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自我論集 の商品レビュー

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9件のお客様レビュー

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2024/03/17
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

『快感原則の彼岸』まで読了 前からフロイトに興味あったのと、野崎まど『バビロン』に出てきたのもあって読んだ。 フロイト自身認めるところだけど、特に確定的な根拠があるわけではなく、2つの概念の類似性とか、こういう風に考えるとそれっぽいんじゃないか、ということを指摘しているもので、まあだからこそ小説などの材料にしやすいところはあるなと思ったり。 書かれたのは100年近く前だと思うけど、それから生物学の発展とかからわかってきたことは何かあるんかな? 少し流し気味に読んだせいか、元の文のせいなのか、翻訳のせいなのかはわからないが、文のつながり、論理の展開がわからなくなることが多かった。 なので以下は間違って解釈してしまっている可能性が結構高い。あと、書いてあることそのままであることもあるし、勝手に解釈して付け加えているだけのものもある。 ・「快とは不快の減少、不快とは刺激の増大である」 「不快を減少させる、少なくとも増大させないように行動する」というのが快感原則の大枠 ・単純な快感原則では説明できそうにないような精神症状がある。例えば反復強迫。 ※反復強迫:過去のショッキングな出来事を何度も(無意識的に)想起したり、夢で見たりすること。 ・快感原則を推し進めるためにこれを欲動の働きとして説明しようとする。(これによって推し進められた到達点が「快感原則の彼岸」) ・反復強迫は以下のように不快を減少させようとする欲動の働きであると考察。 1.最初のショッキングな出来事で内部状態が乱される。 内部状態が乱れたことで、その乱れ自体が内的な刺激になる。 2.快感原則にのっとって、不快を減少させるために、乱された状態を戻そうとする。 3.何度も同じ経験を(疑似的に)することで、"慣れ"させることによって、元の状態に近い安定状態に近づけようとする。 ・この観察から、「すべての欲動は根源的には基底状態に戻ろうとする働きである」という仮説を立てる。 ・生命の基底状態は何か? 原初的には化学物質の偏りから生命が発生し、意識が発生したと考えられる。 →生命の根源的な欲動は「死」といえるのではないか? >いわゆる「拡散の法則」というものに従っているようなイメージだろうか。 >少し宗教的な雰囲気を持ってしまうが、語り口は論理的で、面白い思弁だと思う。 ・ただそれだけだと生まれた瞬間に死を求めて、存在しなくなってしまう。そこで、「生まれた瞬間の状態」に戻ろうとする欲動というものが対立項としてあると考える。これがいわゆる「エロス」、性欲動にあたるもの。 ・これは、DNAとかゲノムとかそういった遺伝単位の状態を維持しようとするという話だと思う。そして、そういったものを維持しようとしたダーウィニズム的な結果として、生命維持の欲求だったり、いわゆる一般的な意味での性欲(性欲'動'とは違う気がする)が発生する。 >進研ゼミ(と書いて『利己的な遺伝子』)でやったことある‼ ・この「生の欲動(エロス)」と「死の欲動(タナトス)」のバランスが崩れることが精神疾患の影響なのではないか? おおむね以上のように理解した。 宗教的なところを意図したところではないとわかってはいるが、根源的なところに死の欲動(というか無の欲動?)があるというのは面白い。 『バビロン』での「生(性)と死」のこの関係の活かし方は改めて面白いと思った。 また、途中であったゾウリムシの話も面白かった。 二つのゾウリムシがくっついて一つの個体のようになることがある。そうなるとくっついた後の個体は、くっつく前の二つの個体より「若返る」らしい。 物質的にはほとんど同じものが、くっつくだけで若返ることは少し不思議に思えるが、これも欲動の性質で説明できるのではないかとのこと。 つまり、2個体の時はそれぞれの物質はそれぞれの個体の中で「均一」な状態であったが、くっつくことによって「不均一」な状態が発生した。 この不均一を解消しようとする力が欲動、つまり生きるエネルギーなのではないか、ということ。 不均一さが生命エネルギーの源泉というのはテッド・チャン『息吹』を思い起こさせるものがある。 フロイト自身、誰かの詩の引用「人間はもともと手足は4本ずつ、顔も2つあったが、神様が半分に引き裂いた。だから元の体を求めるように男女はひかれあう」というようなことから、不均一なものを解消しようとする力があるのでは?ということを言っている。 そういえば『聖書』の中で、イブはアダムの肋骨か何かから生まれたんじゃなかったかな? 『自我とエス』以降も読み次第追記

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2023/01/10

たまにはこういう難しい本を。もちろん全部を理解できてはいないけど、所々「なるほどなぁ」、「確かに」と思える部分はあった。今更ながらフロイトってすごいんだなと気づく。

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2022/02/14

思考の変遷を辿れる、超自我がエスに近いもの、ということを全然認識していなかったのでなんかほんとにいままで雰囲気だけ味わっていたんだなと思った、解説もとてもありがたい

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2014/11/13

フロイトの「自我論」についての論文集。以下、2つの作品への感想。 フロイト精神分析の大きな転換点とされる論文が『快感原則の彼岸』。精神分析の臨床経験から導き出した死の欲動の仮説を表明するときのフロイト自身の戸惑いが文章の魅力になっていた。 『快感原則の彼岸』と共にこの本の中核...

フロイトの「自我論」についての論文集。以下、2つの作品への感想。 フロイト精神分析の大きな転換点とされる論文が『快感原則の彼岸』。精神分析の臨床経験から導き出した死の欲動の仮説を表明するときのフロイト自身の戸惑いが文章の魅力になっていた。 『快感原則の彼岸』と共にこの本の中核と位置付けられているのが『自我とエス』。人は自分が思う以上に道徳的であり非道徳的である。罪責感を埋め合わせようとする道徳的な超自我は症状の苦痛によって満足を得、それを手放そうとしない。一つの規範だけを信奉しないようにすることで苦しみを軽くすることができる、と解釈した。 他の論文も、心にまつわる素朴な印象を言い当ててくれていると感じた。

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2014/10/04

[ 内容 ] 「わたし」の意識はわたしが知らずにいる無意識によって規定されている。 「意識」には「無意識」を、「理性」には「リビドー」を対置して、デカルト以来のヨーロッパ近代合理主義に疑問符をつきつけたフロイト。 「自我」(「わたし」)を「意識」「前意識」「無意識」という構造とし...

[ 内容 ] 「わたし」の意識はわたしが知らずにいる無意識によって規定されている。 「意識」には「無意識」を、「理性」には「リビドー」を対置して、デカルト以来のヨーロッパ近代合理主義に疑問符をつきつけたフロイト。 「自我」(「わたし」)を「意識」「前意識」「無意識」という構造として理解しようとした初期の論文から、それを巨大な「エス」の一部ととらえつつ「超自我」の概念を採用した後期の論文まで、フロイト「自我論」の思想的変遷を跡づけた。 「欲動とその運命」「抑圧」「子供が叩かれる」『快感原則の彼岸』『自我とエス』「マゾヒズムの経済論的問題」「否定」「マジック・メモについてのノート」の8編を、新訳でおくる。 [ 目次 ] 欲動とその運命 抑圧 子供が叩かれる 快感原則の彼岸 自我とエス マゾヒズムの経済論的問題 否定 マジック・メモについてのノート [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]

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2015/06/01

今頃、気がついてバカじゃないかとも思うのだけれども、天才が何年も考え続けたことを文章にしてあるわけだから、そりゃ内容が濃いに決まっている。前回読んだ時には平気で読み飛ばしていたところにいろいろ引っ掛かる。確かに今は病気を治そうと、少なくとも悪くならないようにしようと必死に集中して...

今頃、気がついてバカじゃないかとも思うのだけれども、天才が何年も考え続けたことを文章にしてあるわけだから、そりゃ内容が濃いに決まっている。前回読んだ時には平気で読み飛ばしていたところにいろいろ引っ掛かる。確かに今は病気を治そうと、少なくとも悪くならないようにしようと必死に集中して読んでいるからかもしれないが… 人間が外界に現実感をわざわざ賦与しなければならなくなったのは、言語を獲得してしまったせいであり、それまでは世界に溶けこむように生きていたんじゃないかと思った。ラカンさんが言うみたいに人間だけがイメージから自由であり、そのために苦悩し象徴によってのみなんとか狂わずに世界を破滅させることなく生き延びることができるのかもしれないと思った。 言葉って人を自由にもし縛りもし繋げることもするんだろう。恐ろしくもありがたいものなのかもしれない。まだまだ、読まなければ。何回も… これって強迫神経症ですか? ちなみに転換ヒステリーの病識はあります。 Mahalo 前回読了2014/01/14 現代的な学術書には必ずフロイトさんが出てくる。橋本治さんの『蓮と刀』に「エディプス・コンプレックスなんかウソっぱち!」と書かれていたのが衝撃的でもありなんか「そうなんだ~じゃぁそんなに真剣に読まなくてもいいや。」みたいに思って真剣には読んでなかった。それでも読む本読む本にフロイトさんが出てくるから、ちょっと読んでみなきゃなと思って、今までに『精神分析学入門』(中公文庫) と『性と愛情の心理』(角川文庫 リバイバル・コレクション K 25) など読んでみたけど、なんかいまいちよくわかんないしスッキリしなかった。 でまた、サド・マゾ関連の続きで、また読んでみたのだけれども、今回は今までよりもなんとなくフロイトさんの言う心の構造みたいなものがぼんやりと思い浮かぶくらいにはなった。わかりにくかったのはフロイトさんの自我論が分析した症例が増える度に修正されていてそれがゴチャゴチャに入ってくるからということもあるんだと思った。その点この本は時系列に編まれていてその変遷を念頭に入れて訳され適切な箇所に適切な注も入っているので混乱が起こりにくかったのだと思う。 巻末にある中山さんのフロイト自我論の解説も時系列的に上手にまとめられていて有りがたかった。さらに竹田さんの解説も現代的な捉え方に焦点を当てていてフロイトさんの書いたものの取り込み方についてとても参考になると思った。構造主義と現象学という対立があるというお話しはへぇ~なるほどと思いちょっとスッキリしたような気がする。 フロイトさんの理論はウソっぱち!という先入観をちょっと置いといて、フロイトさんが理論を編み出すために行った詳細な人間観察には深いものがあると思った。いまではおそらく脳科学的な説明が結構できるようになっているのではないかと思う。例えばリビドーの動きなど神経細胞の興奮伝達で置き換えられるような気がした。 エロス論集も読んでみたい。 Mahalo

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2011/11/12

つまり論文集でした。 フロイトが何を言っていたか、については、分かったつもりでいたのだが… 改めて彼の「生の声」を聞いて、心理学界隈の問題に触れることができた。 以下メモ ・欲動の問題 ・原生動物と人間の違い ・種の保存 ・自己保存 ・自我欲動と性欲動

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2010/09/20

20世紀というのは、「合理性」との戦いの世紀でもあるんだっていうのをつくづく思い知らされる。 少なくともヨーロッパでは何百年ものあいだ、人間の合理性や知性が最上のものとされてきて、それ以外は異常なものとして排除されてきたんだろう。この仕組みは社会の安定や科学の発展に大きく寄与して...

20世紀というのは、「合理性」との戦いの世紀でもあるんだっていうのをつくづく思い知らされる。 少なくともヨーロッパでは何百年ものあいだ、人間の合理性や知性が最上のものとされてきて、それ以外は異常なものとして排除されてきたんだろう。この仕組みは社会の安定や科学の発展に大きく寄与してきたけど、その一方で社会制度の変化や異文化との交流やなんかがどっとおこって、それまでの価値観や観念がぐらついてくる不安になる。そんな世の中の流れがあったからこそフロイトの精神医学も世に出てきたんだろう。 そして今では知性とか合理性とかいう概念それ自体が根拠のないある種信念・信仰のようなものなんじゃないかという考え方も普通に存在してて、それはフロイトたちが合理性と戦ってきたことが現代にも大きな影響を与えているんだなと感じる。

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2009/10/04

「快感原則の彼岸」「自我とエス」等の主要論文が掲載。文庫なので、手軽に手に取れるうえ、訳も読み易く、訳注も豊富。実は、10年前に読んだ時は、ちんぷんかんぷんだった(笑)。が、今回は、非常に面白く読めた。上記の主要論文ほか、「子どもが叩かれる」「マジック・メモについてのノート」が、...

「快感原則の彼岸」「自我とエス」等の主要論文が掲載。文庫なので、手軽に手に取れるうえ、訳も読み易く、訳注も豊富。実は、10年前に読んだ時は、ちんぷんかんぷんだった(笑)。が、今回は、非常に面白く読めた。上記の主要論文ほか、「子どもが叩かれる」「マジック・メモについてのノート」が、個人的には面白かった。フロイトの思考過程(あーでもない、こーでもない、この説明ではヘンだ、不十分だ…等々)も興味深く、臨床家としてのフロイトの実践と思考とのせめぎ合いが、足跡として伝わる。フロイトも、あくまで近代思想のひとつであること、その意味で、近代という時代背景を抜きには読みにくかったのだなーという気がしている。個人に内面(心性)があり、そこに意識/(前意識)/無意識がある、という発見や人間像の提起は、近代(思想)という系譜のうえで理解するのが、ふさわしいように思える。そういう読み方の可能性に気づかされたという点でも良かった。

Posted byブクログ