では、現在の宇宙論について、 未だ殆ど解明されてない宇宙に関して、少ないデータから議論をしていく危険性、を論じてたのは面白かった。 いわゆる現代までの物理学史を知る上では、面白く読めると思う。
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物理、特に宇宙が中心話題。私にはわからない部分も多かった。 しかし、神は歴史的に変遷しているらしい、ということがわかった。
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神は本来、対称(平等、一様、対等、普遍)な原理的な世界を体現する存在であるはずなのだが、この現実世界は対称性を破らねば作り出せない。 地動説をとるためには、新たな神の居場所を考えださねばならない。コペルニクスの時代、人々の宇宙は太陽系に閉じていた。したがって、神を宇宙の中心に据え...
神は本来、対称(平等、一様、対等、普遍)な原理的な世界を体現する存在であるはずなのだが、この現実世界は対称性を破らねば作り出せない。 地動説をとるためには、新たな神の居場所を考えださねばならない。コペルニクスの時代、人々の宇宙は太陽系に閉じていた。したがって、神を宇宙の中心に据えようとすれば、太陽に神の座を用意しなければならないが、燃え盛る灼熱の太陽ではさすがの紙も居心地が悪かろう。 錬金術は、その成立過程からわかるように、キリスト教と相容れあう関係ではなかった。地上の秩序を支配し、アリストテレス自然学によって天上界をも取り込んだキリスト教神学は公的な客観世界を明白な形で提示したのに対して、錬金術は神秘性や象徴性のような指摘な習慣的世界と隠微な形で深く関わったから。 エッセンスは物質もエネルギーも時間も空間も存在しない、無の状態を考えようというものだ。 宇宙を創ったのが神であろうとなかろうと、この宇宙を認識しているのが人間であることは間違いない。もし人間が存在しない宇宙なら、その宇宙は存在したとしても永久に認識されることがないだろう。
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[ 内容 ] 「神はサイコロ遊びをしない」と、かつてアインシュタインは述べた。 それに対し、量子論の創始者ハイゼンベルグは、サイコロ遊びが好きな神を受け入れればよいと反論した。 もともと近代科学は、自然を研究することを、神の意図を理解し、神の存在証明をするための作業と考えてきたが...
[ 内容 ] 「神はサイコロ遊びをしない」と、かつてアインシュタインは述べた。 それに対し、量子論の創始者ハイゼンベルグは、サイコロ遊びが好きな神を受け入れればよいと反論した。 もともと近代科学は、自然を研究することを、神の意図を理解し、神の存在証明をするための作業と考えてきたが、時代を重ねるにつれ、皮肉にも神の不在を導き出すことになっていく。 神の御技と思われていた現象が、物質の運動で説明可能となったのだ。 しかし、決定論でありながら結果が予測できないカオスなど、その後も神は姿を変えて復活と消滅を繰り返し、物理学は発展し続けている。 神の姿の変容という新しい切り口から、自然観・宇宙像の現在までの変遷をたどる、刺激的でわかりやすい物理学入門。 [ 目次 ] 第1章 神の名による神の追放 第2章 神への挑戦―悪魔の反抗 第3章 神と悪魔の間―パラドックス 第4章 神のサイコロ遊び 第5章 神は賭博師 第6章 神は退場を!―人間原理の宇宙論 第7章 神は細部に宿りたもう 第8章 神は老獪にして悪意を持たず [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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近代科学史、特に宇宙論と物理学、を概観。 何か良く解らなかった点幾つか。 ・この世の出来事をこの世を超越したものに頼らずに説明出来る、という事と、しかしそれによっては別に超越的なものの非存在を証明した事にはならないという事と、近代科学がその展開の帰結として神の否定に到るという事と...
近代科学史、特に宇宙論と物理学、を概観。 何か良く解らなかった点幾つか。 ・この世の出来事をこの世を超越したものに頼らずに説明出来る、という事と、しかしそれによっては別に超越的なものの非存在を証明した事にはならないという事と、近代科学がその展開の帰結として神の否定に到るという事との関係が、依然今一微妙な気がする。この本では科学の発展と神の否定とが因果関係をなしている、という風に語られているけどそれは、神が居ると思うのは人が自らには説明出来ない物事の説明を神に委ねた事に由来する、という事を前提としているような。この前提どうなの? 神を信じる事が感情或いは欲望の補償の機能を果たすという事を、補償して欲しいから神を信じるという事に言い換えるのは、何かあんまり腑に落ちない。 ・神の姿の近代科学史上の変容はこの本の重要な切り口だって自己言及されているのはいるんだけど、何で変容したかは別に問題にしなくて良いの? 要は神は常に人間が理解出来なさに躓いた時に其処に現れてるんじゃないのていう気がする、理解出来ても神の御蔭で理解出来なくても神の所為ていうこのアンビヴァレント。 ・「はじめに」で触れられている「何故?」の問いに答えようとする無神論者的自然科学者の話は回収されたのかな、人間原理云々言うのが回収部分? 人間を中心に置くのは我等が人間だからで認識する者は自らを原点としてしか認識しえないていう事を此処では前提しているという事で良いのだろうか。人間原理をとるのは昆虫原理をとるよりその他の条件とかからして良い・有益からだって言っても、それこそただの人間目線で昆虫目線と人間目線を公平に比較し得る目線って誰目線よっていう事になるやん。 要は物理学の勉強には大いになったけど神の問題の勉強にはまあそんなにっていう。
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(未完) (書誌情報) タイトル 物理学と神 責任表示 池内了著 出版地 東京 出版者 集英社 出版年 2002.12 形態 253p ; 18cm シリーズ名 集英社新書 ISBN 4...
(未完) (書誌情報) タイトル 物理学と神 責任表示 池内了著 出版地 東京 出版者 集英社 出版年 2002.12 形態 253p ; 18cm シリーズ名 集英社新書 ISBN 4-08-720174-0 入手条件・定価 740円 全国書誌番号 20361382 個人著者標目 池内, 了 (1944-)‖イケウチ,サトル 普通件名 物理学 -- 歴史‖ブツリガク -- レキシ NDLC MC31 NDC(9) 420.2 本文の言語コード jpn: 日本語
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タイトル買いみたいな感じで、どっかで買ったんでしょう。本棚にならんでたから読んでみた。おもしろかったし、やっぱ物理学はすげーんじゃないかと、ちょっと勉強してみようかなって思った。思っただけだけど。
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神、悪魔、わからなさの順に物理学の体系も大きく変遷を遂げてきた事をわかりやすく解説。時々筆が走りすぎるが、全体的に読みやすくまとまっている。
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