1941年。パリの尋ね人 の商品レビュー
他人の持つ記憶、社会と歴史の記憶、場所の記憶を発掘し、そこに血を通わせ、更に自身の記憶を流し込むことで、個人史と集団史が響きあって溶け合って、記憶に厚みと深みが生まれる 記憶を大切にするモディアノの文学観がすき
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ナチス占領下、作者であるモディアノ自身が、ユダヤ人であるドラを探すといった話である。 モディアノの著書を初めて読んだ感想として、事実に即した文章体であり、あっさりとしているものの、中身は薄暗く不穏な空気が漂う。 そして、ドラという普通に生きる少女の痕跡を探していくというのが、...
ナチス占領下、作者であるモディアノ自身が、ユダヤ人であるドラを探すといった話である。 モディアノの著書を初めて読んだ感想として、事実に即した文章体であり、あっさりとしているものの、中身は薄暗く不穏な空気が漂う。 そして、ドラという普通に生きる少女の痕跡を探していくというのが、モディアノが言う、「もはや名前もわからなくなった人々を死者の世界に探しに行くこと、文学はこれにつきるのかもしれない」というのがなんとなく分かる気がした。 モディアノ「人生は浜辺に残された足跡のようなもので、打ち寄せる波によってたちまち跡形もなく消されてしまうものだ」
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
☆ドイツ占領下における娘を探す広告を発見し、彼女の行方を探し求めた記録。 ☆ノンフィクションなのだが、極めて自分のこと、両親のことも書かれている。ここにあるのは、喪失感であり、自分の出生につながる時代を想像している。 ☆本書のテーマではないかもしれないが、失われたものからのありえた現在、と、結果としていまある自分(あるいは今ないかもしれない自分)との対比なのではなかろうか。
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パリのドイツ軍占領下での、ユダヤ人少女ドラ・ブリュデールの消息を探す記録。 残酷な戦争の記憶を、尊い命を奪われた人びとの運命を忘れることはできない。 モディアノの“記憶の芸術”と称された作品。
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ナチス占領下のパリで、15歳の少女ドラ・ブリュデ-ルを捜す両親の<尋ね人広告>が、1941年12月31日付けの新聞(パリ・ソワ-ル紙)に掲載されました。戦後この記事を目にした著者が、名もなきユダヤ少女の足跡を追い求めたドキュメンタリーです。ユダヤ人狩りに協力したフランス当局の存在...
ナチス占領下のパリで、15歳の少女ドラ・ブリュデ-ルを捜す両親の<尋ね人広告>が、1941年12月31日付けの新聞(パリ・ソワ-ル紙)に掲載されました。戦後この記事を目にした著者が、名もなきユダヤ少女の足跡を追い求めたドキュメンタリーです。ユダヤ人狩りに協力したフランス当局の存在、ドランシ-(パリ北東部の町)がアウシュヴィッツ絶滅収容所へ移送するための通過収容所の役割を負っていたこと、人道に背いた罪(1964年制定)で追及を受けたフランス人の存在など、悔恨の時代の深淵を思い知らされる作品でした。
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1941年12月は占領開始後、パリの経験した最も陰鬱で息苦しい時期だった。2度にわたるテロへの報復として、ドイツ軍は12月8日から14日まで夕方6時以降の「夜間外出禁止令」を布告した。そして12月12にはフランス国籍ユダヤ人700人が一斉検挙された。12月15日には、ユダヤ人に1...
1941年12月は占領開始後、パリの経験した最も陰鬱で息苦しい時期だった。2度にわたるテロへの報復として、ドイツ軍は12月8日から14日まで夕方6時以降の「夜間外出禁止令」を布告した。そして12月12にはフランス国籍ユダヤ人700人が一斉検挙された。12月15日には、ユダヤ人に10億フランが罰金として科せられた。同日朝、人質70人がモン・ヴァレルアンで銃殺された。 12月10日、「警視総監令」が発布され、セーヌ県在住のユダヤ人はフランス国籍、外国籍を問わず、「ユダヤ人男性」「ユダヤ人女性」の検印のある身分証明書を提示し、「定期的な監視」を受けるよう勧告を受けた。住所変更に当たっては24時間以内に警察に届けねばならなかった。そしてこれ以降セーヌ県を離れることは禁止された。12月1日から、ドイツ軍はパリ18区に立ち入ることはできなかった。18区の夜間外出禁止令は3日間続いた。これが解除されるとまもなく、ドイツ軍は10区全体にまた禁止令を出した。マジャンタ大通りで占領軍当局の一将校がピストルで何者かに狙撃されたからだ。そして12月8日から14日まで「全面的夜間外出禁止令」が敷かれた。
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ナチス占領下のパリで、新聞に掲載された尋人広告。ここから全てが始まり、ユダヤ人少女の足あとをモディアノが追跡するノンフィクション。その簡潔な筆致が、ものごとの本質を余すところなく伝え、深い印象を残していきます。
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戦時の異常な状況の下で普通の生活を営んでいた人達の人生を追いかけることで、重いテーマについて読者に問いかけてくる。どうしようもない暗い時代の雰囲気が伝わってきて、終わったことと一言で片付けられない、心にトゲが刺さったような気になる。
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ユダヤにルーツを持つ著者が、戦時中にフランスからアウシュビッツに送られ、殺された、あるユダヤ系少女とその両親の当時の経緯を調べてわかった事実をまとめた一冊。歴史の闇に紛れてやがて忘れ去られていた市井のある無名の少女の人生は、調べてもわからないことが多い。でもそれでも、当時の彼女の...
ユダヤにルーツを持つ著者が、戦時中にフランスからアウシュビッツに送られ、殺された、あるユダヤ系少女とその両親の当時の経緯を調べてわかった事実をまとめた一冊。歴史の闇に紛れてやがて忘れ去られていた市井のある無名の少女の人生は、調べてもわからないことが多い。でもそれでも、当時の彼女の行動を想像し同じ町並みをあるきながら、彼女の心や孤独に寄り添おうとする著者の姿勢に共感できる。 先日、広島に旅行し、平和記念資料館を訪れたときに持った感情をこの本を読んでいて呼び起こされた。 亡くなった人の数を聞いただけではピンとこなくても、このように、不条理に殺された一人一人の人生を思う時確実に感じられるものがあるし、それこそがまさに私達自身の未来にとっても大切なのだと思う。 ただ、少し理解し辛い文が散見されたのが残念だった。
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一九四五年生まれの作家は、ある日、古い新聞「パリ・ソワール」紙を読んでいて、尋ね人の記事に目をとめる。日付は一九四一年十二月三十一日。十五歳の少女、ドラ・ブリュデールの失踪を告げるその記事に目を留めたのは、連絡先の両親の住所に覚えがあったからだ。パリ、オルナノ大通り41番地。クリ...
一九四五年生まれの作家は、ある日、古い新聞「パリ・ソワール」紙を読んでいて、尋ね人の記事に目をとめる。日付は一九四一年十二月三十一日。十五歳の少女、ドラ・ブリュデールの失踪を告げるその記事に目を留めたのは、連絡先の両親の住所に覚えがあったからだ。パリ、オルナノ大通り41番地。クリニャン・クールの蚤の市で知られる界隈だ。子どもの頃母親にくっついてよく訪れた所だ。 「私」の回想がはじまる。「一九六五年一月。オルナノ大通りとシャンピオネ通りの交差点では夜のとばりが降りはじめていた。私は何の価値もない存在で、宵闇の街にとけ込んでいた」。まさにモディアノ調。アイデンティティの希薄な若者が、薄闇のパリの街角に佇んでいる様子が浮かび上がってくる。ところが、読者ははじめから知らされている。これがいつものフィクションではないことを。 ドラ・ブリュデールは、実在の少女で、両親が尋ね人の広告を出す二週間ほど前、寄宿学校から脱走している。一九四一年といえば、日本が対米戦争に突入した年である。パリはドイツの支配下にあった。ドラはフランス国籍を有していたが、両親はオーストリアとハンガリーのユダヤ系市民であり、胸に黄色い星をつけなければならない人々であった。 モディアノ自身がユダヤ系の父を持ち、ユダヤ人として小説を書いてきた。戦後生まれたモディアノは、戦争当時のフランスでユダヤ人がどんな扱いを受けたか実体験は持っていない。しかし、父が非合法活動に手を染めて家を出、役者だった母からも見捨てられ、孤独な少年時代を過ごさねばならなかった作家には、自身の過去と戦時下のフランスのユダヤ人差別は、切り離すことのできない問題であり、作家としての核ともいえる。 戦時下フランスにおけるユダヤ人差別を追う作家は、戦後それらの証拠となる資料の多くが廃棄されていることに気づく。アウシュヴィッツはナチス・ドイツの犯罪としてしまいたいフランスの思惑がそこにはあった。モディアノは彼の小説の主人公のように、資料をあさり、関係者をたずね、ドラの消息を明らかにしようとする。長きにわたるその経緯を書き留めたのが、このエッセイともフィクションとも言い切ることをためらわさせる作品なのだ。 ドラという少女の生を跡付ける試みであるのに、書かれた物からは、ドラと同じ程度、いやそれ以上にモディアノの過去が色濃く浮かび上がってくる。語り手は、ドラの歩いただろう駅から続く通りをたどりながら、当時自分がそこを歩いたときの気分を思い出し、寄宿学校を脱走しなければならなかった少女の気持ちを推し量る。少女の反抗は、モディアノ自身のものだったからだ。 こうして、単に地名や日時といった記号化された情報ではなく、小説家ならではの想像力が駆使された結果、そこにはジャン・バルジャンがコゼットと身を潜めた地が、ジャン・ジュネも入っていた感化院や監獄が重ねられ、失踪から、やがて送られる収容所までの一人のユダヤ系少女の足取りがくっきりと示されることになる。この、作家自身のメモワールと、尋ね人の少女と、当時迫害を受けた多くのユダヤ人の幾筋にもわたる人生が縄を綯うようにして絡まりあう叙述が、単なるノン・フィクションとの間に一本の線を引いている。 過去の過ちをいつまでも引きずりたくない、という思いはフランスだけの問題ではない。加害者側は忘れたくても被害を被った方は、告発や謝罪が済まない限り忘れられるものではない。時が過ぎて記憶が曖昧になる前に、たしかな事実を力ある言葉にすることが作家には求められているのだろう。パトリック・モディアノの仕事は、その役目を果たしている。
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