パイドン の商品レビュー
議論はあちこちに行くがシンプルな本である。 死は生よりもよいものである。 ただし、自ら求めてはいけない。死が与えられるのを待たねばならない。 でなければ、現世の神への背信行為となってしまう。 では、いかにして待つのか。 死の準備である哲学によってである。 哲学とは、死すべきも...
議論はあちこちに行くがシンプルな本である。 死は生よりもよいものである。 ただし、自ら求めてはいけない。死が与えられるのを待たねばならない。 でなければ、現世の神への背信行為となってしまう。 では、いかにして待つのか。 死の準備である哲学によってである。 哲学とは、死すべきものである肉体から、魂を解放させる訓練をするものである。 その必然性は、魂が不滅であることから証明される。 「想起」は、魂がアプリオリな体験を経ていることを示しており、肉体に宿る前から魂が存在していたことを示す。肉体の調和によって魂が生じたという考え方は、このために不適切。 また、魂は単一不可分のものなので、肉体の死後に霧散することはない。 また、魂は生そのものであって、死とは相容れないので不滅。 つまり、肉体が与えられる前にも、肉体が滅んだ後にも、魂は在り続ける。 魂は、一時的に滞在している肉体の欲求に従うのではなく、肉体を従えるべきである。肉体をいかに従え、肉体とともにあるときにいかに魂を汚さずに済ましたか、ということによって、死後に魂が神々の仲間のところに辿り着くかどうか判定される。 哲学によって、不滅の魂を訓練する、というのが、人のやるべきことであって、魂を肉体に奉仕させることではない。 ものすごく大雑把に言うと、こんな感じか。 最後、ソクラテスの死に方はあっぱれである。 新約聖書のキリストの死の悲惨さはまったくない。 それは、グリューネヴァルドの「イーゼンハイム祭壇画」を連想させるものであるが、ソクラテスのそれはダヴィッドの描く「ソクラテスの死」のソクラテスのように理性的であった。 ここにダヴィッドの描くソクラテスが天を指差しているのは、ラファエロの描く「アテナイの学堂」にてプラトンがアリストテレスに対して天を指差しているのをアレゴリーしてるのか、面白い。
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前半のイデア論にもとづく霊魂不滅の証明もおもしろいが、終盤の、ギリシア人が信じる死後の裁きとあの世の物語に関するソクラテス(プラトン)の向き合い方(p167)や、ソクラテスが毒薬を飲む前後のドラマチックな描写も印象的。プラトンはすごい。読み慣れてくるとクセになりそう。訳も読みやす...
前半のイデア論にもとづく霊魂不滅の証明もおもしろいが、終盤の、ギリシア人が信じる死後の裁きとあの世の物語に関するソクラテス(プラトン)の向き合い方(p167)や、ソクラテスが毒薬を飲む前後のドラマチックな描写も印象的。プラトンはすごい。読み慣れてくるとクセになりそう。訳も読みやすくてよい。
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読了。良かった。プラトンの師ソクラテスの処刑当日に、ソクラテスと友人知人たちとの議論を描いたもの。早朝に始まり夕刻の処刑執行時間まで、ひたすら議論を行う。友人たちに、議論を恐れてはいけない、と笑って鼓舞する姿にほろりときた。ソクラテスは死後の幸福を確信し、一方で自殺を否定したので...
読了。良かった。プラトンの師ソクラテスの処刑当日に、ソクラテスと友人知人たちとの議論を描いたもの。早朝に始まり夕刻の処刑執行時間まで、ひたすら議論を行う。友人たちに、議論を恐れてはいけない、と笑って鼓舞する姿にほろりときた。ソクラテスは死後の幸福を確信し、一方で自殺を否定したので処刑を喜んだが、個人的には後2000年生きて、ヴィトゲンシュタインと対決してほしかったです。彼らは死後に会えるのかも知れないが、わたしは立ち会えないので。その意味であまり凄い人々には死んでほしくない。ギリシアらしからぬ輪廻転生思想は、オルフェウス教の影響にあるようで、プラトンとオルフェウス教を信じたピタゴラス教団との接触がこの本を書かせたようで、仏教にかなり近いため、何故こんなにも似ているのか不思議でした。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
死の当日のソクラテスと弟子たちの議論、という構成 ソクラテスが死を喜んで迎えたのは、哲学者として、肉体から離れて真に学を愛することができると考えたから。 「浄化(カタルシス)とは、……魂を肉体からできるだけ切り離すこと」(37頁) イデア論の部分は、プラトンがソクラテスの思想を自分の理論に基づいて解釈・再構成したもの。 「まさにそれであるところのもの」という呼び名をもつ実在自体(111頁)。
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ソクラテスがその死の直前に語ったとして展開される魂の不死・不滅についての議論。 彼の最期の場面に相応しく劇的な雰囲気で述べられるこの議論は、緊張感もあり議論も割とわかりやすいので、『プラトン』の中では読みやすい方なのではないだろうか。 ソクラテスがいよいよ毒をあおり刑死するその...
ソクラテスがその死の直前に語ったとして展開される魂の不死・不滅についての議論。 彼の最期の場面に相応しく劇的な雰囲気で述べられるこの議論は、緊張感もあり議論も割とわかりやすいので、『プラトン』の中では読みやすい方なのではないだろうか。 ソクラテスがいよいよ毒をあおり刑死するその当日、皆が最後の別れにと参集する。数えてみると何とその数20人ばかり!。牢獄の中はさぞや熱気でむんむんしていたことだろう。(笑) 遺言を訊かれたソクラテスはそこで問題発言をする。同じ哲学者(?)であるエウエノスにも早く自分の後を追うようにと伝えよと。ここに、仰天し見事に喰いついてきたシミアス&ケベスとソクラテスとの対話が始まる。(今回も書名と対話相手とは不一致なのね・・・!?) ソクラテスは述べる。死とは神的な魂と快楽を追求してきた肉体との分離であり、肉体は消滅するが、魂は純粋なものとして死者の国ハデスへと赴き、そして、再び別の肉体へ転生する、肉体と魂が一体の時は五感を通じてしか把握できなかったことも、魂だけになったならば純粋な思惟が可能となり、本当の真理と知恵を獲得することができる、真理を知りたいのなら魂だけになるこれこそが哲学者が本当に求める道であるだろう、と。 納得しないケベスは肉体と魂の分離はそうであったとしても、魂も一緒に消えてしまう可能性はないのかと反問する。ここでソクラテスは人間は学問をして新たに知識を得るのではなく、魂だけの時期に既にイデア(物事の真の姿)を見ているのであり、人間の時期の学習は単にそれを想起しているだけであり、そうであるがため魂は消滅していないと論証するのである。 ここで語られているのは想起説により導かれた有名なイデア論である。「徳」とは何かなどの問いに対し、真理へ辿りつけないのはイデアを忘れているからであり、肉体を通じて見ているものはイデアと似ているものに過ぎないという論であるが、解説によれば、『プラトン』の中で初めて明確に記されたのがこの『パイドン』とのことである。 そして、さらにシミアスとケベスは余命いくばくもないソクラテスを追及する。(笑)魂と肉体は調和して存在しているとしたら、やはり、肉体と分離された後、魂も消滅するのではないか?あるいは何度か輪廻転生している間に魂も衰弱して滅んでしまうことがあるのではないか?と。 ここでソクラテスはお家芸の詭弁気味な議論(笑)にて相手を黙らせてしまうのである。いわく、想起説が正しいので魂が肉体を支配しているとみなすべきで、決して調和ではない、イデア論が正しいので魂は決して死なないし滅びもしない、と。そして、肉体が滅んだ後の魂がどのような場所に行くかの神話を語って聞かせるのである・・・。 現代人からみると、ソクラテスの説明は証明しようとする結論を証明の前提にしていることが多くあり、議論としては詭弁としか思えないのだが(笑)、『プラトン』ではよくありがちなので、昔のギリシア人ってこういうので納得していたのかと思うとこれはこれで興味深い!(笑)また、この証明の過程でソクラテスが「自然学」(現在でいうところの「理系」か)に失望し、真実=イデアの探求→「哲学」を探求していることが述べられており、例えば、なぜ会話ができるのかという問いに対し、音声→空気の伝播→聴覚という説明が気に食わなかったようで、真の原因は別のところにあるとしていて、現代ならば新興宗教家と話しているような気分になったかもしれない。(笑) また、自分には、イデアの近似の説明のところはいまだに「???」なのであるが、そういえば小学生の時に、1+1はなぜ2であるかの説明を聞いた時にこのような話をされたような気もしてきた。あれば数学の話ではなく哲学の話だったのね。(笑) ソクラテスの死に際して述べられる「魂の不死」という議論がため(ということは死に行く者に対して魂は滅びるのでは?と議論を吹っ掛けていたことに・・・)、イデア論の登場も劇的であり、演出効果も抜群の一書であった。 ラストは、ソクラテスの最期の場面も生々しく描写される。
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本書はプラトンの代表作のひとつで、ソクラテスの刑死の日に、ソクラテスと弟子たちとの間で議論された「魂の不滅」について、その場にいた一人のパイドンが、その日のことについて尋ねてきたピタゴラス派の哲学者のエケクラテスに話をするという形式で進む対話篇です。 紀元前三九九年の春、ソクラ...
本書はプラトンの代表作のひとつで、ソクラテスの刑死の日に、ソクラテスと弟子たちとの間で議論された「魂の不滅」について、その場にいた一人のパイドンが、その日のことについて尋ねてきたピタゴラス派の哲学者のエケクラテスに話をするという形式で進む対話篇です。 紀元前三九九年の春、ソクラテスは謂れのない罪で告発され、死刑を宣告されて牢獄に入れられました。それまでに詩を作ったことがなかったソクラテスですが、入獄後は作家のアイソポスの物語を詩に直したり、ギリシア神話の神であるアポロンへの賛歌を作ったりしていました。訳を知りたい弟子たちにソクラテスはその理由を話し、最後に彼は弟子に、ソフィストの一人への伝言をお願いしました、「できるだけ早く自分の後を追うように」と。弟子の一人はソクラテスが死を勧めることに大変驚きました。そして、その者は喜んでソクラテスの後は追わないだろうと答えたところから、議論が始まります。 ソクラテスは、死は勧めましたが、神の意志に背くということで自殺をしてはならないと説きます。それでは自殺ではないにしても、なぜ死を勧めるのでしょうか。ソクラテスは、死後、この世を支配する神々とは別の賢くて良い神々のもとに行くことと、この世の人々よりはより優れた死んだ人々のもとにも行くと信じていました。そして、哲学者は死後にはあの世で最大の善と智慧を得られるとも考えていました。死後にはすばらしいことが待っているから死を勧めていたのです。しかし、それには条件があり、魂が肉体の愛慾、欲望、恐怖などにまみれていない状態でないといけません。従って、生きているうちから、死んだ状態になること、魂を惑わす肉体から魂を分離すること、言い換えれば、生きたうちから死の練習をする、その重要性を説きました。 しかし弟子の一人は、人が死ぬと魂は消滅してしまうのではないかと考えました。そこで、魂の不滅を証明するために、ソクラテスは生成の循環的構造、想起説、魂とイデアの親近性、想起説と「魂は調和である」という説とは両立しないこと、そしてイデア論を挙げて話を進めていきました。 弟子たちは幾度か反論しながらも、最終的に魂の不滅について納得しましたが、事柄の大きさ、人間の弱さにより、なお語られた内容について不安を抱いていました。そこでソクラテスは、魂の不滅とイデア論は信じられるものであっても、より一層明晰にそれらを検討しなければならないと主張しました。 そして最後にソクラテスは、もしも魂が不死であるならば、生きている間だけでなく、未来永劫のために、魂の世話をしなければならず、また、これまでの議論に従って生きようとしないならば、今ここでどれほど多くのことを熱心に約束したところで、なんの役にも立たないということで、話をまとめられました。 弟子たちと議論を尽くしたソクラテスは、死ぬ間際になっても尚、魂の不死を信じていましたが、弟子たちは不安でした。論理的に答えを導きましたが、彼らはそれを裏付けるために自分で魂を見ることはおろか、今までに見たこともない訳で、目に見えない形而上学的な事象における結論を確信できる心境には至らなかったのでしょう。理性によって正しく答えを導き、かつそれを信じていく難しさが垣間見られます。
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哲学は死ぬための練習。なんと。 魂の不死とイデア論について。エロス論の対比としては、なかなか暗いようでいて、こういうソクラテス像が好きなひともいるようだ。
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政治思想のレポートのために読破。思想系のものは難しそうというイメージがあったがとても面白く読みごたえがあり、視野が開けたかんじ。
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池田さんが魂を考えるにあたって、いつも語っていたため。 ソクラテスが毒杯を仰ぐちょうどその日。彼は死にゆくことについて最後のことばを紡ぐ。 生と死。当たり前に人間に与えられた、紛うことない事実。そして、それを考えていけば、どうしたって「ある」「ない」という「存在」に辿り着いてしま...
池田さんが魂を考えるにあたって、いつも語っていたため。 ソクラテスが毒杯を仰ぐちょうどその日。彼は死にゆくことについて最後のことばを紡ぐ。 生と死。当たり前に人間に与えられた、紛うことない事実。そして、それを考えていけば、どうしたって「ある」「ない」という「存在」に辿り着いてしまう。果てのない堂々巡りのはてに辿り着く振りだし。「はじめにことばありき」 生と死なんて、どこまでいっても概念にすぎない。だが、なぜそれが今ここに存在してしまうのか。彼も述べているように、科学は何一つそれに答えない。堪えられない。ほんとうにこの数千年間、人はなんら変わっていない。なにが精神の進歩だ。 ずるいことにソクラテスはあえて魂について何も語らず、そして自ら幕を下ろした。鮮やかすぎるその最期。ほんとうに優れた役者だったとしか言いようがない。そこにやはり彼の魅力が横たわっている。
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「借」(大学の図書館) 哲学の勉強に。 ソクラテスによる魂の不死の証明。 想起説やイデア論がでてくる。
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