ヒース燃ゆ の商品レビュー
『歩いていて、スレート屋根の三階建ての家々に気がついた。泥の澱んだ港に続く、狭い道をじっくり眺めていて思った。これは絶対ここにしかない風景だと』 目線の高さを邪魔するものが何一つないような光景が広がる中で、一人佇む時の気持ちを、果たして孤独というのが正しいのか。この本を読んだ後...
『歩いていて、スレート屋根の三階建ての家々に気がついた。泥の澱んだ港に続く、狭い道をじっくり眺めていて思った。これは絶対ここにしかない風景だと』 目線の高さを邪魔するものが何一つないような光景が広がる中で、一人佇む時の気持ちを、果たして孤独というのが正しいのか。この本を読んだ後で、じわじわとそんな疑問に囚われる。そもそも孤独とは何か。人間はしょせん誰しも孤独ではないのか。通い合っていると思っていることには何か確かなものがあるのか。そう突き詰めてしまえば何もかもがあやふやになり、答えを返すことなどできなくなる。 主人公の男は幼い頃に父を亡くしたこと、そもそも母の面影を自分は持たないことをじっと心の内に秘めている。いや、秘めているというようなつもりもなく、また誰しもが知ることではあるけれど、敢えて自分から語ることはない。しかし、ぎゅっと固く撚った糸がじょじょに解れてくるように、その語られたことのない思いは、現在に思い出が投影される度に溢れ出してくる。そして繰り返される喪失。それは避けようがない。季節のように、常に繰り返されること。 物語はいつも開廷期間の最後の日から始まる。語られる物語はその度に異なっているのに、それは繰り返される物語のようにすら聞こえる。周りを通り過ぎる人々は変わっていようとも、景色は同じではなくても、思い出の中で感じたままに気持ちは浮き沈みをくり返し、去る者がある一方で、新しく自分と歩みを伴にする人も現れる。秋になれば葉は色づき、やがて落ちはするけれど、固い芽として冬をやり過ごせば、春には花が咲く。その営みの周期は人にも等しく訪れるのだということが、アイルランドの風景を見遣る視線の先に見えてくる。 不幸をかこい、孤独のままにあろうとする。その瞬間の気持ちに嘘はないとしても、いつまでも自分自身をぎゅっと抱きしめていることなどできない。今のこの場所からどこへ行かず、何も変えず、全てを現状のままに維持しようとしても、季節は巡り自然は否応なしに全てを変化させてゆく。閉ざしていた扉には知らず知らずの内に隙間ができ、中に溜め込んでいたものは外へと流れ出してゆく。それと同じように、いくら自分の中に抱え込んでいようとしても、思いは一つ所に留まることはなく、こちらからあちら側へと伝わってゆく。そのことが、主人公の思い出とともに静かに沁みてくる。 見渡す限りの草原の中で一人立つ時、人は、そこに立つ勇気を与えてくれる者たちの加護自分にはあることを、何にもまして実感するだろう。
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