大衆の反逆 の商品レビュー
難しい。 「大衆とは良きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見出すことなく、自分を「すべての人」と同じだと感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じるすべての人である」 これが印象に残った。
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オルテガ曰く大衆とは『凡俗な人間が、自分が凡俗であることを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆるところで押し通そうとする』人間である。 そして大衆は、国家というものが、人間の創造物であるという自覚を持っておらず、また、彼らは国家の中に一つの匿名の権力を...
オルテガ曰く大衆とは『凡俗な人間が、自分が凡俗であることを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆるところで押し通そうとする』人間である。 そして大衆は、国家というものが、人間の創造物であるという自覚を持っておらず、また、彼らは国家の中に一つの匿名の権力を見るのであり、国家を自分のものと信じ込んでしまう。 その結果、重大な困難や問題が生じたとき大衆人は、国家がそれに対し責任をとり、巨大な権力を直接行使し、解決をはかるよう要求をする。 第一次世界大戦後のヨーロッパに向けて書かれた本であるが、今の日本にも有益な書だと思う。
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西洋の没落を嘆く自称知識人にとって、それってお前たちの考えてた理想そのものじゃないか、という事実を突きつける本書が与えた影響は、計り知れないものがあったに違いない。もはや、マイノリティーが眉をひそめることにはなんら効果がないのだ。 そこには、自称知識人、教養人が、自覚している...
西洋の没落を嘆く自称知識人にとって、それってお前たちの考えてた理想そのものじゃないか、という事実を突きつける本書が与えた影響は、計り知れないものがあったに違いない。もはや、マイノリティーが眉をひそめることにはなんら効果がないのだ。 そこには、自称知識人、教養人が、自覚しているか否かを問わず、すでに大衆化してしまっているという現実がある。大衆の堕落を嘲笑する態度自体が、そもそも大衆的なのである。その意味では、この本の著者であるオルテガでさえ、すでに大衆の一人である可能性も否定できない。自分は大衆とは違うという意識に安住するのであれば、すぐにでも大衆に転落してしまうのである。 オルテガの大衆に対する分析の中で面白いのが、大衆は自身が凡俗であることに充足していながら、同時に環境によって与えられる潜在的な可能性の多様性を前にして、立ちすくんでしまうというところである。結局のところ、大衆は数と力を持ちながら、何もしない。何もしないがゆえに、既存の制度を破壊してしまう。 大衆の反逆にはなんら手立てが存在しない。ただ、大衆の生活の基盤が破壊しつくされ、大衆でいることができなくなるまで、見守ることしかできない。しかし、今このときはまさしくユートピアである。マイノリティーにとっては、という留保を付けたくもなるが、しかし我々はみな結局は大衆なのだ。
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いったいこれはどこの時代のどの国の人たちのことを描いているのだろう?と思えるくらいに普遍的な内容で、粗暴で愚かな人々の行動の数々は現代の私たちの写し鏡のようでドキっとしてしまいます。 醜い人間の本性から逃げることなくまっとうに正面から格闘する大切さを学ばせてくれる名著です。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
批判的に読まずに鵜呑みにすると有害な本。 (どんな本でも消化せずに鵜呑みにしちゃうと有害だとは思うけどね) オルテガの理想とする社会は、優れた少数者の支配する貴族的な社会だが、そもそもそんな社会あったっけ? この本を無批判に付和雷同することこそ、やすやすと押し流されやす「漂泊者」まさに大衆人だと思う。 しかし、現代を先駆的に見通した論考はさすが。 とくに外部との接触をたち、自己にひきこもって自分自身を肯定する大衆人の姿は、まさに自分にたいする否定的な意見を排除してコミュニティを形成する現代社会のありようそのまま。『社会関係を拒絶することで、大衆化する』というアイディアには、大衆の本質を突く鋭さを感じます。 また、大衆という表現のバリエーションの豊富さがおもしろい。 「最新の野蛮人」「平均人」「慢心しきったお坊ちゃん」「漂泊者」・・・。 『選び抜かれた少数者』、つまり理性的な個人に、オルテガもトクヴィルも期待を寄せているようですが、群衆社会のなかで生きる個人というのはあまりに無力ではないでしょうか?(もっとも、選び抜かれた少数者としての生が、人生に活力と意義を与えるということはあると思います) 逆に個人の思うままになる社会というのはそれはそれで恐ろしいと思いますし、きっと、権力を握る官僚や政治家なんかも自分を『選び抜かれた少数者』とみなしていることでしょう。 群衆に対決する個人に期待を寄せることはあまり現実的ではないと思います。
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レポート本。 翻訳本がニガテな私。とても読みにくい。 工業化、自由民主主義、科学技術の発展と細分化により、空虚な生を生きる「大衆」という「心理的事実」ができた。彼らは、昔とちがい、豊かな生活を最初からあるものとして享受し、自由に対する感謝もせず、義務も放棄し、権利のみを主張する...
レポート本。 翻訳本がニガテな私。とても読みにくい。 工業化、自由民主主義、科学技術の発展と細分化により、空虚な生を生きる「大衆」という「心理的事実」ができた。彼らは、昔とちがい、豊かな生活を最初からあるものとして享受し、自由に対する感謝もせず、義務も放棄し、権利のみを主張するが、明確な将来のヴィジョンを持っているわけではない。こうして道徳的頽廃がおこり、「新しいモラル」と呼ばれる不道徳的観念が世にはびこっている。 衆議院議員選挙を控えた今、大衆と日本国民に共通項はあると思う。
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1930年の出版、新聞執筆を集めたもので、草案は20年代のもの、アメリカはいわゆる「狂騒の20年」で資本主義を謳歌し、ロシアではNEPのもと五カ年計画の「ヘラクレス的偉業」が開始、中国では第一次国共合作、日本では大正デモクラシーの後、1929年、世界恐慌である。オルテガはこのよう...
1930年の出版、新聞執筆を集めたもので、草案は20年代のもの、アメリカはいわゆる「狂騒の20年」で資本主義を謳歌し、ロシアではNEPのもと五カ年計画の「ヘラクレス的偉業」が開始、中国では第一次国共合作、日本では大正デモクラシーの後、1929年、世界恐慌である。オルテガはこのような世界情勢のなかで『大衆の反逆』を書いた。彼のいう「大衆」とは愚かであることに疑問を持たず徹底的に怠惰で権利のみを要求する「人類史が生みだした甘やかされた子供」である。問題はこうした「大衆」がヨーロッパの支配の座に登ったということである。彼らは「知性に頭をさげず」、あらゆる偉大な者を攻撃、青年ぶって「新しい倫理」のもと不道徳を密輸する。この本は妥協なき大衆批判の書であり、「だれでもこういうところがあるよね」という風に「大衆」を安心させたりはしない。その大衆批判は痛烈で読者に真剣に自分の生き方を反省させるものだ。オルテガのヨーロッパ社会の処方箋としては、「新しい時代」に惑わされず、ヨーロッパの歴史が生みだした最良の理念を再建し、国民国家のなかで怠惰に暮らしている者を「偉大な事業」に参加させ、国民国家を超えた超国民国家をヨーロッパに建設するしかないとしている。大衆の精神構造を鋭く指摘した書であるが、それだけではない。もっと重要なものは「大衆」を通して反面として語られる「いかに生きるべきか」という「哲学」である。最後の国民国家論は大変興味ぶかい。オルテガによれば、国民国家とは「共同で事業をなす」「未来にむかう」「生の計画」である。地勢・言語・歴史などは国家の本質ではないのだ。言われてみれば、当然のことだろう。ECやEUの構想や、現代の政治的混迷、国家ではなく社会の頽廃といったものを考えるのに非常に有益な書である。ただし、ヨーロッパ中心史観は否めない「ヨーロッパが支配しなくなったら世界はどうなるか」と、ヨーロッパの理念による世界経営を信じ切っている点には問題があるように思う。しかし、自由・民主といったヨーロッパ発の「生の計画」を破棄して、他に何があるのかと言われると、安易に「東洋の理想」を強調することはできない。とにかく、理念の重要性を強調しており、科学や文明が経済的下部構造で決まるということに反対し、発展の条件と本質的力の混同に再三注意をうながしている。カエサルこそ「明晰な頭脳」の持ち主であったなど、歴史の話も多く、ヨーロッパの教養人がどういうものか分かる。若い学生が人生を考えるには最適の書であると思う。
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第一次世界大戦後のヨーロッパに向けて書かれた本なのに、現代の日本に向けて書かれたとしか思えない、大衆批判の書。自らに対して特別な資質を持ってない平均人と感じる大衆は、だからこそ平均的な考え方をしない人を締め出そうとする同調圧力を発し、生の計画を持つことなく自らの生存を可能にするも...
第一次世界大戦後のヨーロッパに向けて書かれた本なのに、現代の日本に向けて書かれたとしか思えない、大衆批判の書。自らに対して特別な資質を持ってない平均人と感じる大衆は、だからこそ平均的な考え方をしない人を締め出そうとする同調圧力を発し、生の計画を持つことなく自らの生存を可能にするものへの恩を忘れている。そんな大衆を「慢心しきったお坊ちゃん」と称し、その成立基盤を十九世紀の自由主義的デモクラシーと科学的実験、そして産業主義にあるのだと分析する。特に、科学の専門化が進む事で、専門外に対する無知を公言する人が増大したことが現代の大衆人の気質に繋がるのだという指摘は興味深い。過去のいかなるものにも規範たりえる可能性を認めようとしない、そんな時代に生まれた中で「時代に対する責任」を果たしていくにはどうすべきなのだろうか。死者が、規範たりえなくなってしまい、完全に完全に死んでしまう前に。
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1935年の作だが、現代日本を予言したかのような破格の名著だと思う。 大衆を批判しまくる書かと思いきや、それは最初と最後だけで、途中は「生とは」「社会とは」「国家とは」みたいな話が多かった。 いや、何にせよ多くの人に読んでみてほしい。 あとスペインの哲学者って珍しいよね、スペ語選...
1935年の作だが、現代日本を予言したかのような破格の名著だと思う。 大衆を批判しまくる書かと思いきや、それは最初と最後だけで、途中は「生とは」「社会とは」「国家とは」みたいな話が多かった。 いや、何にせよ多くの人に読んでみてほしい。 あとスペインの哲学者って珍しいよね、スペ語選択を哲学分野で生かす可能性に初めて触れた。
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オルテガと言えばこの本。彼の言う大衆とは、「凡俗な人間が、自分が凡俗であることを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとする」人間のこと。 現代社会は、この大衆という「慢心しきったお坊ちゃん」が支配する時代であるとか。彼らは「喫茶店の会話...
オルテガと言えばこの本。彼の言う大衆とは、「凡俗な人間が、自分が凡俗であることを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆる所で押し通そうとする」人間のこと。 現代社会は、この大衆という「慢心しきったお坊ちゃん」が支配する時代であるとか。彼らは「喫茶店の会話から得られた結論を実社会に強制する」ことに、何の違和感も抱かない。つまり、自分たちの凡庸さを社会全体に暴力的に押しつける一方で、いかなる卓越性も決して認めない。 おそらくこういう態度は、日常生活で誰しも覚えのあることではないか。あらゆる問題について、どこかで聞きかじった意見をそのままリピートしながら口出しして憚らない態度。他人の「上から目線」を疎ましく思う態度。自分が「例外者」になることを避けようとして、「凡庸」であることに徹しようとする態度…。 ……と、こう列挙してみると、かくいう自分がまさにその「大衆」であることをつくづく痛感。 自戒を込めて、本書を推奨。
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