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ウィトゲンシュタイン入門 の商品レビュー

3.7

48件のお客様レビュー

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2014/06/02

前期はともかく、中期および後期のウィトゲンシュタインの思想はかなり錯綜している印象を受けた。 そのことが、ただでさえ深淵な彼の言語観を読者に伝えるという手続きを甚だ難しいものにしているように思う。 しかし、これだけ錯綜した彼の思考過程を一冊の本にまとめ上げた著者の筆力は圧巻。

Posted byブクログ

2014/04/01

うーん、難しい… 語り得ないものについては沈黙しなければいけない。この時の語り得るものと語り得ないものの画定はどこなのか?最後まで明瞭にイメージ出来なかった。また、言語ゲームとは一体なんなのか、亀とアキレスのパラドックスは何を言わんとしているのか、ボヤッと理解したつもりでも、他人...

うーん、難しい… 語り得ないものについては沈黙しなければいけない。この時の語り得るものと語り得ないものの画定はどこなのか?最後まで明瞭にイメージ出来なかった。また、言語ゲームとは一体なんなのか、亀とアキレスのパラドックスは何を言わんとしているのか、ボヤッと理解したつもりでも、他人に説明出来なければ、それはやはり理解したとは言えないのだろう。そういう意味で、ウィトゲンシュタインの哲学はまだ消化されてない。次は鬼界先生の著作に挑戦。少しは予備知識がついたはず。

Posted byブクログ

2013/12/05
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

*前期ウィトゲンシュタイン:論理哲学論考 沈黙すべきものを内側から限界づけ、そのことによってそれに正当な位置を与えるための書物。世界認識のための言語の限界を語る。「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」 経験によって知られるA→Bの関係(因果関係)が成立するとき、外的関係(経験的関係)と言える。しかし、言語と世界との結びつきは、それ以外が考えられないような内的関係(先験的関係)であると言える。この独特な関係は、「論理形式」を共有することで成り立っている 存在論として、事態とは諸対象が特定の仕方で結びついたもので、成立した事態のことを事実と呼ぶ。要素的な事態が複合的に結びつくと、状態になる。世界とは、論理空間の中の事実の全集合を示す。これは、「世界について語りうるためには、このようにできているのでなければならない」という論理から、言語と同じ構造である。論理空間そのものは全く偶然性がないが、どれが現実化するかはすべて偶然である。 あらゆるものを現実に表現し直すとそれは写像になるが、その写像関係それ自体を表現することはできない。命題は像であり、像を構成する諸要素は、それによって写像されるものの持つ諸要素に対応する。命題は対象の名前から成る名辞から成り立つ。命題における名辞の配列の仕方は、事態における対象の配列の仕方に対応する。ここから、世界の構成要素と言語の構成要素は対応していると言える。まとめると、命題は事実がいかにあるかを語り、名辞は命題の中において対象の配列を写しとり、指示する。このようにして、言葉は世界を写像する。 要素命題は要素的事態の成立を主張し、複合命題は複合的な事態=状態の成立を主張する。各要素命題間にはいかなる論理的依存関係もない。命題は現実を写像するために共有しなければならないものを、写像形式と呼ぶ。この外では言語の内に写像されない。したがって、写像形式は写像できない(例:『雨が降った』は雨が降ったことを意味する→循環論法。写像形式は写像不能)。ゆえに、これは語り得ない。 語り得ぬものは2つある。1つは、世界の形式そのものであるがゆえに語り得ない「先験的」なもの(論理)。もう1つが、世界の外にあるがゆえに語り得ない「超越論的」なもの(倫理)。世界の論理形式は変わることはないが、限界が変わることで世界の総体として実態が変わりうる。 独我論として、「言語」という先験的なものと「私」という超越的なものは、「私の言語」という媒体によって統一される。そして、私の言語の限界は私の世界の限界であり、主体は世界に属さず世界の限界となる。他人には他人の世界がある。 *中期ウィトゲンシュタイン 検証方法こそが命題の意味を始めて定める。語られるものは、まず真理(願望、仮説など)への志向があってそれが語られる。 *後期 言語ゲームとは、決して語られることのない、対象化されざる生活形式に基盤を持つ。そこに規則はなく、それを支えるものもない。例えば、実体化された「文法」は幻想である。

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2013/04/24

106ページで挫折。//序文に、「優れた哲学者とは、すでに知られている問題に新しい答えを出した人ではない。これまで誰も、問題があることに気づかなかった領域に、実は問題があることを最初に発見し、最初にそれにこだわり続けた人なのである。」と書かれている。//「論理哲学論考」、「写像」...

106ページで挫折。//序文に、「優れた哲学者とは、すでに知られている問題に新しい答えを出した人ではない。これまで誰も、問題があることに気づかなかった領域に、実は問題があることを最初に発見し、最初にそれにこだわり続けた人なのである。」と書かれている。//「論理哲学論考」、「写像」、「真理関数」等は、私には抽象的な要素からなる命題を関数的に提示されているようで、理解を超える。果たしてそれがウィトゲンシュタインが新しく気づいた領域だとしても、どれだけ意味のあることなのか、分からなかった。

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2013/03/03

ウィトゲンシュタインの哲学について書かれたものだが、題に「入門」とあるものの、難度の高い本。これは、本書の書かれ方によるものではなく、そもそもウィトゲンシュタインの哲学の難度が高いためだと思う。内容について、分かったような気がする部分もあるが、厳密には理解できなかった。理解するた...

ウィトゲンシュタインの哲学について書かれたものだが、題に「入門」とあるものの、難度の高い本。これは、本書の書かれ方によるものではなく、そもそもウィトゲンシュタインの哲学の難度が高いためだと思う。内容について、分かったような気がする部分もあるが、厳密には理解できなかった。理解するためには、本格的に各種文献にあたる必要がある点はわかった。その点については、本書では各種文献が分かりやすく紹介されており、「入門」というにふさわしいと思う。

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2012/10/14

ウィトゲンシュタインの哲学の全体像を、独我論を中心軸として読み解こうとする試み。その点で、ウィトゲンシュタインの哲学を網羅的に紹介しているというわけではないが、『論理哲学論考』から『哲学探求』に至るまでの彼の思考の発展を、統一的視座のもとに描き出しているために、ウィトゲンシュタイ...

ウィトゲンシュタインの哲学の全体像を、独我論を中心軸として読み解こうとする試み。その点で、ウィトゲンシュタインの哲学を網羅的に紹介しているというわけではないが、『論理哲学論考』から『哲学探求』に至るまでの彼の思考の発展を、統一的視座のもとに描き出しているために、ウィトゲンシュタインが何を考えていたのかがよくわかる内容になっている。

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2012/07/05

「語りえぬこと」については、どうすべきなのか。それは……結局読み手が考えないとね、という、いい意味で不親切な本。

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2012/06/23

わたしが本書から感じた「この」感覚は、わたし以外に感じることは出来ない…この本を手にし読んだ方には、わたしが言わんとするところを理解してくれるのではないかと思う。 わたしが幼きころに抱いていた疑問に答えてくれた1冊のような気がする。

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2012/06/22

この本読むの何度目だろ。ふう、やっと近づいてきた。ウィトゲンシュタインって本当にかっこいいです。ドライブかかってきたので、ずっと積んである全集に(今度こそ)とりかかろう。

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2012/04/23

Wittgensteinの入門書といえば本書らしい。 入門書といっても、序論で「問題そのものをわかりやすくしてしまうような入門書なら読まないほうがいいと思っている」と述べているように、行間を考えながら読むと時間がかかる。 本書のように哲学書の入門書は、はじめに原著を読んでその...

Wittgensteinの入門書といえば本書らしい。 入門書といっても、序論で「問題そのものをわかりやすくしてしまうような入門書なら読まないほうがいいと思っている」と述べているように、行間を考えながら読むと時間がかかる。 本書のように哲学書の入門書は、はじめに原著を読んでその後の本書のような入門書を読むとわかりやすいのか、その逆のほうがわかりやすいのか。 私は、数学を学んだ人ならば原著から読んだほうがWittgensteinはわかりやすいのでは無いかと思う。 というのも、Wittgensteinは数学特に集合論や論理学に精通しており、その哲学的な思想も数学を強く意識しているからである。 本書は写像理論への言及があまり多くないことが少し違和感を覚えたが、Wittgensteinの何が問題で、どう考えるか、ということを詳しく説明している。その意味で、例えば、言語ゲームそのものへの説明はあまり多くない。 ということで、本書を最初に読むのではなく、講談社の新書のように比較的軽い解説書(入門書)から写像理論や言語ゲームそのものに関して知識を習得し、本書を読むという方が良いかと思う。

Posted byブクログ