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ウィトゲンシュタイン入門 の商品レビュー

3.7

48件のお客様レビュー

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2011/07/24

ウィトゲンシュタインの入門書といいつつも、入門書としては難しかった。 ウィトゲンシュタインの哲学について、論考から哲学探究まで全て盛り込んで書いている結果、説明不足感は否めず、読んでいて大変。 もうちょっと勉強してから読みなおしたい。

Posted byブクログ

2011/07/22

『「語りえぬものについては沈黙しなければならない」ということすら語れなくなる』、それがヴィトゲンシュタインの真髄と言えよう。友人がこの言葉を引用してどれだけ考えても意味がない、といったことをかつて言っていたが、それはかなり乱暴な解釈であろうと思われる。語りえぬものについて沈黙しな...

『「語りえぬものについては沈黙しなければならない」ということすら語れなくなる』、それがヴィトゲンシュタインの真髄と言えよう。友人がこの言葉を引用してどれだけ考えても意味がない、といったことをかつて言っていたが、それはかなり乱暴な解釈であろうと思われる。語りえぬものについて沈黙しなければならないとヴィトゲンシュタインが言ったのは、どれだけ語りたくとも語れないからである。では、語れないものとは何なのか?そこには、アプリオリ的な超越と、形而上学的な超越がある。前者はカントやフッサール的な超越であろうし、後者はいわゆる神や宗教などといった次元における超越なのだろう。この両者を区別しているあたりがなんともヴィトゲンシュタインの凄さだろうと感じる。著者の永井は、ヴィトゲンシュタインとニーチェを圧倒的な哲学者だと述べているが、その点に関しては全面的に同意したいと感じた。なぜなら、ヴィトゲンシュタインは語りえぬものを語りえぬものとするために徹底的に語ろうとしているからである。これは哲学に全てをかけたといっても過言ではない。もはや執念である。その点で、ニーチェに相通ずるところがあろう。ヴィトゲンシュタインはこの二つの超越の後者は語る術がないと決め付けた。しかし、実際に語る術はない。最終的に彼は、これらを語ろうとした瞬間にそれらは言語ゲームになってしまう、といった具合に(永井的には)考えたようで、結局のところ後者にはほぼ語らなかったらしい。とはいえ、「信じる」という言葉は用いたらしい。彼が信じるという言葉を用いたならば、それらが言語ゲームに陥ってしまうことを知りながらも、彼は、「信じる」という言葉を用いたことは意義深い。彼が信じるという言葉を用いるためには、彼が、「語りえない領域」に到達していなければならない。果たして彼は到達できたのか、できなかったのか? 結局のところ彼が格闘したのは超越の前者なのであろう。カントが言う、アプリオリやフッサールが言う超越論的自我とでもいったものを彼は徹底的に語りつくそうとした。その際に彼はソシュール的な構造主義も用いたし、真理関数や文法、命題、写像形式といった彼独自の概念を色々と打ち出しては、それをことごとく否定していく。彼の凄まじいところは、彼が技術的な言語学に陥っているわけでもなければ、周辺的な論理学に陥っているわけでもないからである。つまり、言語学や論理学などといったジャンルは、我々は言語なしでは思考も認識も出来ず、結局のところ我々が提唱する真理すらも言語的制約を受けているといった具合で、言語学や論理学に焦点が当たっているのだろうが、しかし、それらは大抵はテクニカルな論議や周辺的な論議にとどまっていて、真理に迫りきれていない、あるいは迫ることを放棄しているようにも感じられる。彼らはそれを明らかにすることで何を明らかにしようとしているのか?ヴィトゲンシュタインの凄まじいところは全てを自分でしようとしたことにあるのだろう。彼は、真理を志向すること、そしてその真理を志向するために限界へと突き進もうとすること、言うなれば、哲学者+論理学者+言語学者の仕事を丸ごと自分でやってしまおうとしているわけであって、分業制度が確立されている現在からすればそれは常軌を逸していると言えることなのかもしれない。前期、中期、後期と変遷していく中で、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」から、『「語りえぬものについては沈黙しなければならない」ということすら語れなくなる』へと彼は変遷していくのである。つまり、この私という場合のこの私とは?といった問いに対して、前期の彼はそれは私にしかわからないと答えたのだろう。後期の彼は、私がそれについて語ろうとすればそれは結局のところ文法規則であり、言語ゲームになってしまうという点において語れはしないのである。永井が伝えたかったエッセンスはこれなのだろう。しかしこのエッセンス自体が本当に重要なのかと言うとそうではない。これだけではエッセンスが抽出されているだけだからである。つまり、ヴィトゲンシュタインが緻密な論理によってこのエッセンスを明証していく様が彼の真骨頂であり、その結果としてこの答えに到達するところが彼の真髄なのだろう。だが、無論これは彼の哲学であり、更に言うなれば永井ヴィトゲンシュタインの哲学なのである。なので、俺は俺の哲学をしようと、まあ、そんな具合である。

Posted byブクログ

2011/07/15

7頁半でダウン。ベッドで寝ながら読もうとして、顔の上に本が落ちたこと数回。でも、小さく軽いので被害なし、よく配慮されている。

Posted byブクログ

2011/11/10

 入門、とありますが必ずしも理解し易い内容ではないという風に思いました。ある程度論理学等の知識があると分かり易くなるのかもですが……自分はやや理解するのが困難に感じました。もう少し具体的な例えがあれば読み手としては読み易かったかもしれません。  あと個人的には、ウィトゲンシュタイ...

 入門、とありますが必ずしも理解し易い内容ではないという風に思いました。ある程度論理学等の知識があると分かり易くなるのかもですが……自分はやや理解するのが困難に感じました。もう少し具体的な例えがあれば読み手としては読み易かったかもしれません。  あと個人的には、ウィトゲンシュタインの『論考』についての入門であるなら、 http://booklog.jp/asin/4480089810 こちらから読んだ方が分かり易いように思いました(あくまで個人的にはですが……)。こちらは『論考』で書かれていることについて、簡単な具体例をいくつも挙げた上で説明をしてくれているので、すんなりと頭の中に入ってくると思います。一応、参考までに。

Posted byブクログ

2011/01/26

「他人は『私が本当に言わんとすること』を理解できてはならない、という点が本質的なのである」("青本") 著者の理解するウィトゲンシュタイン哲学が、今までそれに触れたことがない人にも伝わるように説明されている導入本。

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2010/09/17

 初期のウィトゲンシュタインは、言語は世界の「写像」だと考えたが、後期にはぼくたちはある規則を持った「言語ゲーム」の中に閉じこめられていると考えた。ずいぶん違うわけだ。その過程がわかる。(石原千秋『未来形の読書術』156頁)

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2010/09/10

入門といいながら易しい内容ではありません。前提知識のいらないように書かれているようですが、実際のところは哲学上の語句や論理学上の知識が求められているように思います。 さらに、ウィトゲンシュタインが言うところの”語り得ぬもの”という問題について、かなり踏み込んだところまで解説して...

入門といいながら易しい内容ではありません。前提知識のいらないように書かれているようですが、実際のところは哲学上の語句や論理学上の知識が求められているように思います。 さらに、ウィトゲンシュタインが言うところの”語り得ぬもの”という問題について、かなり踏み込んだところまで解説しているので、かなり入念に読んで考えないとその意味することろが想像しにくいです。前述の知識の問題と相まって、読んでいてなかなかイメージのわかない印象があります。もしかしたら、著者が言うように、”語り得ぬもの”についての問題意識を共有できない人にしかそもそも理解の難しい問題なのかも知れません。 そんなわけで、哲学的な素地も問題意識の共有もできていない私にはちょっと厳しい内容でした。ただ、ウィトゲンシュタインの問題意識を共有することができるなら、これは単にウィトゲンシュタインの思想の紹介にとどまらないで、自ら本当に哲学するための入門書となりうる内容なんじゃないかなあと思います。常に自らの中の問いに向き合い問い続けていくという姿勢自体が哲学であって、応えを見つけることが哲学ではないという著者の主張には大変考えさせられるものがあります。

Posted byブクログ

2010/09/03

2010.9.3 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」というフレーズにびびっときたので読んでみたけど、ほとんど分からなかった。 論理学の素養がある程度ないとダメなのかな。

Posted byブクログ

2014/10/27

[ 内容 ] 世紀末のウィーンに生まれ、20世紀初頭の英国ケンブリッジを舞台に活躍した天才哲学者ウィトゲンシュタイン。 ユダヤ系の鉄鋼財閥の裕福な家庭に育ちながら、その後たどった数奇な生涯と一風変わった人となりによって、彼の思想の全貌はいまも神秘的な色彩を帯びている。 彼が生涯を...

[ 内容 ] 世紀末のウィーンに生まれ、20世紀初頭の英国ケンブリッジを舞台に活躍した天才哲学者ウィトゲンシュタイン。 ユダヤ系の鉄鋼財閥の裕福な家庭に育ちながら、その後たどった数奇な生涯と一風変わった人となりによって、彼の思想の全貌はいまも神秘的な色彩を帯びている。 彼が生涯を賭けて問いつづけた「語りえないもの」とは何か。 初期の写像理論から中期の文法理論、後期の言語ゲーム理論へと展開する独特のアイディアにみちた思想の核心にわけ入り、読者とともに考える、清新な魅力にあふれた入門書。 [ 目次 ] 序章 ウィトゲンシュタインの光と陰 第1章 生い立ち 第2章 像―前期ウィトゲンシュタイン哲学 第3章 復帰 第4章 文法―中期ウィトゲンシュタイン哲学 第5章 言語ゲーム―後期ウィトゲンシュタイン哲学 第6章 最期 終章 語りえぬもの―光と陰、再び [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]

Posted byブクログ

2010/02/06

はじめに 序章 ウィトゲンシュタインの光と陰 第1章 生い立ち 第2章 像―前期ウィトゲンシュタイン哲学 第3章 復帰 第4章 文法―中期ウィトゲンシュタイン哲学 第5章 言語ゲーム―後期ウィトゲンシュタイン哲学 第6章 最期 終章 語りえぬもの―光と陰、再び おわりに 文献案内...

はじめに 序章 ウィトゲンシュタインの光と陰 第1章 生い立ち 第2章 像―前期ウィトゲンシュタイン哲学 第3章 復帰 第4章 文法―中期ウィトゲンシュタイン哲学 第5章 言語ゲーム―後期ウィトゲンシュタイン哲学 第6章 最期 終章 語りえぬもの―光と陰、再び おわりに 文献案内 (目次より)

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