楽しみの社会学 の商品レビュー
> 現在、学校、事務所、工場など、我々がそこで時間を費すほとんどの組織体は、真剣な勉強や仕事は厳しく、不愉快なものであるとの仮定の上に構成されている。この仮定のゆえに、我々の多くの時間が不愉快なことを行うために使われている。楽しさを研究することによって、この有害な状況を転換...
> 現在、学校、事務所、工場など、我々がそこで時間を費すほとんどの組織体は、真剣な勉強や仕事は厳しく、不愉快なものであるとの仮定の上に構成されている。この仮定のゆえに、我々の多くの時間が不愉快なことを行うために使われている。楽しさを研究することによって、この有害な状況を転換させる方法がわかるかも知れない。(第1章 楽しさと内発的動機づけ) > 自己目的的経験は行為者をその活動に完全に没入させてしまうものの一つとなる。その活動は絶えず挑戦を提供する。...このような状況のもとでは、人は必要とする技能を、それがどのようなものであれ、フルに働かせることができ、自分の行為から明瞭なフィードバックを受けとる。...我々はこの特異でダイナミックな状態─全人的に行為に没入している時に人が感ずる包括的感覚─をフロー(flow)と呼ぶことにする。(第4章 楽しさの理論モデル) 人が没入的な行為に楽しさを感じるような経験を分析することによって、内発的報酬の再現性のある構造を探る。 楽しさは遊びと関連があり、カイヨワの分類が触れられている。チクセントミハイはカイヨワの分類を参考にしつつ、そのような分類はむしろ議論を狭める要因にもなり得るとし、調査において独自の分類を用いる。 > 彼のモデルは、すべてのこのような活動は、自分の限界を試し、技術をみがき、新しい経験を克服することによる自己超越の手段であるという暗黙の過程によって、哲学的な一貫性を与えられている。彼の四種のカテゴリーの使い方は優雅であり、知的関心を刺激する。しかし、整然とした分類学がすべてそうであるように、このような体系的図式は研究を鼓舞するよりも、むしろ締め出してしまうであろう。(第3章 自己目的的活動の構造) 行動主義的な立場から外的報酬と内的報酬の関係性を論じるような方法はビジネス書やアカデミックな書籍で見られるが、本書は内的報酬がどのような形式で存在するのかをより直接的に論じようとする。 > ある経験を「自己目的的」と呼ぶとき、我々は暗黙のうちに、それが外発的目標や報酬を持たないということを仮定するが、このような仮定はフローにとって必要ではない。(第4章 楽しさの論理モデル) 本書では、チェス、ロック・クライミング、ロック・ダンス、外科医による手術を対象にフロー・モデルに基づいた説明が試みられる。 > ロック・クライミングやチェスが、フローの一般的モデルにてらして、よりよく理解できるということは、さして驚くにはあたらない。一方が身体的技能に没入し、他が知的、象徴的なものの遂行に没頭しているとしても、それらはいずれも「余暇」活動である。...しかし真の問題は、余暇や芸術的表現の領域から完全に離れた活動に対して、フロー・モデルを適用することが有効であるかどうかということである。(第8章 仕事の楽しさ─手術) これらの研究を通じて、楽しさの分類についての振り返りがなされている。 > 我々が今までに知り得たことを振り返ってみると、人間行動の理解のしかたに関して、従来とは異なる二つの大きな考え方の変更が示唆される。第一に考察し直されるべき点は、仕事と遊びという頑なな二分法である。...これまでの構造的区別へのこだわりを捨て、経験的な区別を強調することによって、我々はホイジンハやカイヨワ、その他多くの人々が遊びという現象の中心的論点をした遊びの精神をより正しく理解することができる。しかし彼らは、明瞭な構造的な区別に頼り、楽しい経験を見るかわりにゲームを見てしまうため、この「遊びの精神」を研究できなかったのである。(第11章 楽しさの政治学) チクセントミハイの研究の内容はフロー体験という独自の視点に立ち、遊びの範疇を超えて仕事や生活においてフロー体験がどのように活かせるかまで踏み込んでいる。楽しさを分析し、特殊な能力を持つ人だけでなく社会の中でうまく活用されることを望む本書は、内発的動機に興味をもった際にはぜひ読むべきと推奨したい名著である。 > 何が教えられるべきかだけでなく、いかに教えられるべきかが問題なのである。フロー体験の研究は、何らかの構造的状態が保持されている限り、どのようなものでも楽しいものとすることができることを示唆している。...もし人間の進化というものが続くべきものならば、我々は、より完全な形で生活を楽しむことを身につけねばならないだろう。(第11章 楽しさの政治学)
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チェスやロッククライミング、手術などのアクティビティを通じ、フロー発動の原理が解説されるなど、エビデンスに基づく実証が説得力を与えている。
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佐藤のフィールドワークの技法で紹介している本である。チェス、ロッククライミング、ロックダンス、医療行為などの状態でどのくらいフロー体験が生じているかを記載している。付録には尺度もついているので、フロー体験を測定する卒論には最適のものであろう。他のチクセントミハイの本では概要なので...
佐藤のフィールドワークの技法で紹介している本である。チェス、ロッククライミング、ロックダンス、医療行為などの状態でどのくらいフロー体験が生じているかを記載している。付録には尺度もついているので、フロー体験を測定する卒論には最適のものであろう。他のチクセントミハイの本では概要なので卒論にすぐ役立てるためには最適の本である。
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何か活動するときに、人は報酬などの外発的動機づけだけのために、活動するわけではない。そのことをすること自体が楽しいからする。この楽しさの源になるものを「フロー」と著者は呼ぶが、このフローについて多面的な考察を行った一冊。「仕事」と「遊び」の二分法を批判し、仕事や遊びの中にフロー...
何か活動するときに、人は報酬などの外発的動機づけだけのために、活動するわけではない。そのことをすること自体が楽しいからする。この楽しさの源になるものを「フロー」と著者は呼ぶが、このフローについて多面的な考察を行った一冊。「仕事」と「遊び」の二分法を批判し、仕事や遊びの中にフローをもたらす工夫をすれば、楽しくなってくるのだという主張は、ゲーミフィケーションを先取りした主張といえる。
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----- かの有名な「フロー体験」についてのチクセントミハイの本。 極めてアカデミックに内発的動機付けを定義し、検証している。 ----- フロー体験は 「始まりと終わりが明確」で 「自己効力感が持てる行動」で 「結果と自分の行動のつながり感のフィードバック」があって 「&qu...
----- かの有名な「フロー体験」についてのチクセントミハイの本。 極めてアカデミックに内発的動機付けを定義し、検証している。 ----- フロー体験は 「始まりと終わりが明確」で 「自己効力感が持てる行動」で 「結果と自分の行動のつながり感のフィードバック」があって 「"適度に"難しい」 という行動、という感じ。 ----- あくまで行為自体が報酬になる、というのがフロー体験。 果たして仕事にこの考えが適用可能なのか?というのは 自分の中では結論が出せなかった。 仕事におけるフロー体験として、チクセントミハイは 外科医の手術を例示している。 外科手術は「時間が限られる」「成果が分かりやすい」など 仕事内容としては少し特殊。 企業において満たしづらいのは特にこの二つの点だろう。 ----- フロー体験には「構造化・パターン化」されている 共通の前提条件があることが大切らしい。 安心して没頭できるためにはパターンがあることが必要。 ----- マイクロフローという概念は面白かった。 端的に言うと「クセ」。 詳しく言うと「非生産的で自己目的的な行動」。 平たく言うと「分かっちゃ居るけど止められないこと」。 研究としては突っ込みが不十分だけれど、 概ねの方向としてはマイクロフローを強制的に止めさせると 非創造的で不快感が募る方向にある、ということ。 -----
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自分の仕事や活動で提供したい価値の迫真に迫った感あり。 源流の古典にあたってよかった。 最終章が圧巻。。。 フロー・モデル 外発的報酬により得られる満足と内発的報酬により得られる楽しさの対比。 自己目的的活動に打ち込むのはなぜか?という問いからの出発。 フロー・モデルの肝は、自...
自分の仕事や活動で提供したい価値の迫真に迫った感あり。 源流の古典にあたってよかった。 最終章が圧巻。。。 フロー・モデル 外発的報酬により得られる満足と内発的報酬により得られる楽しさの対比。 自己目的的活動に打ち込むのはなぜか?という問いからの出発。 フロー・モデルの肝は、自己の能力にちょうどよい行為の機会、感覚領域の限定、無関係な刺激の排除、明確な目標と達成の手段、明瞭なフィードバック。 フロー体験は日常を相対化することを通じて社会変革の基盤となりうる。
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井口さんお勧めのチクセントミハイ、海外出張の機内で読了。 「ハマる」を論理的に分析しており、そうそう、と頷き続けてました。 仕事=苦痛・遊び=楽しい、じゃないんだよな。楽しいか楽しくないか、これが重要。 特に共感した点は、結果のフィードバックをいかに早く得られるかが楽しみのレベル...
井口さんお勧めのチクセントミハイ、海外出張の機内で読了。 「ハマる」を論理的に分析しており、そうそう、と頷き続けてました。 仕事=苦痛・遊び=楽しい、じゃないんだよな。楽しいか楽しくないか、これが重要。 特に共感した点は、結果のフィードバックをいかに早く得られるかが楽しみのレベルを決定付ける点。どんなにきつい仕事でもお客様の喜びが伝わると、疲れが吹っ飛ぶ。次も頑張ろう、という気になる。で、結果はあとからついてくる。 大事なことに気づかせていただき、ありがとうございました。 図書館の蔵書がこれだけだったので、チクセントミハイの別著は、ちゃんと買って読もう。
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フローの構造:横軸は行為の能力(技能)、縦軸は行為への機会(挑戦)。つりあうとき自己目的的なフロー経験。チェスで実力の異なる対戦を相互にフロー化するには:弱い相手に替える、強くなる、ハンデキャップ。
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『フロー体験』の方読めばこっちは読まなくてもいいような。 それの基礎となった研究の詳細。いまとなっては古いし、研究手法にちょっと難があっていろいろ苦労している跡(チェスや「ロックダンス」)もみられるけど、やっぱりいろいろ思考が刺激されてよい本だった。 教養部時代にこれ...
『フロー体験』の方読めばこっちは読まなくてもいいような。 それの基礎となった研究の詳細。いまとなっては古いし、研究手法にちょっと難があっていろいろ苦労している跡(チェスや「ロックダンス」)もみられるけど、やっぱりいろいろ思考が刺激されてよい本だった。 教養部時代にこれ読んでたら迷わず心理学やってたろうと思う。でもあのころは学校の雰囲気があれだったし、まあ読んでもよくわかんなかったろう。
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卒論のために読みました。といってもまだ読み途中ですが・・。チクセントミハイは,全人的に行為に没入しているときに人が感ずる包括的感覚をフローと呼びます。そして,このフローの概念で,ゲームやスポーツがなぜ楽しいのかを明らかにしていきます。フローが生まれる条件として説明された部分を言う...
卒論のために読みました。といってもまだ読み途中ですが・・。チクセントミハイは,全人的に行為に没入しているときに人が感ずる包括的感覚をフローと呼びます。そして,このフローの概念で,ゲームやスポーツがなぜ楽しいのかを明らかにしていきます。フローが生まれる条件として説明された部分を言うと,「行為の中に含まれる挑戦水準が行為者の技術水準を上回れば心配や不安が生じ,その逆であると退屈が生じる。両者がつり合うところに実在感に満ちた楽しい状態 (フロー状態)が生じるつまり,倦怠と不安を越えて楽しさがある。」だそうです。ゲームやダンス,スポーツなどには,競争の要素や,現実にないものへの挑戦や,めまいのような感覚などを含んでいます。これらの要素がその行為を楽しいと思わせるものとなっているようです。この本を読み終わるころには,勉強を楽しいと思える方法が見つかるといいな・・と思いながら読んでいます。(畑田)
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