新文学入門 の商品レビュー
臨場感があって読みやすく面白い。「『文学とは何か』を読む」にこだわらず、文学や映画、ドラマなどをどう味わうかのとっかかりとしてとてもいい。「唯野教授」の講義部分を拡張したものとして読んでも面白い。「唯野教授」にないフェミニズムの章もあるし。『バトラー入門』を読んだばかりだったこと...
臨場感があって読みやすく面白い。「『文学とは何か』を読む」にこだわらず、文学や映画、ドラマなどをどう味わうかのとっかかりとしてとてもいい。「唯野教授」の講義部分を拡張したものとして読んでも面白い。「唯野教授」にないフェミニズムの章もあるし。『バトラー入門』を読んだばかりだったこともあり、特に興味深く読めた。 なんで岩波現代文庫に入らないんだろうか。
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セミナーとしての流れは上手い。この一冊の初めと終わりの繋がりはスッキリする。 ただ、入門とは言えない気がする。これを読んで全体像を掴んで、もう一歩先へ他の本で入る必要性あり。 特にラカンは難しいと思う。
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長らく積ん読してしまっていたが正月にまとめて読んだ ほんの入口しか触れてないけど理論が沁みると言うかこの分野に迷い込みたいなという気にはなった 『文学とは何か――現代批評理論への招待』を読みたくなったから入門としては成功なのだろう
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あらゆる文学理論が政治性に支配されたものとして相対化される、要するに政治=社会と切り離すことのできないものが社会的動物である人間の性であり、文学もそれを免れない、という本書の前提になっている(というかイーグルトン「文学とは何か」の前提になっている)ことには、心から同意。ポストコロ...
あらゆる文学理論が政治性に支配されたものとして相対化される、要するに政治=社会と切り離すことのできないものが社会的動物である人間の性であり、文学もそれを免れない、という本書の前提になっている(というかイーグルトン「文学とは何か」の前提になっている)ことには、心から同意。ポストコロニアリズム、ジェンダーといった政治的な批評はたぶんわたしの勉強していること、非西欧圏の女性としてのわたし、を考えれば最も近しいものだと思うのですが、それよりも興味を惹かれたのはポスト構造主義批評(脱構築)、受容理論(読書をしていていつも思うことがはっきりと言語化されていた)、精神分析批評(ラカンは難しかったけど)でした。「主体」「自我」の不可能性についてわたしは考えたいのだろうか。自分の興味関心を明らかにする手助けとなったし、大橋さんは違うと言うけれど唯野教授なみに面白くてわかりやすい講義だし、読み易いのに難解な部分も多々あって知的興奮を得られたし、素晴らしい。 ただひとつ、フェミニズム批評を読んでいて、ああこのひとは正しくて声の大きな人なのかもしれない、と感じたのが残念だった。なんとなく、大橋さんてとっても良い人で、正義感が強くて、でもフェミニズム的なことに関する感度はそれまで鈍くて(男性に生まれた偶然性と盲点を作る社会構造のせいで大橋さんの個人的責任ではないけど)、衝撃を受けたんだろうなあみたいな、他の章に比べて論理一貫性が鈍り感情的な印象を受けるこの章における大橋さんは、むしろ二項対立の社会を反映するようで、こういうのはべつに大橋さんに限らず世の中に散見されることで、かなしいきもちになった。 (追記) 文学とイデオロギー、という問題でいくと、文学=政治に対する自覚を持った批評がマルクス主義批評であり、イーグルトンはマルクス主義批評のひとで、大橋さんの意見も多分にそこによっている。だからここでは詳しく言及されていないが、イデオロギーからの自由、作者からの自由を目指すものとしてテクスト論が存在していて、つまり本書は中立的な批評理論紹介本ではないのかもしれない。ということを勉強を続けてみて思いました。
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文章自体はうまくまとまっているのだけれど、頭のなかで像を結ばないというか、うまくまとまってくれない。 ヘンテコだ。「セミナーブックス」というぐらいだから、そういうもんなのかもしれない。 うまくまとまらないだけに、この知識を有効利用というか、付加価値をつけてアウトプットしようと思う...
文章自体はうまくまとまっているのだけれど、頭のなかで像を結ばないというか、うまくまとまってくれない。 ヘンテコだ。「セミナーブックス」というぐらいだから、そういうもんなのかもしれない。 うまくまとまらないだけに、この知識を有効利用というか、付加価値をつけてアウトプットしようと思うときっとまだいくつかの段階を経る必要がある。 というわけでイーグルトンの「文学とは何か」を読もうと思った。 ・日常言語と詩的言語はボケとツッコミのような関係。相互に作用しあうことによってはじめて異化効果を発揮する。 異化は本質ではなく関係によって支えられている。 ・詩的言語は現実を指示するのではなく、その言語自体に注意を促す。"Look at me!" →内容と技法の対立 ・芸術のなかでも音楽は「something」である。それ自体で存在している。 文芸も「about something」ではなく、「something」である境地をめざした。(プルーストは「something」らしい) サルトルが「嘔吐」のなかで言及した「生きるか物語るか」という選択にも似てる。 マルクスの商品フェティシズムという考え方が興味深い。 文学をそれ自体独立したものと捉えるのは歴史的・社会的に規定された考え方……というのはわかる。 けれども、だからといって独立しえないわけではないんじゃないかな? ちとわからない。 「ロシア・フォルマリズム」 ・近代的作家が新世界の発見とともに西欧でうまれた。 「見てきたこと」「聞いたこと」という個人的な経験を拠り所とする作家の原型。 「以後、近代的作者というのは、象徴的な意味で、未知の口への旅行者、未来へのタイムトラヴェラーになったといえるかもしれません」 ・読者があらかじめ持つ先入観、偏見を〈期待の地平〉と呼ぶ。 「文学作品は、読者の期待の地平を越えるような、あるいははぐらかすようなものを提供しなければいけない。」→〈異化〉の問題 「物語の進展とともに、期待の地平は縮小して」いく。先が見える。 「期待の地平の解消と融合と拡大」 ・文学は上からの命令と下からの要求とがせめぎあい、交渉する場。「文学は中間管理職であると同時に労働組合である」 そのなかでも「本来なら表に出てこない要求を顕在化させるはたらき」は重要と思う。 しかし「文学は反体制エネルギーの集結地」になりうる可能性があるので、社会コントロールのためには文学という中間段階を経由せずに、麻薬漬けにしたほうがてっとりばやい。 「いま超自我的存在は、自我的存在の媒介なくして、無意識の欲望へと触手を伸ばし始めてる」 構造主義、ポスト構造主義、ラカンの精神分析はおもしろそう。
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『文学部唯野教授』(筒井康隆/岩波現代文庫)を読んだあとに読むと、読みやすくなる。文学理論のダイジェスト版だが、そこから自分の気に入る文学理論の森にさまよい歩くための道しるべとなる。精神分析批評とジェンダー批評の第7~9講は難解だが、目から鱗。
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批評理論の入門書、第二冊目として読了。 批評の歴史的な流れは、筒井康隆『文学部唯野教授』の方がわかりやすい。 しかし、『文学部唯野教授』は批評の全体を扱っていた分、どうしても概略的で、各批評の内容について説明が少なかった。 それと比べれば、この『新文学入門』は各批評の内容をよ...
批評理論の入門書、第二冊目として読了。 批評の歴史的な流れは、筒井康隆『文学部唯野教授』の方がわかりやすい。 しかし、『文学部唯野教授』は批評の全体を扱っていた分、どうしても概略的で、各批評の内容について説明が少なかった。 それと比べれば、この『新文学入門』は各批評の内容をより詳しく説明してあるので、だいぶ理解が深まる(とはいえ、あくまでも「大枠が」という意味だが)。 語り口もかたすぎず、専門用語を並べ立てることもないので読みやすい。 「T・イーグルトン『文学とは何か』を読む」が副題となっているが、この点の妥当性に関しては、イーグルトンのものを読んでいないのでわからない。 わからないけど、私にはタメになったので、この一冊を単独でとらえて評価。 欲を言えば、このわかりやすさでマルクス主義についての章も入れてもらえたら嬉しかった。
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2010一発めー。 文学理論の本を読んでみたい、てひとにお勧め。こういったことにはぜんぜん明るくないわたしでも、ストレスなく読み進められました。 いくつか個人的なメモとして引用。 p40 詩的言語とは"Look at me!"という呼びかけにほかなりませ...
2010一発めー。 文学理論の本を読んでみたい、てひとにお勧め。こういったことにはぜんぜん明るくないわたしでも、ストレスなく読み進められました。 いくつか個人的なメモとして引用。 p40 詩的言語とは"Look at me!"という呼びかけにほかなりません。つまり詩的言語は自己について言及している。この自己言及性self-referentialityが、詩的言語の特質だとロシア・フォルマリズムは考えたのです。 p48 文学とはabout somethingではなく、somethingであるということ、文学とは表現ではなく、独自の何かであるということです。 p99 作品とは読者が自分自身に出会う場所にほかなりません。読書行為とは、読者が自分自身をたえず読んでゆくプロセスなのです。そしてこれが受容理論の最後の詰めの一手なのですが、読者は読書行為をとおして、みずからの認識なり思想を相対化してながめることのできる柔軟で広い視野にたつ主体へとつくりかえられてゆくのです。 p182 無意識を(1)空間としてとらえることは、文学作品のなかのイメージを考えるとき有益です。いっぽう無意識を(2)エネルギー運動としてとらえることは、文学作品の内容ではなく形式そのものを、緊張と安定状態との力学的運動として考察するとき有益です。そしてまた無意識を(3)体系としてとらえることは、超自我と無意識の欲望との交渉・調停の場として文学作品をみることで、文学のイデオロギー性を考察するとき有益です。 最後の小のフェミニズム理論はよーわからんかった。なんかぴんとこないんだよね。
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文学批評は、文学と一緒に歩んできた。とても分かりやすく、誠実な、文学と批評理論へのいざない。脱構築を扱った章は圧巻です。
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