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草原の記 の商品レビュー

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司馬さんは大阪外大の…

司馬さんは大阪外大のモンゴル語学科を卒業してい、かの国や剽悍なその民族にとても思い入れがあります。草原を駈けるモンゴル馬と、歴史を賑わしては消えていった人々の素敵な情景詩です。

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一人のモンゴル女性が…

一人のモンゴル女性がたどった苛烈な体験をとおし、20世紀の激動と遊牧民の歴史を語る

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司馬遼太郎がモンゴル…

司馬遼太郎がモンゴルについて書いた本。街道を行くみたいな感じ。

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2024/02/14

司馬遼太郎いわく、126ページ 日本は1868年の明治維新成立のときは、他国を侵略するような体質要素をもっていなかった。 すべては、朝鮮半島への過剰な日本の妄想からおこったといっていい。 その前の段では、 理屈っぽく言えば、近代日本にとって、満洲は魔の野というべきもので、地理的...

司馬遼太郎いわく、126ページ 日本は1868年の明治維新成立のときは、他国を侵略するような体質要素をもっていなかった。 すべては、朝鮮半島への過剰な日本の妄想からおこったといっていい。 その前の段では、 理屈っぽく言えば、近代日本にとって、満洲は魔の野というべきもので、地理的呼称であるとともに、多分に政治用語であった。 とも書いておられる。 その後のページでは、さらに、 朝鮮が日本の利益線であるという根拠あいまいな数式は日本国民やその政府から生まれてというより、政府や議会から独立した機関である陸軍参謀本部からうまれた。〔略〕日本陸軍は1880年代のドイツの軍制をまねた。この機関は平時にあってたえず戦争計画をたて、有効な情報収集をするというもので、近代日本異常外交のほとんどはこの参謀本部がかかわっていた、 と記されている。 日本異常外交!今にいたる、今なおというか、今も参謀本部や日本会議や新しい教科書を作る会などに連綿と異常ぶりを引き継がれ、国民と関係なく跋扈しているではないか。 と、思いながらも。 モンゴルに純粋に興味を持ち、というかモンゴルもチベット仏教の人々だなとか、ロシア語文字みたいな字を使っているな、とか草原の暮らしと日本の相撲など、さまざまなミスマッチ要素が絡み合う地域として気軽な興味本位で読んだり調べたりすると、必ず日本近現代史のジメジメと暗いところに引っかかってしまう。 とは言え、本書では草原の、蓄財をよしとしない筋肉質なモンゴルがおおらかに描かれており、モンゴルや赤い英雄ウランバートルの街を気体のようだと描いておられて読んでいて知識も得るし気持ちも軽やかになる。 それにしてもブリヤートモンゴル人であり、政治の成り行きで、ロシア満州中華人民共和国そしてモンゴルと国籍が変わる中逞しく自分を貫き生きたツェペクマさんの清々しさと荒々しさよ。人はこのように賢く美しくあるべきと思う、自分の祖国は戦争政治動乱で勝手に変わってしまう、そんなことを歯牙にもかけないというか、そんなことで人の人生も思想も影響されないという反歴史というかなんとも言えないツェペクマさんの生き様に、今のくだらなく矮小な世界を写しそこに住むのは間違いだ、自分の人生は希望だけです、と言い切るツェペクマさんがこの草原の記に遺ることの大切さ。

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2022/12/04

モンゴルとその民族の雄大な歴史を描き出す歴史エッセイ。中世にモンゴル大帝国の基礎を築いたオゴタイハーンと、現代でロシア満州中国という権力に翻弄されたツェベクマさんという一人の女性を対比的に描くことで古代から現代までの遊牧民の来し方在り方をどこか切なくあぶり出す作品

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2022/05/01

この時代のこの地域のことを書いたわかりやすい本もっとないかなぁ。、せっかくなのでもっと掘り下げたい。

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2021/03/16

静かな感動を覚えた1冊。 1人のモンゴル人女性の生き様をとおして、20世紀のモンゴルと歴史が描かれている。 当時の様子、人の生き様が目の前に現れてるいるかのように表現され、圧倒される。 壮絶な生き様なはずなのに何処となく軽やかに感じられるのは、筆者の力か、それともモチーフとなった...

静かな感動を覚えた1冊。 1人のモンゴル人女性の生き様をとおして、20世紀のモンゴルと歴史が描かれている。 当時の様子、人の生き様が目の前に現れてるいるかのように表現され、圧倒される。 壮絶な生き様なはずなのに何処となく軽やかに感じられるのは、筆者の力か、それともモチーフとなった女性のお人柄なのか。 モンゴルに興味がある方はぜひ手に取ってもらいたい。

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2021/02/28

打ちのめされました。短い文庫本。 ほとんど「街道を行く」のスピンオフなのかな、という感じなんですが。 モンゴルの女性の話で、どうやら実在の人物で、司馬さんが数回は会っているヒトのお話し。 戦前戦中戦後にかけて、日本とソ連と共産中国とモンゴルの「政治」に翻弄されて家族と人生をズタ...

打ちのめされました。短い文庫本。 ほとんど「街道を行く」のスピンオフなのかな、という感じなんですが。 モンゴルの女性の話で、どうやら実在の人物で、司馬さんが数回は会っているヒトのお話し。 戦前戦中戦後にかけて、日本とソ連と共産中国とモンゴルの「政治」に翻弄されて家族と人生をズタズタにされた女性の人生。 それを、アンコから入らずに、その人の存在感から語り起こしていく書き方は、舌を巻く小説家の技法だと思いました。ノンフィクションなんだろうけど。 これはまさしく、小説というか文章でしか伝えられない後味。 荒野の中の人間の滋味。政治と個人。 脱帽。

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2018/07/29

モンゴル旅行の予定があったので一読。 【ザッと内容】 司馬遼太郎自身のモンゴル渡航記×オゴタイ・ハーン(チンギスハーンの後継者)の歴史とその背景×数奇な人生を辿ったモンゴル人ツェベクマさんの回想、この3つが折り重なった一冊。小説ではないし、歴史書ではないし、渡航記というわけでも...

モンゴル旅行の予定があったので一読。 【ザッと内容】 司馬遼太郎自身のモンゴル渡航記×オゴタイ・ハーン(チンギスハーンの後継者)の歴史とその背景×数奇な人生を辿ったモンゴル人ツェベクマさんの回想、この3つが折り重なった一冊。小説ではないし、歴史書ではないし、渡航記というわけでもない。文中で司馬遼太郎自身が我ながらただただ書き綴っていると表現している。 【こんな人にオススメ】 ・これからモンゴル行く人 ・モンゴルの文化や歴史について興味のある人 【感想】 司馬遼太郎がほんとにただただ書き連ねたような一冊。この一冊を読めばなんとなくモンゴルという国の概要を掴むことはできよう。特に印象的だったのがモンゴル人らしいとされているオゴタイハーンの思想。とにかく遊牧的で、「財宝や金銭は全て過ぎいく。永遠なものは何か?人間の記憶である」と考える。どうやらこの考え方を大国の王が本気で実践していたらしい。衝撃的であった。 モンゴルという国自体が近代化しきれない根っこにはこの考え方があるようである。現代のモンゴルでは環境汚染も問題になっているが、技術がないというのも大きな理由の一つであるし、この小説を読むと納得感が増す。 ぜひモンゴルに行く前に一読いただきたい。 モンゴルの史実が文の多くを占めているのが少し残念で、司馬遼太郎の感じたものやツェベクマさんのストーリーの内容がもっとあったらよかった。一気読み的な類のものではなく、読み物。

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2016/10/07

著者が大阪外国語大学の蒙古語学部出身というのは有名な話だが、本書は1992年刊行だから著者にとって最晩年の作品と言える。司馬さんはなぜ、数々の日本の歴史小説を書き終えた末に、遊牧民の文化を切り取る紀行文に取り掛かったのか……? その意図を正確に知ることはできないが、刊行された90...

著者が大阪外国語大学の蒙古語学部出身というのは有名な話だが、本書は1992年刊行だから著者にとって最晩年の作品と言える。司馬さんはなぜ、数々の日本の歴史小説を書き終えた末に、遊牧民の文化を切り取る紀行文に取り掛かったのか……? その意図を正確に知ることはできないが、刊行された90年代初頭はちょうど世界中で社会主義政権が求心力を失い、西側のライフスタイルが世界中に広がっていこうとしていた時代。そこで司馬さんは、そこから失われていくであろう「人間の美徳」を、かつて猛威をふるいながらも時代に消えていった遊牧民の歴史を振り返ることで、私たちに示したかったのではないか。 寡欲であること、モノに執着しすぎないこと、自分が生活するために必要な物事を知っている、足るを知ること。ひとときメディアをにぎわせた「ミニマリズム」とは決して「文明の到達点」などではなくて、太古の草原に既に存在していたということを。 草原に暮らす民に無意識に宿る生活哲学、そして生きるために発達した強じんな身体性は、世界で他に類を見ないような独特の文化に昇華されているようにも見える。そんな彼らを隅へと追いやる私たちの文明を、いったい歴史はどう評価するのだろうか。 「チンギス・ハーンの後継者にオゴタイがなった。オゴタイは「財宝がなんであろう。金銭がなんでえあろう。この世にあるものはすべて過ぎゆく」と、韻を踏んでいった。この世はすべて空(くう)だという。 この当時、モンゴルにはまだ仏教が入っていなかったから、この言葉はモンゴルにおける固有思想から出ているといっていい。この草原には、古代以来、透明な厭世思想がある。 オゴタイは続ける。「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である。栄華も財宝も城郭もすべてはまぼろしである。重要なのは記憶である」。オゴタイにすれば、自分がどんな人間であったかを後世に記憶させたい。それだけだという。 オゴタイ・ハーンほど、モンゴル的な人物はすくなかった。かれの寡欲に至っては、平均的モンゴル人の肖像を見るようである。むろん、寡欲はどの民族にとっても美徳である。しかしながら、世界史の近代は物欲の肯定から出発したため、やがてモンゴル近代史にとって、この美質は負に働いてゆく。 つまり、物欲がすくないために家内工業もおこらず、資本の蓄積も行われない。結局はそれらを基盤とした「近代」がこの草原には生まれにくかった」

Posted byブクログ