草原の記 の商品レビュー
著者が大阪外国語大学の蒙古語学部出身というのは有名な話だが、本書は1992年刊行だから著者にとって最晩年の作品と言える。司馬さんはなぜ、数々の日本の歴史小説を書き終えた末に、遊牧民の文化を切り取る紀行文に取り掛かったのか……? その意図を正確に知ることはできないが、刊行された90...
著者が大阪外国語大学の蒙古語学部出身というのは有名な話だが、本書は1992年刊行だから著者にとって最晩年の作品と言える。司馬さんはなぜ、数々の日本の歴史小説を書き終えた末に、遊牧民の文化を切り取る紀行文に取り掛かったのか……? その意図を正確に知ることはできないが、刊行された90年代初頭はちょうど世界中で社会主義政権が求心力を失い、西側のライフスタイルが世界中に広がっていこうとしていた時代。そこで司馬さんは、そこから失われていくであろう「人間の美徳」を、かつて猛威をふるいながらも時代に消えていった遊牧民の歴史を振り返ることで、私たちに示したかったのではないか。 寡欲であること、モノに執着しすぎないこと、自分が生活するために必要な物事を知っている、足るを知ること。ひとときメディアをにぎわせた「ミニマリズム」とは決して「文明の到達点」などではなくて、太古の草原に既に存在していたということを。 草原に暮らす民に無意識に宿る生活哲学、そして生きるために発達した強じんな身体性は、世界で他に類を見ないような独特の文化に昇華されているようにも見える。そんな彼らを隅へと追いやる私たちの文明を、いったい歴史はどう評価するのだろうか。 「チンギス・ハーンの後継者にオゴタイがなった。オゴタイは「財宝がなんであろう。金銭がなんでえあろう。この世にあるものはすべて過ぎゆく」と、韻を踏んでいった。この世はすべて空(くう)だという。 この当時、モンゴルにはまだ仏教が入っていなかったから、この言葉はモンゴルにおける固有思想から出ているといっていい。この草原には、古代以来、透明な厭世思想がある。 オゴタイは続ける。「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である。栄華も財宝も城郭もすべてはまぼろしである。重要なのは記憶である」。オゴタイにすれば、自分がどんな人間であったかを後世に記憶させたい。それだけだという。 オゴタイ・ハーンほど、モンゴル的な人物はすくなかった。かれの寡欲に至っては、平均的モンゴル人の肖像を見るようである。むろん、寡欲はどの民族にとっても美徳である。しかしながら、世界史の近代は物欲の肯定から出発したため、やがてモンゴル近代史にとって、この美質は負に働いてゆく。 つまり、物欲がすくないために家内工業もおこらず、資本の蓄積も行われない。結局はそれらを基盤とした「近代」がこの草原には生まれにくかった」
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かっこよすぎます。 透明感。開放感。自在にいろんな時代や場所を行ったり来たりする感じ。 そうしたあとに、最後にいろんなことが集約します。 美しいですね!
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- ネタバレ
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モンゴルの歴史と民族性、そして激動の二次大戦下を生きた一人のモンゴル女性を丁寧に語る。 内容的には街道をゆくのモンゴル回の補足・発展でよくまとまっている良書。 個人的に司馬遼太郎の紀行文、評論は海外についてのものが分かりやすく、興味も引かれやすいと思う。 以下内容についての感想。 生きることは移動すること。最低限の荷物だけで家畜とともに生きていくこと。なんと清々しい過不足のない生き方だろうか。 もっと縛られずに生きたい。自信を持って大地に立っていたい。そう思わずにいられない。 せめてこの日本の世間という狭い世界で生きている人の中で萎縮しない。いつだって堂々としている。そこから始めないといけない。 「私のは、希望だけの人生です」ツェベクマさんの言葉。忘れないでいたい。
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司馬遼太郎は、1923年生(大正12年)まれ。 大阪外大のモンゴル語科。 モンゴルには、思い入れがある。 匈奴と言われる遊牧騎馬民族がいた。 モンゴル語で、人とは、フンという。それから、フン族となった。 モンゴルは、空と草しかない。 草は、土に根を張り、土を守る。 耕せば、それ...
司馬遼太郎は、1923年生(大正12年)まれ。 大阪外大のモンゴル語科。 モンゴルには、思い入れがある。 匈奴と言われる遊牧騎馬民族がいた。 モンゴル語で、人とは、フンという。それから、フン族となった。 モンゴルは、空と草しかない。 草は、土に根を張り、土を守る。 耕せば、それは、土がむきだしとなり、きびしい太陽に照らされて、 砂として、舞い上がる。そして、岩盤が出てくる。 匈奴は、草を守り、漢民族は、耕す。 会いいれぬ世界観があった。 オゴタイハーンは、いう。 『財宝がなんであろう。金銭がなんであるか。この世にあるものはすべてすぎてゆく』 『永遠なるものとは、それは人間の記憶である。』 『あなたには、物の真贋を見分けるというものがありませんな。』 『ではなぜあなたは財産を蓄えているのです。 人間はよく生き、よく死なねばならぬ。 それだけが肝要で、他は何の価値もない。 あなたは、財産が人間を『死』から守ってくれるとお思いになっているのか』 モンゴル ウランバートルのホテルで渉外係をしていた ツェベクマさんの数奇な運命。 ソビエトで生まれ、満州で育ち、 日本が敗戦することで、中国人となり、 学校の教師となり、ブルンサインと巡り会う。 日本語を話せるが故に 文革の迫害を受け、 ブルンサインは 監獄に。 そして、最後のブルンサインの死ぬ時に ツェベクマさんと娘のイミナとあう。 草原は すべてを 空とする。 悲劇も 草原と空は 飲み込んで こつ然と消える。
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梅棹忠夫の本を読んでも思ったし, 江上波夫の本を読んでも思ったが, これを読んでも, やっぱりモンゴル行ってみたいなぁ, と思ってしまった.
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『ロシアについて』を読み終えた後だからというのもあるが 一言で言うと面白かった。 モンゴル。司馬氏のあこがれの遊牧民の活躍の場だ。 匈奴やフン人。自ら歴史を残さなかった(書物をもたない)民族。すごくロマンを感じる。 話は飛ぶが、オゴタイ・ハーンはかっこいい。
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司馬遼太郎の紀行文風随想。 1990年代、モンゴルを訪れた司馬は、かつて草原の覇者であったモンゴル人に思いを馳せる。 ロシアと中国の間にある草原の道は、有史前から様々な部族のが攻防を繰り返す舞台となった。匈奴・突厥・スキタイ・フン族など、農耕文明はこれら遊牧民の侵入に度々悩まさ...
司馬遼太郎の紀行文風随想。 1990年代、モンゴルを訪れた司馬は、かつて草原の覇者であったモンゴル人に思いを馳せる。 ロシアと中国の間にある草原の道は、有史前から様々な部族のが攻防を繰り返す舞台となった。匈奴・突厥・スキタイ・フン族など、農耕文明はこれら遊牧民の侵入に度々悩まされてきた。 西の巨大帝国ローマや、東の帝国漢もその例外ではなかった。 遊牧民というのは、幼少期から騎乗に親しめむ。 日常的に野生動物を追って狩りをするのは、騎射のいい練習となった。 こういう民族が、家も食料も家族も連れて、農耕民が住む国に大挙押し寄せる。 国が移動してきたようなものだ。 しかも大半の男は騎射の戦闘訓練を毎日のようにやっている歴戦の強者たち。 これではいかに高度な文明をもっている帝国であっても簡単に撃退はできない。 強力な火器や統率された軍隊が登場するまでは、遊牧民こそが世界の最強軍団であった。 今でも残る、遊牧民の軍事における遺産は「軍服」らしい。 ヨーロッパの各国がハンガリー騎兵の民族服から採用したらしい。 日本は明治になってヨーロッパ式の軍隊を取り入れるわけであるから、当然これに習った。 本書を読むまで知らなかったのだが、ハンガリーというのは遊牧民であったらしい。 中国人はハンガリーを「匈牙利」と書く。 匈奴の一部と見なしていたのかもしれないと本書ではこの件に触れている。 また、チンギスハンの子供でモンゴル帝国の二代目である、オゴタイハーンのエピソードは非常に面白かった。 すべての民族に平等で個人的には無欲であった彼を、司馬は「透明な厭世思想があった」と評した。 それは彼の数少ない記録の中にあった次の言葉からふくらんだイメージかもしれない。 「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である」 文字を持たなかったモンゴル人にとって、記憶の継承が如何に重要であったかを物語るエピソードでもあると思った。 雄大な草原に生きるたくましい人々の息吹が感じられる、素晴らしい一冊でした。 読了感もよく、モンゴルへの興味がかき立てられる一冊です。
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モンゴル大好き司馬サンのモンゴル訪問記。たまたま紹介されたガイド兼通訳「ツェベクマさん」の人生を通してモンゴルの歴史に思いを馳せる。寡欲な民族は近代の始まりとともに大国の大欲によって過酷な運命を辿る。それでも草原で寡欲に暮らす。変わらぬ人間の営み。
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時々、ついばむように読んでいた「草原の記」をようやく読了。 モンゴルの歴史を、恐らく司馬さんが恋心をよせたであろうブリヤート人の「ツェベクマさん」の生涯になぞらえ、淡々と書きよせています。 しかし、いつも思いますが。「司馬遼太郎」と言う人はどれほどすごいのか?歴史文学者と...
時々、ついばむように読んでいた「草原の記」をようやく読了。 モンゴルの歴史を、恐らく司馬さんが恋心をよせたであろうブリヤート人の「ツェベクマさん」の生涯になぞらえ、淡々と書きよせています。 しかし、いつも思いますが。「司馬遼太郎」と言う人はどれほどすごいのか?歴史文学者としての司馬さんの大きさを改めて感じます。 私もそうですが、日本の歴史は学校ではなく、司馬さんの小説から学んだ人、少なくないのでは?
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「雲の影が草原に映る」という下りがあった。 確かにgoogleマップで見ると映ってる! 実際に立ってみると開放感抜群でしょうね。
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