残響 の商品レビュー
人と人との間には、時…
人と人との間には、時間の隔たりや空間の隔たりがあり、人はその隔たりを超えて交歓可能なのだろうか。作中人物たちはずっとそういうことを考えている。彼らは、静かだが極めて複雑な人という存在が発する「音」によって、互いに響きあっている。読みながらおのずと考えさせられる一作。
文庫OFF
繋がりそうで繋がらない群像劇の中篇が二作。 この世の摂理に触れるようなイノセントでシャープな視線は本作は見られず、非常に女性的で感覚的だった。 そもそも背表紙の文句から肌に合わないものを感じた。
Posted by
『季節の記憶』がほとんどの人が人生において必ず経験する一般的・普遍的な体験についての思案だとしたら、『残響』はその時その場所で誰々という一人の人間の身に起きた完全に個人的な体験についての思案だという印象を受けた。そういう意味でその二つの作品は相補的な関係だと言えるように思う。どち...
『季節の記憶』がほとんどの人が人生において必ず経験する一般的・普遍的な体験についての思案だとしたら、『残響』はその時その場所で誰々という一人の人間の身に起きた完全に個人的な体験についての思案だという印象を受けた。そういう意味でその二つの作品は相補的な関係だと言えるように思う。どちらの作品からも、作者は地動説的なものの見方を持っていて、自分中心ではなく宇宙の一部品として自分を捉えていることがうかがえる。俯瞰的でどちらかといえば冷たい見方だとも言え、そのため文章の温度は低く、共感に強く訴えることもほとんどない。しかし、そういうプラスの感情にたよらないものの見方でも、住んでいる世界の素晴らしさを見出すことはできるのだということを、人や物や生き物を介した人間関係の連鎖・交錯・共存を描くことでこの作品は表現しているのではないかと思った。私は共感に頼りがちな感情タイプの人間だが、こういう理知的・物質的な考え方に対する憧れもあり、とても感心する思いで読んだ。異なる視点を与えてくれる力作なんじゃないかなあ。
Posted by
保坂和志「残響」http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163170008 … 読んだ、すばらしい!何も起きない、粗筋にできない。他者へ伝わらないその他者本人について思いを巡らすことの意味は?思考による他者の存在と、不在の存在の確認。個人に...
保坂和志「残響」http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163170008 … 読んだ、すばらしい!何も起きない、粗筋にできない。他者へ伝わらないその他者本人について思いを巡らすことの意味は?思考による他者の存在と、不在の存在の確認。個人に閉じた思考を介して一人ひとり世界はつながっている(つづく 誰かのことを考えるとき、そこに居なくても、見知らぬ人でも、その人は確実に存在するし自分と関係がある。「コーリング」は小説内では社名だけれど、「残響」とのセットで、誰かのことを考えること=そこに居ない(伝わらない)相手への思考を介した呼びかけ、の意味のようで、いいタイトル(おわり
Posted by
保坂和志「残響」http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163170008 … 読んだ、すばらしい!何も起きない、粗筋にできない。他者へ伝わらないその他者本人について思いを巡らすことの意味は?思考による他者の存在と、不在の存在の確認。個人に...
保坂和志「残響」http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163170008 … 読んだ、すばらしい!何も起きない、粗筋にできない。他者へ伝わらないその他者本人について思いを巡らすことの意味は?思考による他者の存在と、不在の存在の確認。個人に閉じた思考を介して一人ひとり世界はつながっている(つづく 誰かのことを考えるとき、そこに居なくても、見知らぬ人でも、その人は確実に存在するし自分と関係がある。「コーリング」は小説内では社名だけれど、「残響」とのセットで、誰かのことを考えること=そこに居ない(伝わらない)相手への思考を介した呼びかけ、の意味のようで、いいタイトル(おわり
Posted by
「コーリング」と「残響」の2作品を収録。 最初、どう入り込んでいいのか分からなくて、戸惑ったけどかなり面白かった。何度か読み返したいと思わされる小説。
Posted by
この文庫には、『コーリング』と『残響』の二編が入っている。『プレーンソング』『季節の記憶』を読んだあとに、この本を読んだ。最初に読んだ二つが、一人の人間の主観的な視点(それでも冷静で客観性を備えた人物が中心に置かれていたけれど)から描かれているのに対して、『コーリング』も『残響』...
この文庫には、『コーリング』と『残響』の二編が入っている。『プレーンソング』『季節の記憶』を読んだあとに、この本を読んだ。最初に読んだ二つが、一人の人間の主観的な視点(それでも冷静で客観性を備えた人物が中心に置かれていたけれど)から描かれているのに対して、『コーリング』も『残響』も、映画のカメラのような、客観的な視点で描写が行われる。 特に、『コーリング』は、文章の感じも、一文一文が短くて、これまでとは異なる感じが強かった。かなり淡々としている印象を受けた。『残響』は、『コーリング』と比べると、文章の長さや感じは『プレーンソング』『季節の記憶』に近く、より一層、描かれる個人がどういうことを考えて生きてる人物なのかということが、詳細に述べられているように思う。 これまで、「ある考え方を持つ個人」が捉えた世界に焦点が当たっていたのに対して、「ある考え方を持つ他者と他者」で構成される世界ということが中心になった。そうすると、人と人との隔絶感というか、「わかりあえない」という前提が生まれて、そこからどう関わり合いをもつのか、自分ではない他人との関わりというのは、どういうものなのか、ということが問題の中心になってきたように思った。主観を持つ個体と個体がどんな関係を持っているのかを俯瞰して見ている気持ちになる。 自分の考え方に対する興味を深めていくと、だんだんと他者と自分との関わりということに関心が向いていくのだろうか、ということを思った。
Posted by
たぶん一気に読んだ方がいいのかも。 どうも残響読んでいて、前半のコーリングと内容がこんがらがることがあった。 やはり回り道ぐるり文。 というか、会話が少ないだけに余計にたらたら~っと続いてるように思えてならない。 これまでで一番読みにくかった。 でも、所々にはっとする言葉が...
たぶん一気に読んだ方がいいのかも。 どうも残響読んでいて、前半のコーリングと内容がこんがらがることがあった。 やはり回り道ぐるり文。 というか、会話が少ないだけに余計にたらたら~っと続いてるように思えてならない。 これまでで一番読みにくかった。 でも、所々にはっとする言葉がちりばめられている。 いつも、誰かが誰かのことを考えていたりするんだよなー世の中って、と思う。 それは特別な意味を持つことのようで、当たり前のことでもある。 私はプレーンソングの方が好きだなー。 まぁいつか再読しよう。
Posted by
ずっと頭の中にあって、歩いているときとか話しているときとか、友達とさよならして一人になったときとか、ふと文章が浮かび上がってくる。
Posted by
孤独と孤独が、実際に顔をあわせることなく、広い世界で、響きあう。出会う(出会った)ということは、やっぱり喜ばしい出来事だと思った。 実際に会わないけど、誰かのことを、考えている。。 素敵なことだと思う。 わたしも、そんな経験、ある。哀しくて、幸せなことだ。 でもちょっとなんと...
孤独と孤独が、実際に顔をあわせることなく、広い世界で、響きあう。出会う(出会った)ということは、やっぱり喜ばしい出来事だと思った。 実際に会わないけど、誰かのことを、考えている。。 素敵なことだと思う。 わたしも、そんな経験、ある。哀しくて、幸せなことだ。 でもちょっとなんとなく理屈っぽくて、読みづらかった。
Posted by
- 1
- 2