ハイデガー の商品レビュー
難解と言われるハイデガー哲学の入門として、さまざまな文献からの引用に対してかみ砕いた解説を施している。 存在論の考え方は日常のさまざまな場面に応用できるし、最高峰の哲学にふれてみたいという興味のある人はまず手に取ってみると良い。
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生活感、日常性から理解できる奇跡的なハイデガー解説。一つ一つ理解ができるとはなんと楽しい経験であるのか。だからと言って、ゲスや軟派ではない。切実であることは、哲学的でもあるのだ。 ・意味的なものは、根源的に体験的である。意味とはある種の体験である。p26 ・自分の存在をどう理解...
生活感、日常性から理解できる奇跡的なハイデガー解説。一つ一つ理解ができるとはなんと楽しい経験であるのか。だからと言って、ゲスや軟派ではない。切実であることは、哲学的でもあるのだ。 ・意味的なものは、根源的に体験的である。意味とはある種の体験である。p26 ・自分の存在をどう理解するかは、自分がどう存在していくかと深く関わっている。p31 ・自分を失うことをなぜではなく、どこでという点を考える。世間並と没我。p50 ・私が見るのが世界ではなくて、自分にとって現れるのが世界である。p74
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「存在論」とか「存在論的」という言葉は、いくつもの解説本を読んでも今ひとつピンとこないのだが、本書はそこのところを丁寧に説明しようとしている。おかげで、何となくわかったような気がするが、自分の言葉で説明できるまでにはなっていない。もう1回読み返す必要がありそうだ。
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ハイデガーの『存在と時間』の実存哲学としてのおもしろさを、わかりやすいことばで語った本です。 「存在」の意味を問うことは、「存在」を理解している円環の中に入り込むことを意味しています。そして著者は、このようなしかたで「存在」の問いを立てるとき、われわれは「自分自身」に出会うこと...
ハイデガーの『存在と時間』の実存哲学としてのおもしろさを、わかりやすいことばで語った本です。 「存在」の意味を問うことは、「存在」を理解している円環の中に入り込むことを意味しています。そして著者は、このようなしかたで「存在」の問いを立てるとき、われわれは「自分自身」に出会うことができる場に出ていると論じています。 こうして本書の議論は、自分自身をえらびとる自由に対して開かれている現存在のありかたへと進み、世界内存在の構造に関する議論が、「自分とは何か」という実存的な問題との密接なかかわりのもとで照明されていくことになります。 ハイデガー特有の術語をなるべく避けて、わかりやすく実存の問題に絡めてハイデガーの思想を紹介しようとしている著者の努力が伝わってきます。
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「ある」という言葉の意味について。「存在」の理解。存在への問いかけ。「これでよいのか」という問いによって、存在と自分の問題に直面する。可能性を可能性「として」理解する。「として」という投げかけの言葉によって検証を試みる。ハイデカーの考え方のエッセンス。手頃な読み物として提示しても...
「ある」という言葉の意味について。「存在」の理解。存在への問いかけ。「これでよいのか」という問いによって、存在と自分の問題に直面する。可能性を可能性「として」理解する。「として」という投げかけの言葉によって検証を試みる。ハイデカーの考え方のエッセンス。手頃な読み物として提示してもらえるのはありがたい。
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感想 新しい世界観、自己存在と世界との関係について得るものがあるかな、と思って読んだが、ぴんとこなかった。よくわからなかった、と言い換えてもいい。
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2007年6月15日に一度、読み終えています。 もう一度、読んでいます。 『存在と時間』を読む準備体操です。 われらが池上晴之さんのおかげで、 このシリーズ、そしてこの本を読むことができます。 ありがたいことです。 (2014年2月10日) 読み終えました。 最後の97ペー...
2007年6月15日に一度、読み終えています。 もう一度、読んでいます。 『存在と時間』を読む準備体操です。 われらが池上晴之さんのおかげで、 このシリーズ、そしてこの本を読むことができます。 ありがたいことです。 (2014年2月10日) 読み終えました。 最後の97ページは、繰り返し読みたい。 (2014年2月13日)
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存在の哲学者として知られるハイデガーの存在論におけるアプローチの仕方と基本的な態度を簡潔に紹介している。
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一貫して「存在」に対してどう取り組むかを問い続けたハイデガー。 「存在の意味」を問うということは、「存在そのもの」「存在の本質」「最初にわかっていることに対する語り」の間の円環の運動のなかに飛び込むことであり、その覚悟が必要なのである。 また、本書では、「自分自身が存在す...
一貫して「存在」に対してどう取り組むかを問い続けたハイデガー。 「存在の意味」を問うということは、「存在そのもの」「存在の本質」「最初にわかっていることに対する語り」の間の円環の運動のなかに飛び込むことであり、その覚悟が必要なのである。 また、本書では、「自分自身が存在するとはどういうことか」ということが大きな主題となっている。 「自分」とは、下方が開いた弦としての存在であり、投げかけられた存在でもある。 この、「投げかけられた」根源としての自体の根拠が明らかにならないということは、アウグスティヌスの論に類似するもののようにも思われる。 「存在の意味」とは、「時間性」のことでもあるが、本書での、このハイデガーの「存在と時間」における時間論は、簡潔である。 「存在と時間」において、根源的な問いかけに対する明確な回答は与えられないまま、存在体制の開示は未完のままに終わっていて、それが、また我々にたいする「不安」を我々自身の問いかけの深さとともに深めていくようでもあるが、これは、同時に我々の存在の意味が常に「途上である」という事実を引き受けつつ生きなければならないということをまた、同時に示している。 ハイデガーを学び始めた初心者にとって理解の助けとなる本。
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