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日本奥地紀行 の商品レビュー

4.1

49件のお客様レビュー

  1. 5つ

    17

  2. 4つ

    14

  3. 3つ

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  4. 2つ

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2013/06/01

2008年くらいに読了。 かなり感心した記憶がある。 当時の、日本庶民の生活が、生々しく語られてる。

Posted byブクログ

2022/03/21

JALの機内誌で紹介されていたことがあり、興味はあったのだが、 それからだいぶ経ってしまった。 明治11年の夏、47歳の筆者は 横浜から、東京、粕壁(春日部)、栃木、宇都宮、今市、日光・・・ 新潟、米沢、秋田、弘前、青森そして、蝦夷へ。 函館、室蘭、紋別・・・別とはアイヌ語で川...

JALの機内誌で紹介されていたことがあり、興味はあったのだが、 それからだいぶ経ってしまった。 明治11年の夏、47歳の筆者は 横浜から、東京、粕壁(春日部)、栃木、宇都宮、今市、日光・・・ 新潟、米沢、秋田、弘前、青森そして、蝦夷へ。 函館、室蘭、紋別・・・別とはアイヌ語で川。 伊藤という18歳の通訳の少年を連れて。 所持した荷物が簡易ベッド、ゴム製バスタブ、蚊帳・・・と驚くが、 当時は蚤と蚊だらけの不潔な宿ばかり。 襖と障子の部屋にプライバシーはナシ。障子のたくさんの穴の向こうに目が。 外人をひと目みたいと、見物人が数百人集まってしまう。 当時の暮らしぶりがよく記述されている。 地方の農家では夏は男女とも上半身裸で、 女性は明治になっても、子どもが生まれるとお歯黒し眉をそる。 そのため20歳は年寄りに見える。 かなりの酷評をされる一方、治安の良さと親切さには感銘を受ける。 後に金谷ホテルを創業する金谷さんの金谷カッテージ・イン。 きれい過ぎて落ち着かないほど。 東照宮とその周囲の杉並木の立派さに感銘を受けた日光。 桃源郷だと最高の評価をされている米沢。 天候以外は文明化された町が気にいった様子の新潟。 ヨーロッパの要素がないにもかかわらず、貧乏臭さのない久保田(秋田市)。 もっとも詳しいのが、原住民アイヌの描写。 野蛮人だが、正直で、人をだますことなしない。 日本人と全く異なるきれいな顔立ち。住居。 日本人以上に、子どもを大切にする。驚くことにほとんど病人がいない。 しかし、彼らは酒のみが楽しみで、収入のほとんどをそれに使ってしまう。 風呂に入ったり、髪を洗うこともしない。 トリカブトの毒矢で熊を殺して食べる。 日本人の食事は米と味噌汁、豆の煮物、卵、塩魚くらい。 牛乳は子牛のためのものであって、それを飲むなど卑しいこと。 緑茶はスコットランド人にも非常に香りがよいとされた。 三味線や琴は雑音にしか聞こえなかったようだ。

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2013/01/20

イギリス人による明治時代の日本旅行記である。 なぜイギリス人女性が開国直後の日本を、それも外国人がほとんど立ち入った事がない奥地を選んだのだろうか。梅雨時の悪路や決して衛生的ではない宿に悩まされ、さらに人々の好奇心の目に晒されながら、旅を続けるモチベーションは何だったのだろうか。...

イギリス人による明治時代の日本旅行記である。 なぜイギリス人女性が開国直後の日本を、それも外国人がほとんど立ち入った事がない奥地を選んだのだろうか。梅雨時の悪路や決して衛生的ではない宿に悩まされ、さらに人々の好奇心の目に晒されながら、旅を続けるモチベーションは何だったのだろうか。 本書はもともと彼女の妹に宛てた手紙を集めたものらしいが、非常に細かく当時の様子が描写されており、資料的な価値もとても高いと思われる。作品の中に自分の住んでいる地域が出てくるのは嬉しいものだが、それが100年以上も前の話となると特別に感慨深い。 いかにも日本の原風景という感じの小さな子供たちの礼儀正しさ、そしてアイヌの人々の彼女に対する優しさがとても印象に残った。しかし彼女がもっとも心を奪われた美しく豊かな自然が、今では開発によってほとんど見る事が出来ないと思うと非常に残念である。

Posted byブクログ

2012/12/31

明治維新後の日本を外国人の女性が一人で旅する、 そのシチュエーションだけでもすごいな、と思う。 当時の女性としてはすごい度胸だっただろう。 詳細な記述により当時の様子が克明に分かって面白い。 自分が何よりも面白かったのは、当時の英国人がそれはもう ナチュラルに日本を見下している...

明治維新後の日本を外国人の女性が一人で旅する、 そのシチュエーションだけでもすごいな、と思う。 当時の女性としてはすごい度胸だっただろう。 詳細な記述により当時の様子が克明に分かって面白い。 自分が何よりも面白かったのは、当時の英国人がそれはもう ナチュラルに日本を見下している事だ。 何から何まで上から目線。 日本の馬を毎回のように「駄馬」と書く。 いらっとする事もたびたびあったが、本人に悪気は全くない。 これが当時の差別の現状なのだと思った。 そういう意味でも勉強になった。

Posted byブクログ

2012/12/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

北海道のアイヌ訪問が貴重な資料なので記録してみる。http://researchmap.jp/jon057a1j-1833293/ 第32信 北海道函館にて1878年8月12日 第33信 函館にて1878年8月13日 第34信 函館にて 第35信 ジンサイノマ(小沼)にて1878年8月17日 「外国夫人が初めて原住民の住む地方へ入って行くというので,いろいろと配慮してもらうおとができた。領事のユースデン氏が熱心に当局に働きかけた結果,私は知事から証文を貰うことができた。これは一種の公文書あるいは証明書で,どこでも馬や人夫を一里六銭の公定価格で手に入れる権利を保証するものであり,役人の巡回出張に使用するため維持してある家で優先的に宿泊する権利があり,どこでも役人から援助を受けることができるというものであった。」 図:幌別のアイヌの倉, 「沿岸ではベツとかペツという語との合成の名前がいくつかある。これはアイヌ語で川という意味である。例えば,幌別,湧別,紋別などがある。」 第36信 アイヌ小屋(平取)にて1878年8月17日 「私は,アイヌ人について言いたいことも,実際に彼らの中で生活するまでは書くのを控えて来た。」 図:アイヌの家族(日本人のスケッチから) 図:アイヌの小屋 図:アイヌの族長 「約300のアイヌ語を彼らから採取した。」 「後に,私は,函館のデニング氏や東京のシーボルト氏と会って調べてみた。彼らは私よりも多くの語彙を集めている。」 図:アイヌの倉 第37信 平取にて1878年8月24日 図:北海道のアイヌ 図:夫人の手の入れ墨 図:アイヌの家の平面図 図:アイヌの臼と杵 図:アイヌの神像 図:織機のおさ 第38信 佐瑠太にて1878年8月27日 第39信 旧室蘭(噴火湾)にて1878年9月2日 第40信 礼文華(噴火湾)にて1878年9月6日 第41信 函館にて1878年9月12日 第42信 函館にて1878年9月14日

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2012/10/23

渡辺京二さんの『逝きし世の面影』を読んで知った本です。 英国人女性イザベラ・バードさんが明治初期に日本を旅した記録です。 外国人の目に当時の日本がどうに映っていたのか。 そのことにとても興味があります。 日本人を知る手がかりになる予感がします。 『中国奥地紀行』『朝鮮奥...

渡辺京二さんの『逝きし世の面影』を読んで知った本です。 英国人女性イザベラ・バードさんが明治初期に日本を旅した記録です。 外国人の目に当時の日本がどうに映っていたのか。 そのことにとても興味があります。 日本人を知る手がかりになる予感がします。 『中国奥地紀行』『朝鮮奥地紀行』というのもあるそうで、 そちらも楽しみます。

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2012/06/24

けっこう辛辣だけども精密な描写で、100年ちょっと前の日本はこんなだったんだなーと新鮮な驚き。東北地方についてはちょっと似た感じが長々と続いて飽きたけど、アイヌのところは興味深く面白く読めた。たぶんもう、ほとんど消え去ってしまったし・・・。

Posted byブクログ

2012/06/05

明治初期、鉄道もなく整備された道さえない山間の農村集落を巡りながら、東北地方、蝦夷へ単身で旅をする。 今でさえ難しく感じるこの道のりを、言葉も不自由な外国の、しかも女性が成し遂げたという事実を、どれだけの人が知っているでしょうか。 「だだだ大丈夫!?」―最初の私の印象。 読み進...

明治初期、鉄道もなく整備された道さえない山間の農村集落を巡りながら、東北地方、蝦夷へ単身で旅をする。 今でさえ難しく感じるこの道のりを、言葉も不自由な外国の、しかも女性が成し遂げたという事実を、どれだけの人が知っているでしょうか。 「だだだ大丈夫!?」―最初の私の印象。 読み進めるほどに、イザベラさんのタフさに圧倒されます。 宿では大量の蚊や蚤と戦い、道では馬に落とされたり踏まれたり暴れられたり、川を泳いで渡ったり、首つりになりそうだったり。 そんな過酷な状況を面白がってるところがあっぱれ。 加えて、彼女のものを視る目の公平さに心を打たれます。 美しいものは美しい。 醜いものは醜い。 自然も人間も彼女の感性のまま、ありのまま描かれます。 「ああ、しかしなんとすばらしかったことか!」 そう彼女に言わしめた数々の景色は、現代ではきっとほとんど失われてる。 でも、この本の中で、色褪せることなく輝き続けています。

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2012/05/30

スコットランド出身のイザベラ・バードの1878年(明治十一年)の6月から9月にかけての東北,北海道紀行の記録.交通機関は人力車と駄馬で,この馬にはそうとう困っていたようだ. 宿屋では外人女性を一目見ようと人々が群がり,プライバシーがなく,おまけに蚤,蚊,悪臭に始終つきまとわれてい...

スコットランド出身のイザベラ・バードの1878年(明治十一年)の6月から9月にかけての東北,北海道紀行の記録.交通機関は人力車と駄馬で,この馬にはそうとう困っていたようだ. 宿屋では外人女性を一目見ようと人々が群がり,プライバシーがなく,おまけに蚤,蚊,悪臭に始終つきまとわれている.さらに夜中の隣室の宴会によって,眠れないこともしばしばだったようだ.食事のひどさも相当だったらしく,肉への執着をしばしば口にしている. 多くの町はそのひどい様子をこき下ろされるのだが,山形県と秋田市(久保田)は非常にほめられているのが印象に残った. (バードが通ったところで私がいちばん行ってみたいと思ったのは,青森県黒石.ねぷたが見てみたい.) 残念ながら,私は民族学的な興味はあまりないので,この本の価値はそういう記述にあるのだろうなと思いながらも,しばしば退屈に感じることがあった.500ページ以上あるので実際長いのだが,その長さを感じさせるページも少なくなかったということ. それよりも私は実際にどのルートを通っていったかにとても興味があって,はじめは地図帳や google map で調べていただのが,これが意外に難しい.地名が使われなくなっていたり,バードが思い違いをしていたり,旧道がすたれてなくなっているからである.それで途中から,参考書を開きながらという読書になった.

Posted byブクログ

2012/03/24

読み終わって、僕が知っていた明治時代の印象が大きく変わりました。外圧や災害で時代が激しく揺れ動いている今、外からの視点がとても大事だということを改めて思い知ったように思います。当時の中央が外国人に見せたくなかった現実が生々しく描写されていて、貧乏と清貧を混同して語ってはいけないな...

読み終わって、僕が知っていた明治時代の印象が大きく変わりました。外圧や災害で時代が激しく揺れ動いている今、外からの視点がとても大事だということを改めて思い知ったように思います。当時の中央が外国人に見せたくなかった現実が生々しく描写されていて、貧乏と清貧を混同して語ってはいけないなと改めて痛感しました。 それにしてもイザベラバードの旅好きから高じたタフさ加減には脱帽。あの時代にあのルートを外国人女性が愉しみながら旅してたなんて、やっぱりイギリスは先進国だったんだなーとしみじみと思いました。

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