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デッドアイ・ディック の商品レビュー

3.7

16件のお客様レビュー

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2020/07/20

内容はテンコ盛りだが、あまり記憶に残っていないのは、ヴォネガットに独特の奇想天外な展開がないせいではないか。 サマセット・モームがたしか「要約するとの」の中でプロット(物語の筋立て)の重要性を説いていて、フローベールの「感情教育」はすぐれた作品だけれども、それがないのでひどく読...

内容はテンコ盛りだが、あまり記憶に残っていないのは、ヴォネガットに独特の奇想天外な展開がないせいではないか。 サマセット・モームがたしか「要約するとの」の中でプロット(物語の筋立て)の重要性を説いていて、フローベールの「感情教育」はすぐれた作品だけれども、それがないのでひどく読みにくいと言っていた。スティーブン・キングも「スタンド」の前書きで、「ヘンゼルとグレーテル」を例に挙げてその重要性を語っていた。 この作品では、米国の現状を告発する個々のエピソードが積み重ねられていて、それはそれでウィットに富んでいて面白く読めるものの、これまでの目のくらむような展開がなくなった分、読後の印象がモヤつつまれた漠然としたものになってしまったのではないか。 料理のレシピにも興味が湧かないし……。

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2019/04/20

行動も思考もほんの少し周りとずれているだけなのに糾弾する空気はどの社会においても大差ないだろう。そこに宗教が介入しても解決するとは限らない。虚構か現実かは問うなかれ。その人の感情に触れてみる。私もそれを疎かにしていることを猛省する。救う救われる。それはボランティアという奉仕活動で...

行動も思考もほんの少し周りとずれているだけなのに糾弾する空気はどの社会においても大差ないだろう。そこに宗教が介入しても解決するとは限らない。虚構か現実かは問うなかれ。その人の感情に触れてみる。私もそれを疎かにしていることを猛省する。救う救われる。それはボランティアという奉仕活動ではなく日常における言動から見直さなければならない。

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2023/05/01

SF? 初めてのヴォネガット作品。 『時空のゆりかご』のエラン・マスタイさんが好きということで、細かく章を区切る構成が似ている。 内容は、中性子爆弾で滅びゆく街の様子を描いたSF…だが、全然SFらしくない。主人公一家の人生を描いたヒューマンドラマという印象が強い。 ユーモアある文...

SF? 初めてのヴォネガット作品。 『時空のゆりかご』のエラン・マスタイさんが好きということで、細かく章を区切る構成が似ている。 内容は、中性子爆弾で滅びゆく街の様子を描いたSF…だが、全然SFらしくない。主人公一家の人生を描いたヒューマンドラマという印象が強い。 ユーモアある文章で、クスッと笑える場面が多く、退屈せずに読めた。

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2018/10/15

なんともけったいな物語。以前「チャンピオンたちの朝食」を読んだときにも同じような印象を受けた記憶がある。高橋源一郎「さよならギャングたち」と同じ(というか高橋がパクったんだろうけど)なんだけど、「さよなら〜」ほど詩的なわけではないなあ。一応ストーリーはあるんだけど、それよりも即興...

なんともけったいな物語。以前「チャンピオンたちの朝食」を読んだときにも同じような印象を受けた記憶がある。高橋源一郎「さよならギャングたち」と同じ(というか高橋がパクったんだろうけど)なんだけど、「さよなら〜」ほど詩的なわけではないなあ。一応ストーリーはあるんだけど、それよりも即興的な文章を味わうべき小説なんだろう。その意味では翻訳で読んでもダメなのかもしれない。訳者あとがきで紹介されていた書評でもそのあたりについて書かれている。以下抜粋。 「ヴォネガットは、カウント・ベイシーがピアノの名人であるのと同じ意味で、文章の名人である−−どちらのスタイルも、簡潔で、おどけていて、リズミカルだ。そのために、多くの人びとは、この二人を平凡であると思う。だが、その真似ができると思うならやってみたまえ−−できはしない」(ネーション誌) 「『デッドアイ・ディック』のすばらしさは、その文章、その音、その匂い、その色彩、その飛躍にある。ヴァネガットはジャズの即興演奏家に似ている。自分ではどこへ行きつくかを知らずに、神秘的なタイミングの感覚で話を進めていく。いびきのように偉大なセンテンスをかき、くしゃみのように最高の隠喩を連発する。ときにはホットに、ときにはクールに、だが、つねにメロディックで、その文章の中から風変わりなイメージの小鳥をつぎつぎに羽ばたかせる。それをホワイト・ファンクと名づけよう。」(ナショナル・レビュー誌) なによりも驚いたのは、 「トゥー・ビー・イズ・トゥー・ドゥー」−−ソクラテス 「トゥー・ドゥー・イズ・トゥー・ビー」−−ジャン・ポール・サルトル 「ドゥー・ビー・ドゥー・ビー・ドゥー」−−フランク・シナトラ という落書きが最後の方にでてきたこと。これはリュック・ベッソン「SUBWAY」の冒頭で出てきたフレーズ。うまいなあと思っていたが、まさかこんなところに元ネタ?があったとは。

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2017/03/28

読みにくい読者を選ぶ作品 表紙   6点和田 誠 展開   4点1982年著作 文章   4点 内容 425点 合計 439点

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2014/02/16

ヴォネガットはどの作品においても、批判すべき対象をわりと明確に描いてきたけれど、1982年に発表されたこの作品でもそのターゲットははっきりしている。 「銃」、「薬物」、「核技術」。 精神科医による安易な「ジアゼパム」「リタリン」の処方で薬物依存症となり、自らの人生を荒廃させる人...

ヴォネガットはどの作品においても、批判すべき対象をわりと明確に描いてきたけれど、1982年に発表されたこの作品でもそのターゲットははっきりしている。 「銃」、「薬物」、「核技術」。 精神科医による安易な「ジアゼパム」「リタリン」の処方で薬物依存症となり、自らの人生を荒廃させる人々。 核技術関連の重大な事故が発生したにもかかわらず、「パニックが起こらない事」を最優先させる国家。 防御服を着た人たちがさっさと作業に取り掛かれども、それが何故かを説明する言葉は無く、健康に及ぼす影響を知る機会は住民に与えられない。 あれあれ・・どちらも、どこかの国の今そのものじゃないか・・。 「ローズウォーターさん・・」「スローターハウス5」なんかに比べ、より厭世的で冷めた視点。 強烈なアイロニーが随所にちりばめられつつ、同時に元来のヒューマニズムが隠し切れずに現れるのがこの人の作品に共通した特徴だけれど、本作ではそのどちらも控えめ。 TV等を通じて見た、インフレと失業に苦しめられた、70年代後半の荒涼たるアメリカの地方都市さながら、冷たく空虚な印象が全篇を覆う。

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2013/03/11

未読だつた 1982年の長編  でもなぜか楽しくなかった。10年ほど間があいたから? 自身が人生の『エピローグ』にはいったから?  後者と思いたくないなぁ。でも、それがもっとも正解に近いだろうな。  物語は、これが SF かと聞かれると辛い。中性子爆弾が出てくるし、火星への...

未読だつた 1982年の長編  でもなぜか楽しくなかった。10年ほど間があいたから? 自身が人生の『エピローグ』にはいったから?  後者と思いたくないなぁ。でも、それがもっとも正解に近いだろうな。  物語は、これが SF かと聞かれると辛い。中性子爆弾が出てくるし、火星への旅立ちも出てくるが、SF ではない。挿話される料理のレシピもまったく面白くないし、意味不明。  金持ち一家のドラ息子が誤って妊婦を撃ってしまう。金と銃。アメリカ丸出しだなぁ。そして、その人生を振り返る。物語のエピローグに凝縮される無常感がきにあう気がする。 (京都のカフェで読んでいるからか?) おもしろかったのは、巻末の解説。ヴォネガット自らの言葉らしいが、小説の結末なんてどぉ〜でもえぇらしい。仕上がりは2/3で終わっているんだって。ふ〜ん。  私はローズウォーターとタイタンが好きだな。

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2012/12/20

これまで読んできたヴォネガットの小説のなかでは一番スケールは小さい。 一つの田舎街を舞台にした、奇妙な家族を中心とした物語。 おかしくて悲しくてどうしようもない人たちばかりだが、きっと人ってこういうもの。 「一生はまだ終わっていないが、物語は終わったのだ」 エピローグでしかない...

これまで読んできたヴォネガットの小説のなかでは一番スケールは小さい。 一つの田舎街を舞台にした、奇妙な家族を中心とした物語。 おかしくて悲しくてどうしようもない人たちばかりだが、きっと人ってこういうもの。 「一生はまだ終わっていないが、物語は終わったのだ」 エピローグでしかない人生でも続いていく。

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2011/02/08

 お宝を持ち帰った桃太郎は死ぬまでに何回人間不信に陥ったか。  月に帰ったかぐや姫は朽ち果てるまで何度鼻の穴をほじったか。  人生が映画のようにドラマチックでもメトロノームのように規則的でも、エピローグは上映時間の冒頭から既に始まっているという事をこの小説は喋っている。予想外にて...

 お宝を持ち帰った桃太郎は死ぬまでに何回人間不信に陥ったか。  月に帰ったかぐや姫は朽ち果てるまで何度鼻の穴をほじったか。  人生が映画のようにドラマチックでもメトロノームのように規則的でも、エピローグは上映時間の冒頭から既に始まっているという事をこの小説は喋っている。予想外にてきぱきと終わってしまった人生に面食らう事もなく、終わってしまった物語のパーツを一個一個拾い集めておもちゃ箱に仕舞い込む様子を楽し、めと言われても多分無理な話です。そうです、誰かを奮い立たせるようなお話でも、夢を増幅させるような紙芝居でもないです。ただ【そのあとどうなりました?】【はい、彼はお菓子を作るのが好きです】という、噛み合うようでそもそも始めからお互い噛んですらいない、語り手と世界との通話記録があるだけ。  でも人生の記述文法はそれが一番適切だと思うから、自分は死ぬまでこの本から目を離せない。  無人島に持って行くのも無人島なんて行きたくないと思わせてくれるのも、等しく、この一冊。  これが暖炉だ。なくなっちゃったら、生きていく気が風邪を引く。  【P292】  もう暖炉がないと知ったとき、母は意味深長なことをいった。 「あら、どうしましょう――暖炉がなくちゃ、これ以上生きていく気が起きるかしらん」

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2010/10/27

何度目かの再読。自分の人生が物語としては不十分で、エピローグばかり長すぎることに気づいてもなお、人はエピローグを生き続けることの皮肉と哀しみ。でも、その哀しみをヴォネガットは優しいまなざしで描く。だから好きなんだと思う。

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