戦争を記憶する の商品レビュー
後半になると少しずつ作者の考えが出てきますが、戦争観がどのように形成されていったかという経緯についてのまとめがほとんどでした。戯曲や小説、映画などの作品名や抜粋があるので、とても興味深く読み進めることが出来ました。 ワシントン博物館やホロコースト博物館、チャンギ博物館など初めて...
後半になると少しずつ作者の考えが出てきますが、戦争観がどのように形成されていったかという経緯についてのまとめがほとんどでした。戯曲や小説、映画などの作品名や抜粋があるので、とても興味深く読み進めることが出来ました。 ワシントン博物館やホロコースト博物館、チャンギ博物館など初めて知る博物館が多く、当たり前ですが他の国にもこのような博物館が存在するのだと再認識しました。 戦争といえば原爆の印象が強いので、日本が侵略戦争を行なっていたこと、被害者意識ばかりだという点については今後知るべきだと思いました。 アメリカの原爆展示について、生存されている当時の関係者が物申した件にしても戦争を知らない世代だけの方が平和に近付けるのではと考えてしまいます。恐らく今後武器を手放す日が来たとして、再び武器を手に取る日も来ると思います。平和に慣れた時、恐怖を忘れた時、自他国に関係なくそこに暮らす一人ひとりの人間について考えることを忘れ欲深く暴力で解決する。反省と忘却の繰り返しだろうなと感じました。 過去の出来事について現代の人間が責任は取らなくても、未来の人間のために忘れず確認することは必要だと思います。今ウクライナに対する侵略戦争が行われています。反戦思考を持っていますが、今回の件で侵略戦争に対しては戦わざるを得ないのかなと考えてしまいます。早くウクライナに対する侵略戦争が終わり、過去になる前に責任を持って失われた人々の暮らしが取り戻せる環境を支援して欲しいと切に願います。
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2001年出版の本だが、北朝鮮のミサイルの脅威の中で 暮らす今に響くことが多い。 戦後の歴史論争は今も続いている。
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2001年刊。著者は東京大学大学院法学政治学研究科教授。 「歴史とは如何に語られ、後世に伝えられていくか」「その中で戦争という事象の持つ人々への影響力はいかなるものか」 さらに「その際、戦争をテーマにした博物館や映画・小説等はいかなる役割を果たすか」。 例えば、原爆投下の持つ意味合いは、日本人と米国人、或いは日本が武力支配下においた各地の人々(シンガポール人を忘れるべからず)により違う。 何故かような違いが国毎で生まれ、あるいは国内でも、例えば西尾某のような中世史国内情勢を無視した歴史書が一部の支持を集めるのか。 本書は、このような各国・各地域の歴史認識に依拠した民衆意識の違いを踏まえないと、現在の国際政治、国家間の関係を上手く説明できなくなったという問題意識に支えられている。その問題は、おそらく、世界各地で、大衆民主主義=民意の反映が政治的正当性を担保する体制が広がったからだろう。 そして、歴史事象の中では、戦争の記憶が民衆に与える影響力が強いことを踏まえ、本書は社会思想の戦後展開を述べつつ、戦争記憶がもたらす社会通念やイデオロギーの相対化(他国の眼差しの理解に通じる)の必要性をうたう。 端的に好著である。 内容以外に、考え方に関しても、余りに腑に落ちすぎる叙述が多すぎる。 特に「他説を批判するだけ、論駁するだけの叙述は自説を正当化することにはならない。他説も自説も間違っている可能性を排斥しないからだ」という主旨の記述は至極納得である。 しかも、積極証拠のない限り、本来は当該命題を認定することはできないのだ。こういう至極当然のことが、現実には行われていない実情に暗然とする思いである。
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友人に薦められて読んでみた。 広島とワシントン。平和記念資料館とホロコースト記念博物館。 2つの博物館と底に流れる戦争に対する考え方、またそれがどのような歴史を経て形成されたのか。
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感想を書くのが非常にはばかられる本で それぞれの場所での戦争の感じ方の 違い、そしてその後処理に関しての相違… こう思うと本当に戦争は罪深い代物ですね。 罪深い、罪深すぎる。 でも、これは絶対に必要悪とはいいたくありません。 確かに人は欲に弱い、弱い生き物です。 だけれども、この欲だけはどうがんばっても おかしいのです。 必要悪では決してないです。 もう二度としてはいけないのです。
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ゼミの課題で読んだけど面白いとおもう!わりと読みやすいし要点まとめやすそうなのでありがたい♡ がんばろ〜 読み終わったらまた更新します。
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広島の平和記念館とワシントンのホロコースト博物館の違い。双方とも平和を訴えるはずが、何が違い、それと日本人と意識の影響は。広島には絶対反戦はあるが、加害意識はない。ワシントンには不正への怒りはあるが、それを許したことへの後悔(むしろ闘うべきであった!)の違い。それは日本人が加害者であることを忘れ、原爆の加害者として平和を主張するという意識に繋がっていく。そして戦争の記憶は被害者ほど鮮明であり、語り告げられていく上に決して風化することがない。「西部戦線異常なし」「カサブランカ」の違いに始まり、キーブリック、スピルバーグの映画にもおよび戦争を問う。日本の戦争責任が問われている今、貴重な本です。
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戦争があったのは事実で、 その戦争で亡くなった人がいるのも事実。 人権侵害が行われたこともあったし、 大量破壊兵器が作られ、使われたこともあった。 それはいいとして。 この事実をどう記憶するのか、ということについては、 時代・地域によって様々だということを、この本は教えてくれる...
戦争があったのは事実で、 その戦争で亡くなった人がいるのも事実。 人権侵害が行われたこともあったし、 大量破壊兵器が作られ、使われたこともあった。 それはいいとして。 この事実をどう記憶するのか、ということについては、 時代・地域によって様々だということを、この本は教えてくれる。 戦争観ほど、相対化されてしかるべきものはないと思う。 同じ事実を受け止めて、違う捉え方をしていい。 どのように受け止めたところで、 所詮は戦争という真理の一側面を、さらに断片的に知ったにすぎないからだ。 しかし、政治的な動きはそれを許さない。 特定の戦争観を礎にして共同体を作ることだってあるだろう。 特定の戦争観を盾に国際社会でのポジションを獲得することもあるだろう。 国際社会の要請に応える中で、国の在り方を議論しなくてはならないこともある。 その時代・地域で、要請される政治的行動の中で、"戦争観"は統一されていく。 今日も、靖国に行く行かない、いい悪いの議論(というか罵り合い)が始まる。 「戦争を記憶する」ことによって私達に何をさせたいのか。 「戦争を記憶する」ことを、なぜしなくてはならないのか。 そもそも、 「戦争を記憶する」ことは何なのか。 ぜひ、お手に取ってほしい。
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同じ戦争を経験したはずなのに、戦争への認識が「正戦」と「反戦」にわかれたアメリカと日本。当たり前に思っていた戦争への認識にさまざまなかたちがあることがわかって、何度もハッとさせられました。「国民の物語に組み込むのではなく、市民社会の夢に解消するのでもなく、戦争の残したものを捉え」...
同じ戦争を経験したはずなのに、戦争への認識が「正戦」と「反戦」にわかれたアメリカと日本。当たり前に思っていた戦争への認識にさまざまなかたちがあることがわかって、何度もハッとさせられました。「国民の物語に組み込むのではなく、市民社会の夢に解消するのでもなく、戦争の残したものを捉え」ることをこれから考えていく必要があると感じました。
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戦争記念日に是非とも読んで、原爆投下やホロコーストについてもう一度戦争観を自分自身に問いかけたくなる。
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