本が好き、悪口言うのはもっと好き の商品レビュー
もう何年前でしょうか…
もう何年前でしょうか。この書の単行本を読んだときに、快適さにうちふるえました。それ以降、高島先生のファンになり、それまで週刊誌を買ったことがなかったのですが、先生の連載を読むために、「週刊文春」を毎週買うことにしました。この本を読むことで、「中国」に対する誤解を正す姿勢を持つこと...
もう何年前でしょうか。この書の単行本を読んだときに、快適さにうちふるえました。それ以降、高島先生のファンになり、それまで週刊誌を買ったことがなかったのですが、先生の連載を読むために、「週刊文春」を毎週買うことにしました。この本を読むことで、「中国」に対する誤解を正す姿勢を持つことができるでしょう。
文庫OFF
文春の連載でおなじみ…
文春の連載でおなじみの高島先生のエッセイ集です。4章の「支那はわるいことばだろうか」は必読。 呉智英さんが得意のテーマですが、中国文学者の意見は深く示唆に富み、かつ平易に語られます。(まぁ、高島先生の一般向けの本で平易に書かれていない本がそもそも存在しませんが。)
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13年前1回目の感想ーーいやぁおもしろかった。めっけもん。特に李白と杜甫の章、こんな話を高校の先生がしてくれたらなぁとつくづく思います。 今回はーー加えてⅡ章新聞醜悪録、Ⅲ章書評十番勝負が楽しかった。あと百田さんの中国本を読んだばかりだったので、国家同士中国と日本が「真の友人」...
13年前1回目の感想ーーいやぁおもしろかった。めっけもん。特に李白と杜甫の章、こんな話を高校の先生がしてくれたらなぁとつくづく思います。 今回はーー加えてⅡ章新聞醜悪録、Ⅲ章書評十番勝負が楽しかった。あと百田さんの中国本を読んだばかりだったので、国家同士中国と日本が「真の友人」になるなど考えられないと言い切っていることにやはりそうかーと納得、約30年前の著作なのに今も変わらずですものね。
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語句の意味に鋭敏な点と新聞批判は良。が、書評は駄目。特に長谷川真理子氏著作へのそれは失笑。また「支那論」も手垢のついた論の焼直し。「支那」は元来蔑称でないのは著者解説のとおりだが、日本も中華も、ある意味自国尊称の事実を忘れてないか。他方「国号日本」の要請に尊称強制の意図はなく、仮に意図があっても抗議されるいわれはない。対等とはそういうことではないか。もちろん「倭人」表記に、使用したマスコミ・国への抗議は当然(抗議しないなら問題だが、当該政権の問題)だが、逆に「中国」表記を日本の謙りと殊更言立てる要はない。 このように筆が滑りすぎの感がある(「支那」の意味論に止めておけば、説得力があったのに…)一方、漢詩に関する論考は、こちらの知識不足・興味関心外であるため、楽しめなかった。しかし、別稿で描かれる、著者の取調べ経験とそこから導き出した教訓は、ある意味、実地の迫力があり、一読に如くはない。
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言葉についての薀蓄を語ったエッセイのほか、「支那」という言葉の来歴を詳しく検証した「「支那」はわるいことばだろうか」、李白と杜甫の交流とそれぞれの人物を活写した「ネアカ李白とネクラ杜甫」、京都帝国大学の学長を務め内藤湖南の招聘に尽力した奇人・狩野亨吉の人物を紹介した「回や其の楽を...
言葉についての薀蓄を語ったエッセイのほか、「支那」という言葉の来歴を詳しく検証した「「支那」はわるいことばだろうか」、李白と杜甫の交流とそれぞれの人物を活写した「ネアカ李白とネクラ杜甫」、京都帝国大学の学長を務め内藤湖南の招聘に尽力した奇人・狩野亨吉の人物を紹介した「回や其の楽を改めず」などを収めています。 勉強になっておもしろい、お得な本です。呉智英の本を読んだときにも同じような感想を抱きましたが、ルサンチマンをぶちまけるエネルギーに満ち溢れた呉の本に比べると、こちらの方がやや格調の高いエッセイという感じがします。
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ちょっと古い本ですが、十分に面白い。 元々、この著者の本で最初に読んだのが『漢字と日本人』というやつで、著者を国語学者かなんかだと思ってたんですが、専門は中国文学とのこと。ということで、この本では本職である中国文学についても触れられてます。 が、この本の神髄は著者が「物書き」と...
ちょっと古い本ですが、十分に面白い。 元々、この著者の本で最初に読んだのが『漢字と日本人』というやつで、著者を国語学者かなんかだと思ってたんですが、専門は中国文学とのこと。ということで、この本では本職である中国文学についても触れられてます。 が、この本の神髄は著者が「物書き」として日本語をどのように捉えているかという思考、そして著者の思う「日本語とはこうあるべき」という持論の展開にあると感じました。考え方は人それぞれなので、この本に述べられている意見のすべてに同意できるわけではないと思いますが、個人的にはしっくりくる部分が多かったです。基本、僕も「支那」が悪い言葉だとは思いません(今、この語を変換しようとしたら「シナ」では出てこないことに気づき、Windowsの漢字変換はそんなに過敏になってるのかと驚きましたが)。 ちょいちょい出てくる雑学的な文章も秀逸。というか、やはり文章が全般的に読みやすいです。難しい内容もするっと入ってくる。そういう、ごく基本的なところをきちんと押さえてくれている文章が最近は少ないのかもなー、などと改めて思いながらの読了でした。
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再読 好きな書き手の一人なので、おりに触れて読んでいます。 言葉に対する感覚、こだわりに説得力がある。 諸々の発言も悪口というより、至極当たり前の発言をしてるだけ。随って、後味もスッキリ。でもやられる方はやっぱりたまらないか。 文春の連載が終わってしまったが、「お言葉ですが・...
再読 好きな書き手の一人なので、おりに触れて読んでいます。 言葉に対する感覚、こだわりに説得力がある。 諸々の発言も悪口というより、至極当たり前の発言をしてるだけ。随って、後味もスッキリ。でもやられる方はやっぱりたまらないか。 文春の連載が終わってしまったが、「お言葉ですが・・・」のシリーズで未読のものもあるので楽しみたい。
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この人の著作は『水滸伝の世界』しか読んだことがなかったが、他のエッセイもずいぶん有名らしいので借りてきた。 内容が中国に関わるもののほうがやはり読んでいて面白い。水を得た魚のように語彙もリズム感も冴えてる気がする。 4.「支那」はわるいことばだろうか、5.ネアカ李白とネクラ杜...
この人の著作は『水滸伝の世界』しか読んだことがなかったが、他のエッセイもずいぶん有名らしいので借りてきた。 内容が中国に関わるもののほうがやはり読んでいて面白い。水を得た魚のように語彙もリズム感も冴えてる気がする。 4.「支那」はわるいことばだろうか、5.ネアカ李白とネクラ杜甫が特に面白い。 どちらも学生の時に読んでおくべきだったと思う。大学で中国史を専攻していた割には「支那」の呼び名の経緯をここまで明確に理解していなかったことが今になって恥ずかしい…。 李白と杜甫は高校の漢文のテキストに必ずと言っていいほど名前がでてくるが、そもそも漢文自体が授業でほとんど重きを置かれていないと思う。こういう軽妙で分かりやすいエッセイが授業で使われていたら、彼らの詩や人生、時代背景にもっと興味をもつ生徒が増えたかも。 ただ、言葉についてつらつらと述べている章のほうは、確かにごもっともではあるが、じゃあそこまで言葉の乱れを嘆くなら類語辞典のようにすぐ引いて参照できる誤用リファレンスの発行でも編集者に持ちかけてくれたらよかったのに、と思わないでもない。
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本が好きなことが、よく分かります。20畳の勉強部屋が、うらやましいです。悪口や批判的なことも言われますが、口調がサッパリしているので、気になりませんでした。 「いやじゃありませんかまぜ書きは」の回が一番面白かったです。最近も新聞やネットで、「子供」を「子ども」っと表記すること...
本が好きなことが、よく分かります。20畳の勉強部屋が、うらやましいです。悪口や批判的なことも言われますが、口調がサッパリしているので、気になりませんでした。 「いやじゃありませんかまぜ書きは」の回が一番面白かったです。最近も新聞やネットで、「子供」を「子ども」っと表記することの是非について論じられていました。私は、最初何のことか分からなかったのですが、これを読んでスッキリしました。
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著者のテンポが快いですね。題名がユニークですが、その理由も後書きにあり、深い意味が良く分かりました。「ネアカ李白とネクラ杜甫」は楽しく、中国詩史上・双璧ともいうべき2人の交流と対比を読ませてくれる出色の文章だと思います。「『支那』ということばは悪い言葉だろうか」は、言葉の由来についての著者の主張は分かるものの、その国の人が自称している名前を使うべきで、いやだという名前を使わないのは当然ではないか、と納得できませんでした。日本という名前だって元はといえば自称でしょうから。(しかし、実に面白く読めました)新聞社の声欄の勝手な書替えへの批判、編集者による当用(新体)文字、百八を一〇八へと書くなど漢数字の勝手な変更への批判など全くその通りであり、その怒りが小気味よいのだと思います。難しい理屈屋さんの楽しい主張の数々です。
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