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青春ピカソ の商品レビュー

4.2

36件のお客様レビュー

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    16

  2. 4つ

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  3. 3つ

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2011/11/27

半分は岡本太郎の青春のお話。 だがそれが面白い。 彼の強烈な個性、生き様が生々しく描かれており、そんな彼が心酔するピカソという存在の大きさ、偉大さが、作品や美術史的な位置付けだけでなく、実際に出会い、話した印象まで盛り込んで表現されている。

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2011/11/15
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

天才芸術家、すきだ。 自分の作品について仰々しく語ったりしないし、 なにより、自分の感情にとてもすなおだ。 岡本太郎はピカソを好きで好きでたまらない。 でも、だからこそ乗り越えたかったのだ。 ピカソと同じ破壊と創造の世界に到達したかったんだろう。 そしてピカソにもその世界に戻ってきてほしかったにちがいない。 ピカソが自由の境地に至ってしまったことが さみしかったにちがいない。

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2011/08/15

シャガールの絵みてボロ泣きしたの思い出した。あれいつだったんかな。 2007年10月6日~12月16日(日) 奈良県立美術館だ。 大学3年の冬・・・特に思い当たるふしないな。んんん

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2011/08/07

結果ではなく、生き様、前進にこそ価値があるという。作品ではなく作家の生き様にこそ価値があるという。これは新しい刺激。 岡本太郎もこの中で・・・ 「ピカソの作品の完成された美に打たれたのではない。創作者の動的な世界観に、私の意志が強烈にゆさぶられた。」 と言っている。つまり結果が...

結果ではなく、生き様、前進にこそ価値があるという。作品ではなく作家の生き様にこそ価値があるという。これは新しい刺激。 岡本太郎もこの中で・・・ 「ピカソの作品の完成された美に打たれたのではない。創作者の動的な世界観に、私の意志が強烈にゆさぶられた。」 と言っている。つまり結果が、完璧だから感動したのではなく、ピカソがやろうとしたこと、挑戦している描き様に、感動した、「おれもやったろろ!」と揺さぶられたってことだろうな。 結果や評価を気にする自分の生き方に、鉄槌をくらったぁ・・・そんな本。 なるほど…人生さらにワクワクしてきた…生き様にこそ価値がでる!

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2011/06/20

なぜすごい作品に出会うとドキドキするのか この本の冒頭にある一文から答えをもらった。 「―真に芸術作品に対した場合、観賞者(本文ママ)は 己の精神の中に何らかのセンセーションによって、 新たに何ものかが加えられる。…」(本文より) 「観る」ことによって自分の中に新しく何かがつ...

なぜすごい作品に出会うとドキドキするのか この本の冒頭にある一文から答えをもらった。 「―真に芸術作品に対した場合、観賞者(本文ママ)は 己の精神の中に何らかのセンセーションによって、 新たに何ものかが加えられる。…」(本文より) 「観る」ことによって自分の中に新しく何かがつくられる それを対外的に表現するか否かは、人それぞれだけれど 創る能力は観る能力と比例するといえる。 「真の観賞とは同時に創るということでなければならない。 観ることと創ることは同時にある。」(本文より)

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2012/12/25

知り合いに、「高校時代、この本に出会ったおかげで救われた」というひとがいます。 迷ったり、悩んだりしているとき、どうして「岡本太郎」はこんなにも求められるのだろう。

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2011/03/04

岡本太郎によるピカソ論。いや、ピカソへの恋文と言ってもいいかも。天才が語る天才、熱き言葉が叩き込まれます。正直難しい部分も多かったのですが、グイグイと引き込まれました。言葉に力があるんですね。他の著書も読んでみたくなりましたね。

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2010/05/10

10053 05/09 (雑誌) MONOQLO特別編集 IKEA&ニトリ覆面調査!! 10054 05/10

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2010/02/27

(2010.02.25読了) 単行本は、1953年12月に出版されています。いまから56年ほど前と言うことになります。 いまではあまり使われなくなった漢字が結構使われていますが、振り仮名が振ってありますので、読むのにあまり支障はないとは思いますが、意味のわからないものが結構あるか...

(2010.02.25読了) 単行本は、1953年12月に出版されています。いまから56年ほど前と言うことになります。 いまではあまり使われなくなった漢字が結構使われていますが、振り仮名が振ってありますので、読むのにあまり支障はないとは思いますが、意味のわからないものが結構あるかもしれません。若い方は頑張ってください。 岡本太郎とピカソの絵との出会い。ピカソの絵の持つ意味。ピカソの作品の変遷。ピカソの生い立ち。雑誌の取材のためピカソの工房を訪ねた時の様子。などが記してあります。 岡本太郎にとってのピカソの存在がどのようなものであったのかがわかります。 ピカソの絵のカラー図版が8枚ほど収められています。 ●セザンヌとピカソ(14頁) 私がセザンヌとピカソの前で泣いたのは、それらの作品が私の生活と肉体に端的に侵み入って来たからである。私は鑑賞者として感激したのではない。創るものとして、揺り動かして来る強い時代的共感に打たれたのであった。言い換えれば、作品の完成された美に打たれたのではない。創作者の動的な世界観に、私の意志が強烈にゆすぶられたのだ。 ●ピカソを超える(19頁) ピカソに挑み、のり超えることが我々の直面する課題である。 言うまでもなく芸術は創造である。とすれば過去の権威を破砕することによって飛躍的に弁証法的に発展すべきものである。芸術家は対決によって新しい創造の場をつかみ取るのだ。 ●ピカソの言葉(35頁) 「幸か不幸か、多分それは歓びなのだが、私はすべてのものを好き勝手に画面に置く。果物の籠と合わないからと言って好きな金髪娘を画面からオミットするような絵描き、あるいはまた絨毯と調子が合うために、好きでもない林檎を常に描かなければならないというような絵描きの運命はなんと惨めなものだろう。私は気に入った物は全部、絵の中に描きいれる。描かれた物には気の毒だが、互いによろしくやってもらう他はない。」 ●ピカソの課題は、ピカソが解決(54頁) 絵画における伝統破壊の張本人のごとく言われるセザンヌは実は建設者であった。20世紀の合理主義的美学は彼による。ゴッホでさえ、提出した課題は若い世代によって受け継がれたのである。しかしピカソの破壊こそは彼によってはじまり、彼によって閉ざしてしまう。彼そのものが完成品なのである。ピカソの提出する課題はすべて彼自身によって解決されてしまっている。つまりすでに彼自身の解決を前提としてのみ提出された課題である。 ●ピカソにはスペインの血が(76頁) フランス芸術には伝統的に、あの救いがたいような憂愁というものはない。たとえばカリエールには甘さがあり、シャバンヌには整頓があり、ロートレックは粋である。そしてそれらは皆どこか理智によって割り切れているのである。「青の時代」の憂愁はゴヤ的な残忍であり、グレコ的神秘のエレジーではないだろうか。 ●グレコの影響(117頁) 彼はグレコに熱中し始める。大胆にして絢爛な構図、繊細な色調の神秘、人間性の苦悩に耐え、法悦は無限な静けさの裡に溢れる。過去の巨匠の中でグレコほどピカソに偉大、かつ決定的な影響を与えた画家はないであろう。 ☆関連書(既読) 「今日の芸術 新版」岡本太郎著、光文社、1963.10.30 「人間ピカソ」瀬木慎一著、日本放送出版協会、1973.04.20 「ピカソを考える」坂崎乙郎著、講談社、1979.11.26 「ゲルニカ物語」荒井信一著、岩波新書、1991.01.21 著者 岡本太郎(オカモト・タロウ) 1911年2月26日、東京生れ 東京美術学校に入学 1930年からパリに住む(10年間滞在) パリ大学で哲学・社会学・民族学を専攻 1970年、大阪万博テーマ館をプロデュース 1996年1月7日、パーキンソン病による急性呼吸不全により死去。享年84。 (2010年2月27日・記)

Posted byブクログ

2010/02/02

若い岡本太郎が、老境にさしかかったピカソに挑む。エネルギッシュで天真爛漫なピカソは、まるで晩年の岡本太郎のようだ。若いからこそ出来る挑戦、老年だからこそ出来る奔放さ。 それにしても岡本太郎の緻密な理論と豊富な語彙にはびっくりする。自分も含め、現代人は思慮が足りなさすぎると痛感。

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