定本 物語消費論 の商品レビュー
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89年で既にこんなこと言うこの炯眼さ。 すごいね大塚英志。 大本教の経典の「霊界物語」と、 「ビックリマンチョコ」が似ている話が、 ともに神話のパロディである、 という話が面白かった。 宗教をゲーム化したほうがいいという指摘は、 最近のゲーミフィケーションブームを予言しているとも言える。 (この当時は"ファミコン"という語だけれど) また、 映画はアメリカによる「神話のシミュラークル」であり、 その手法を使って手塚治虫が「火の鳥」の中で、 戦後失ってしまった日本史を物語として再生しようとしていた、 というのは非常にアイロニーの利いた言説である。 それから、 「世間話」や「噂話」の生成のメカニズムの話。 「世間話」は共同体の異物混入に対する解毒作用をもたらそうとしているのだという。 これは秩序を犯すカオスの侵入を共同体内の神話に包摂する意図があり、 ドラえもんの「ドラえもんは植物人間になったのび太が見る夢である」といった「噂」は、 これとは反対で「ドラえもん」という極度に安定した秩序に、 カオスを投げかけて秩序を乱そうとする意図がある。 安定と不安定の動的な移ろいが、 人々の心をつかむのであろう。 女子高生が天皇を「かわいい」という現象は、 「万世一系」という大きな物語が喪失したことと、 失われた「無垢さ」を仮託していたことに起因していて、 本書は昭和の終わりに書かれているけれど、 現在にも置き換えられる天皇制の姿なのだろうと思う。 というか、 すべての裏事情がほぼ明らかになり、 物語の屋台骨が露出し、 記号と戯れることにも飽きてしまったわたしたちは、 東浩紀が言うように、 もう一度神話的物語(共同幻想)を再構築していかなければ、 おそらく日本という共同体は崩壊するのであろう(すでに崩壊しつつあるし)。 わたしが想像するに、 神話を創った人たちもそれが嘘っぱちなんてことは重々承知していたんだと思う。 それでもなお、 国家という共同体を作るには神話がベターなのだ、 という決断があったように思われるのである。 わたしは日本がこの先もあったほうが嬉しいので、 幻想であることを認識した上で新たな幻想を創るという難しい仕事を推進したい。 おそらくこの先、 「個」から新たな共同体が形成されるのは、 現状を鑑みると明白なように思われる。 「AKB48」も「ニコニコ動画」も「twitter」も「アキハバラ」も、 巨視的に見ればこの大きな流れのせせらぎのひとつなのだろう。
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授業のネタさがしにと思って、あまり期待せずに読みだした。何せ昔の本だし、サブカル批評ってその他のクラシックなジャンルの批評よりも鮮度が重要そうな印象があったし。あと大塚英志にそこまで「やりおるぜ」という人物の印象なかったし。この人が原作をやった『多重人格探偵サイコ』って、最初はイ...
授業のネタさがしにと思って、あまり期待せずに読みだした。何せ昔の本だし、サブカル批評ってその他のクラシックなジャンルの批評よりも鮮度が重要そうな印象があったし。あと大塚英志にそこまで「やりおるぜ」という人物の印象なかったし。この人が原作をやった『多重人格探偵サイコ』って、最初はインパクト強かったけどなんかぐだぐだになった印象あるし。(ていうか途中で読むだけの興味を失っていて、それが色々なことを雄弁に物語っている) だけど、え、あれ? もしかして意外とおもしろい? な状況で読み進んでます。なんというのか、全体論としてはあんまり説得力ないんだけど(批評ではありがちです)、細かい部分で「へー!そうなんだ!」的な目からウロコがあんのね。そんなわけで、通勤列車の中でけっこう興味深く読み進んでます。
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マンガを主としたトレンドの動向を、神話、民俗学の視点から考察。トレンドを仕掛ける側の論理に偏るが。 ※読んだのは底本1989年刊
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記事の内容が80年代後半と絶版になるほど挙げる例は古いが、今日の消費やマーケティングの在り方を考えるに当たっては差し支えない本であることは変わりない。最後にはさらに10年程経っての01年頃の作者の後秋が添えられている。ただやはり自分には難しい。再度読み直す必要があるのだろう。
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表紙が可愛い。あと、ビックリマンシールを集めたくなる。 そんなことは置いといて、面白かった。ただ、拡張性は無かった。というのは恐らくこれが元々出版された89年、つまり僕が生まれた年以後、ここで論じられている手法や概念というのが広く流通され、その下で育ってきたために取り立てて新鮮味を感じ無かったということ、また東浩紀や宇野常寛といったような批評家の批評形式に若干の慣れがあるので驚きも少なかったと言える。 ただ、狙わずして80年代の反原発運動等の見解も読め、震災以後の原発を巡る国内の政治的行き先に思いを馳せることとなった。 表紙が可愛い。
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80年代末の消費社会論。 『動物化するポストモダン』の議論のベースとなっていたため、手にとった。 人はモノを通して、その裏の物語にアクセスしているという主張は、今でも職人の作る伝統工芸品などに応用可能であると感じた。
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89年の方を読んだ。読んでいるうちに、「物語消費」と「データベース消費」って何が違うんだっけ?とか、「大きな物語」はなんでポストモダンの社会では成立しないんだっけ?という疑問が湧いたので、東浩紀『動物化するポストモダン』を読み直したい。
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『定本物語消費論』は大塚英志氏の著作で、'89年に刊行された同氏の『物語消費論』を加筆・訂正し、「補」を新たに加えたものです。 大塚氏は当時子どもたちの間で人気だった「ビックリマンチョコレート」なる商品に着目し、その消費行動を支えている背景へと考察の目を向けます。それ...
『定本物語消費論』は大塚英志氏の著作で、'89年に刊行された同氏の『物語消費論』を加筆・訂正し、「補」を新たに加えたものです。 大塚氏は当時子どもたちの間で人気だった「ビックリマンチョコレート」なる商品に着目し、その消費行動を支えている背景へと考察の目を向けます。それは、個々の商品ではなく、それらの商品群を通して現れる一つの「世界観」が消費されている、というものでした。 そして、そうした「世界観」は送り手によって一方的に構築され与えられるものではなく、商品一つ一つに付されたシールに刻印されている情報の断片をもって、消費者自身の手で創り上げられていたのです。 フランスの社会学者ボードリヤールを引用しつつ、また柳田民俗学における近代以前の日本を対象とした物語論を紹介しつつ、大塚氏は現代消費社会の置かれた状況を「物語消費」という概念を用いて説明しようと試みています。 この本によって示されている大塚氏の消費社会論やポストモダン論、サブカルチャー論は、たとえば東浩紀のような後の研究者へと連なっていきますが、今から20年前に記されたこの『物語消費論』は、今でも有効な一つの参考文献として必読でしょう。 ちなみに、大塚氏は本書において、すでに現在のワンピース・ブームを具体的に予見されています。
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後続の物語消滅論を読んだ。 本書は斜め読み。 物語を消費する、消費させる売り手 そのうえで(意図や自覚が無いのが悲しいが)、みんなが生活する態度、社会 一人ひとりが、自分の物語を、選び(ここでは購入し)、生きる可能性といういみで大きな未来への可能性を感じる。 自分の思いとして...
後続の物語消滅論を読んだ。 本書は斜め読み。 物語を消費する、消費させる売り手 そのうえで(意図や自覚が無いのが悲しいが)、みんなが生活する態度、社会 一人ひとりが、自分の物語を、選び(ここでは購入し)、生きる可能性といういみで大きな未来への可能性を感じる。 自分の思いとしては自覚的に、自分の生きやすい”物語”を取捨選択して生きる社会が来ないかなと思う。 その地ならしにならないか
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同人、とりわけ二次創作に対して首を捻ることがある人にとっては興味深い一冊だと思います。 但し80年代に書かれた考察なので情報が古い。古すぎる。
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