市民科学者として生きる の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
著者は兄と同じ高校に入学しました。東大に進学した兄とは入れ違いでしたが、現役で東大に入学した兄と何かにつけ比べられることになりました。しかし、その頃には、子どものときに感じていた対抗心は消えていたそうです。兄が「学問」という言葉に魅せられたように、弟も兄の影響を受けました。当時はまだ、「東京に出て学問を志す」ことに、特別な重みを感じることのできた時代でした。そして、勉強を始めた。それは典型的な受験勉強でしたが、本人は「学問事始め」のつもりでいたと言います。 兄から数学の手ほどきを受けた著者は、「1つの問題を解くのに、何時間かけてもよいから考えて、自分で答えに到達しろ」と言うアドバイスを忠実に守り、毎日、何時間も数学の問題ばかり解いていたそうです。そうして、受験勉強にはまっていった著者は周囲から「受験優等生」と呼ばれるようになり、ほどなくして、東大理科一類に入学することになりました。 しかし、受験優等生だからといって受験勉強ばかりしていたのではなく、政治や社会問題にも関心を寄せていました。社会学研究会に顔を出したり、原水禁運動の署名をしたりしました。ただ、そうした活動にのめり込まなかったのは、著者が、党派性を好まない「一匹狼主義」を貫いていたからだと、自己分析しています。
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生き方としては、非常に心打たれるものがあったというか、常に参照する必要があるだろう。高木仁三郎にはならないにしても。
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7年目の3月11日。 たまたま、前に買ってあった本を手に取りました。 恥ずかしながら、高木さんのことを知らなかった。 彼が生きていたら、この現状をなんと言うんだろう。
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1997年に環境・平和・人権の分野において「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれるライト・ライブリフッド賞を受賞し、2000年に急逝した科学者・高木仁三郎氏が、自らの人生を振り返った自伝的著作。高木氏は、同賞の受賞直後にがんにかかっていることがわかり、死期を悟りつつ、1999年に本書...
1997年に環境・平和・人権の分野において「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれるライト・ライブリフッド賞を受賞し、2000年に急逝した科学者・高木仁三郎氏が、自らの人生を振り返った自伝的著作。高木氏は、同賞の受賞直後にがんにかかっていることがわかり、死期を悟りつつ、1999年に本書を病床で書き上げたという。 高木氏は、1938年に生まれ、高度成長の時代がまさに始まろうとし、その推進力のエンジンのようにして科学技術が存在し、ほとんどの人がその未来にバラ色の夢を描いていた時代に青少年時代を送り、東大で核化学を学んだ。そして、日本の原子力産業の黎明期に、当時原子炉を建設中だった日本原子力事業に就職したが、閉鎖的で没個性的な集団の中で、まだ原子力発電も行われておらず、多くの人が原発推進の妥当性を確信していたわけでもないにもかかわらず、原発推進の旗振り役を期待されていくことに強い違和感を覚え、同社を辞めて東大原子核研究所に移る。しかし、核研も、その後に移った都立大学も、暗黙のうちにある種の家族共同体的な集団に共通の利害が形成され、それを守ることが自明の前提となることに企業と大学の差はなく、行き場を失っていく。 そして、その頃出会った三里塚闘争(成田空港建設反対運動)や宮沢賢治の思想から大きな影響を受けて、大学や企業のシステムのひきずる利害性を離れ、市民の中に入り込んで、エスタブリッシュメントから独立した一市民として「自前(市民)の科学」をするという考えを実現し、1975年に原発の情報センター的な役割を果たす「原子力資料情報室」の設立に関わる。その後、1979年の米スリーマイル島原発事故、1986年のチェルノブイリ原発事故を経験し、反原発の信念は一層強まり、そのための国際的な運動を含めた様々な活動に力を注いでいったのである。 高木氏が生涯をかけて追及した問題意識は、氏が「この言葉に出会った衝撃といったらなかった」と語っている、宮沢賢治の残した「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」という言葉に言い尽くされている。そして、「市民の科学」とは「未来への希望に基づいて科学を方向づけていくことである。未来が見えなくなった地球の将来に対して、未来への道筋をつけて、人々に希望を与えることである」と締めくくっている。 原子力については、平和利用は当然としても、大戦中に原爆を開発したのも“科学者”である。また、生命科学の進歩は、“科学者”が使い方を間違えれば人類にとって取り返しのつかない事態を引き起こしかねないところまで来ている。高木氏が存命であったなら福島第一原発の事故を何と言ったであろうかという限定的な問いにとどまらず、氏が追求した「科学とは何であるべきか」という根本的な問題を今こそ改めて考えるべきなのだと思う。 (2008年12月了)
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在庫切れの合間にたまたま手に入れることが出来た。都立大助教授の地位を捨て、市民の立場で長年核問題に立ち向かってきた科学者の本。癌で闘病中ベッドの上で書き上げられた本です。
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原子力がエネルギーとして礼賛され、商業原発が各地に設置されるにいたった時代。 空っ風の原風景と職業的科学者という立場との葛藤。 「市民科学者」としての半生。 国家・電源三法による原発推進の力は、改めて文字で読むと、不気味なほど大きい。筆者が受けた嫌がらせの事実には、驚愕。それで...
原子力がエネルギーとして礼賛され、商業原発が各地に設置されるにいたった時代。 空っ風の原風景と職業的科学者という立場との葛藤。 「市民科学者」としての半生。 国家・電源三法による原発推進の力は、改めて文字で読むと、不気味なほど大きい。筆者が受けた嫌がらせの事実には、驚愕。それでも「市民科学者」として「本気」で脱原発に取り組み続ける筆者の姿に、感銘を受けた。 あきらめを希望へ。 私たち日本人は、いつまでもシカタガナイと言い続けるわけにはいかない。
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高木仁三郎の思想信条の全てに同調する者ではないが、これを読むと高木が、3.11以降に雨後の筍の如く発生したニワカ反原発とは一線を画す科学者であった事が理解できる。 叶わぬ事ではあるが、もし今も健在であったなら、現状についてどう述べていただろうか知りたい。 誰か天国に繋がる電話を発...
高木仁三郎の思想信条の全てに同調する者ではないが、これを読むと高木が、3.11以降に雨後の筍の如く発生したニワカ反原発とは一線を画す科学者であった事が理解できる。 叶わぬ事ではあるが、もし今も健在であったなら、現状についてどう述べていただろうか知りたい。 誰か天国に繋がる電話を発明して欲しい。
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[内容]SBやNGOとはすこし離れてしまうかもしれませんが、純粋に面白いです。反原発の第一人者である高木仁三郎氏の自分史です。高木氏はもともと原子力関連の会社員で、核化学者に転身、しかし次第に原発に疑問を抱き、結局市民運動のリーダー的存在になりました。自分自身を常に見つめて人生を...
[内容]SBやNGOとはすこし離れてしまうかもしれませんが、純粋に面白いです。反原発の第一人者である高木仁三郎氏の自分史です。高木氏はもともと原子力関連の会社員で、核化学者に転身、しかし次第に原発に疑問を抱き、結局市民運動のリーダー的存在になりました。自分自身を常に見つめて人生を軌道修正していく筆者の姿には感銘を受けます。 また個人的には筆者のとなえる「市民の科学」とSBの精神には合い通じるところがあると思います。 さらにこの本では原発の生まれた背景や、今に至る過程などを知ることができます。高木氏の原発批判にはまるで3・11を予想していたかのような鋭さがあります。 [文責]林
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本書は、原子力資料室をたちあげ、市民の立場から反原発の運動に携わってきた高木さんが、61歳で亡くなるまで書き続けた自分史、遺書である。高木さんは「見る前に跳べ」というように、あれこれ考える前に行動する人であった。それは、大学卒業後、日本原子力事業、東大核研究所、東京都立大と職場を...
本書は、原子力資料室をたちあげ、市民の立場から反原発の運動に携わってきた高木さんが、61歳で亡くなるまで書き続けた自分史、遺書である。高木さんは「見る前に跳べ」というように、あれこれ考える前に行動する人であった。それは、大学卒業後、日本原子力事業、東大核研究所、東京都立大と職場をつぎつぎとかわっていったことにも現れている。違和感を覚えたらまず動くのである。高木さんは、東大の物理化学科で核を勉強した秀才で、一生を通じ学究であったが、同時に、学問の社会的役割を問い続けた人であった。高木さんは都立大のときにドイツに留学させてもらったにもかかわらず、帰国後大学をやめてしまう。そして、学問を市民に根付かせる運動を、61年という短い人生を通し行った。それは二足のわらじをはくものであって、高木さんの心は常に、研究と市民活動という両極の間をゆれている。高木さんは大学にいても、すぐれた研究者になっていただろう。高木さんの学究としての優秀さをものがたるのは、その活動が国際的なネットワークの中で行われたこと、とりわけ、プルトニウムの研究で、外故国の学者とともに、ノーベル賞に匹敵する賞を受けたことである。大学にいなくてもこのようなことができる。いや、いなかったからこそできたのかもしれないが。本書で印象深いのは、216p以下の「原発問題の中にすべてがある」という節である。高木さんは、原発推進か反対かを踏み絵にすることの無意味さをあげる。これはそうだろう。しかし、それを承知の上で、やはり、原発問題はいろんな問題を含むことを指摘する。一つは、この巨大テクノロジーと民主主義がどこまで相容れるかである。原発の行くところ民主主義が滅ぶとは鎌田慧さんが訴えているところだ。また、脱原発をはかろうとすれば、ライフスタイルを総点検しないといけない。さらに、原発労働者、原発の過疎地での建設、廃棄物の他国へのおしつけという差別の問題がついてまわる。この点は小出裕章さんが言っていることと似通っている。というより、小出さんもまた高木さんから影響を受けたのだろうか。
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[ 内容 ] 専門性を持った科学者が、狭いアカデミズムの枠を超え、市民の立場で行動することは可能なのか。 長年にわたって核問題に取り組み、反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が、自分史を振り返りつつ、自立した科学者として生きることの意味を問い、希望の科学としての「市民の科学」の...
[ 内容 ] 専門性を持った科学者が、狭いアカデミズムの枠を超え、市民の立場で行動することは可能なのか。 長年にわたって核問題に取り組み、反原発運動に大きな影響を与えてきた著者が、自分史を振り返りつつ、自立した科学者として生きることの意味を問い、希望の科学としての「市民の科学」のあり方を探る。 [ 目次 ] 序章 激変のなかで 第1章 敗戦と空っ風 第2章 科学を志す 第3章 原子炉の傍で 第4章 海に、そして山に 第5章 三里塚と宮沢賢治 第6章 原子力資料情報室 第7章 専門家と市民のはざまで 第8章 わが人生にとっての反原発 終章 希望をつなぐ [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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