百鬼園随筆 の商品レビュー
飛行機に乗り、学校…
飛行機に乗り、学校の先生をやり、貧乏とは何ぞやと考えながら、金貸しから金を借りる、百鬼園先生の随筆集。 「無恒債者無恒心」を読んで、給料が来るのが鬱陶しい百鬼園先生のムズカシイ顔(著者紹介のところの顔写真参照)を思い浮かべるとニヤニヤできます。
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百けんセンセイの随筆…
百けんセンセイの随筆。ヘンテコなのに堂々とした言動で、カワイイおじいちゃんだなぁと思う。サイケな表紙のイラストが芥川龍之介作でビックリ。
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貧乏臭いけど面白い随…
貧乏臭いけど面白い随筆。でも…。百ケン先生はあまり近づきたくない気がしました。だって、丸い羊羹(駄菓子、ゴムに包まれていて楊枝で刺して食す)が嫌いなんて!実物にあって話してみたい気もする、やきもきした気分になる随筆でした。
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内田百けんの随筆。些…
内田百けんの随筆。些細なことでも文章力で素敵に見せます。
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真面目なのにダメダメでだらしない 本の帯にもなっている給料日の件は本当におもしろかった こんな人なのに周りの人はなぜお金を貸しちゃうんだろう、不思議な愛嬌と信頼があったのかな? エッセイが好きな人は好きだと思う
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少し退屈な本だった。今、私がもっと楽しい本を読みたい気分なのかもしれない。ただ、百閒先生が愛されているのが分かる本だった。当時の人々の生活が見えたり、くすっとなるところもあった。現代でも読みやすいようになっていて、気軽に読めるのも嬉しかった。
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1930年代初頭の、まだ平穏な心理的にも余裕のある時期。 東京の、まだまだ開けていない街や家屋の描写も良い。
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第100回アワヒニビブリオバトル第2部タイマンビブリオバトル 第6戦「飛行機」で紹介された本です。ハイブリッド開催。チャンプ本。 2023.6.10
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以前からなんとなく気になっていて、竹田昼さんの漫画「ヒャッケンマワリ」を読んだらどうしても読みたくなった内田百閒。 まずは入り易そうな随筆集から。 随筆集とあるが、必ずしも随筆ばかりではなく、本人らしき人が主人公の短編小説も多数入っている。 「ヒャッケンマワリ」によれば「錬金術」...
以前からなんとなく気になっていて、竹田昼さんの漫画「ヒャッケンマワリ」を読んだらどうしても読みたくなった内田百閒。 まずは入り易そうな随筆集から。 随筆集とあるが、必ずしも随筆ばかりではなく、本人らしき人が主人公の短編小説も多数入っている。 「ヒャッケンマワリ」によれば「錬金術」と言われたという内田百閒の借金癖がこの中でも披露されていて、借金をしに行く話や、どことなく奇妙な高利貸しと、そこにお金を借りに行く男の話が、次から次へと出てくる。 借金を返すために借金をするという行為が、ごく普通のこととして出てくるし、そんな忌み嫌うようなものではないと、淡々と語られて、ちょっとこちらの感覚も麻痺しそうになる。 そんな随筆集。 ところで、「ヒャッケンマワリ」にも出てきたが、内田百閒と懇意であったという盲目の琴奏者・宮城道雄氏との話も出てくる。 僕はなぜかこの宮城道雄という名前を知っていた。 宮城道雄という人は、昔読んだ永六輔氏の「芸人その世界」か「役者その世界」にも名前が出てきた人。 永六輔氏の本を読んでいたのは高校生か浪人生の頃だから、40年ほど経って、初めてその名前に再会した事になる。 その時はまだ内田百閒という名前は知らなかったから、ホント、偶然に自分の嗜好がぐるーっと回って、40年前の自分の軌跡にかすった。そんな巡り合わせ。
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カバーイラストは芥川龍之介によるもの 内田百閒の伸ばした鼻毛が 自身のドッペルゲンガーを捕まえているようであるが 逆に、ドッペルゲンガーの伸ばした鼻毛で 内田百閒が捕まっているようにも見える 芥川にとっての内田百閒はそういう人だったんだろう …どういう人なんだよ 構造としては、ヨ...
カバーイラストは芥川龍之介によるもの 内田百閒の伸ばした鼻毛が 自身のドッペルゲンガーを捕まえているようであるが 逆に、ドッペルゲンガーの伸ばした鼻毛で 内田百閒が捕まっているようにも見える 芥川にとっての内田百閒はそういう人だったんだろう …どういう人なんだよ 構造としては、ヨーヨーという玩具を考えてみてほしい 人間から見れば、上下運動をしているのはヨーヨーなんだが ふとそれに感情移入をはたしたとき 人間のほうで上下運動の浮遊感を感じるということがある つまりそういうことだ もうひとりの自分自身に規定されて、地に足がつかない! …このように、赤の他人の一方的に決めつけた話が 回り回って当人の耳に入ったとき ドッペルゲンガーという幻想は生じるのだと思う とはいえ、内田百閒という人が じっさい地に足のついてない印象をまとっていたであろうことは 「百鬼園随筆」を読むと察せられるのだった 教員職についていたとはいえ、職務態度はデタラメで 原稿も書かず借金を膨らませており そのくせ、余計なことにカネを使っては一人で後悔ばかりしている 根は生真面目なんだろうけど そういう自分に耐えられない部分があったのではないか その耐えられない部分を 小鳥や小猿に託していっときの開放感を味わったりもするんだが そんなことは何の具体的解決にもならない 結局、書くことによる自己相対化のみが救済をもたらしたのであろう
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