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イェルサレムのアイヒマン の商品レビュー

4.4

25件のお客様レビュー

  1. 5つ

    12

  2. 4つ

    7

  3. 3つ

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2017/06/13

 本書は久しく読みたかった本だが、『責任と判断』というアーレントの文集をハードカバーで買ったところいきなりちくま学芸文庫で刊行されて多大なショックを受け、この本もまた文庫化されるのでは?と猜疑心に悩まされ、様子を見ていたのである。  やっと買った。  ナチス・ドイツの敗戦後、アイ...

 本書は久しく読みたかった本だが、『責任と判断』というアーレントの文集をハードカバーで買ったところいきなりちくま学芸文庫で刊行されて多大なショックを受け、この本もまた文庫化されるのでは?と猜疑心に悩まされ、様子を見ていたのである。  やっと買った。  ナチス・ドイツの敗戦後、アイヒマンは南米に逃れ身を潜めていたが、イスラエルの手の者に捕らえられ、エルサレムで裁判を受けることとなる。 在米のアーレントは『ニューヨーカー』から派遣されてこの裁判を取材しに行ったのだ。  アイヒマンはユダヤ人を大量にゲットーやら「絶滅所」に送り込んだ罪を問われるのだが、どうやら小心者の「凡庸な」人物であるようで、実際にユダヤ人が虐殺された場面を目撃するとかなり狼狽してしまうような男だ。  アーレントの言うこの「陳腐な悪」は、官僚制に組み込まれた「普通人」が、ミルグラムの実験で見られるようにしばしば「悪」の方におおきく踏み込んでしまうというようなことだろう。  判断は上層のだれかがくだしており、自分はそれに「従わざるをえない」ということになる。しかしするどく、アーレントはアイヒマンが「回避することは可能だった」ことを指摘している。  この官僚制がもたらす「悪」は、日本社会には実になじみ深いものであり、一般企業も官僚制システムで動いているこの国では、誰もがアイヒマンのようなものなのだ。  アーレントは自身ユダヤ人だが、あまたの資料を読んでみごとに「ユダヤ」を対象化しえた彼女は、本書でユダヤ人たちの側の「ただしいとは言い切れない行動」も客観的に描写したため、論争が起こったらしい。

Posted byブクログ

2023/01/07

なんだか気になる政治哲学者(?)ハンナ・アーレント。 今、その哲学的な主著(!)の「活動的生」(「人間の条件」のドイツ語版からの翻訳)にチャレンジ中なのだが、半分くらいまで読んだところで、話しが分からなくなってきて、小休止。 で、かわりに昔から気になっていた「イェルサレムのア...

なんだか気になる政治哲学者(?)ハンナ・アーレント。 今、その哲学的な主著(!)の「活動的生」(「人間の条件」のドイツ語版からの翻訳)にチャレンジ中なのだが、半分くらいまで読んだところで、話しが分からなくなってきて、小休止。 で、かわりに昔から気になっていた「イェルサレムのアイヒマン」をとりあえず、読み始め、こちらは無事読了。 アーレント独特の皮肉なというか、反語的な表現はあるものの、基本的には「ニューヨーカー」という雑誌にのったルポ記事なので、アーレントのなかでは読みやすいほうかな?(文章が2段組みになっていて、活字が小さくて読みにくいというのはあるが) 内容としては、ナチスの戦犯のアイヒマンの裁判傍聴記録みたいなもので、どんな極悪人かと思っていたら、ごく普通の人だった。人間って、命令されると普通の人でも、こんな残酷なことをするのか〜という驚き、そしてそうした「悪の陳腐さ」をどう法的に倫理的に考えるべきなのかという本。 アーレントの入門書を読んだり、映画の「ハンナ・アーレント」を観たりして、なんとなく知っている気になっていたが、読んでみると、かなり印象が変ったし、知らないことがたくさんあって驚いた。 つらつら書くとかなりの分量になるので、個人的にまったく知らなかったことだけ紹介する。 アイヒマンは、ナチスに入党し、ユダヤ人問題の担当になるのだが、最初にシオニズムの本を読んで感動したらしい!!!で、ユダヤ人が自分たちの国を作るということはよいことだと思い、ユダヤ人の国外移住に協力するというところから、仕事を始めたらしい!!! これは偽善でも、言い訳でもなく、ナチスの最初のスタンスはまさにそういう感じで、ユダヤ人の国外移住が進むのは、お互いにとっていいことだという理解となっていて、シオニズム側も他の国よりもドイツに共感的であった、らしい!!! そういうスタートなので、アイヒマンは、最初、良いことをしているという感じで、ユダヤ人問題にかかわり始めていて、ユダヤ人のリーダー層とも個人的な信頼関係があったらしい。 が、ナチスの反ユダヤ政策が強まって行くなかで、だんだん自分の理想とは違うことに気付いたが、それが国の方針だから、国の法律だから、というわけで、仕事としてやるべきことをやった。。。。みたいな話し。 理想からスタートしつつ、当時の法律に従っているうちに、組織内での出世に頑張っているうちに、前例のない悪に加担してしまった普通の人。 アイヒマンは戦後アルゼンチンで逃亡生活を送っていたが、1960年にイスラエルのモサドが逮捕して、イスラエルに連行する。そして、イスラエルで裁判が行われ、アイヒマンは2年後に死刑となる。 このプロセス自体が、国際法的にどうなのか?イスラエルに裁く権利はあるのか?法的に、倫理的に正義といえるのか?みたいな話し。 さらには、ヨーロッパでユダヤ人の虐殺には、ユダヤ人のコミュニティのリーダーも関与していたという記述もあり、そりゃあ、そんなことを言ったら、大騒ぎになるでしょうな話しです。 しかも、アーレントもドイツ系のユダヤ人で、一時、収容されたこともあり、なんだかラッキーで旅券なしで、アメリカに亡命した人。 自分は、亡命しておいて、残った人のことについて、なんか言う権利あるわけ?なバッシングをうける。 そういう状況のなかで、この議論の冷静さはすごい。 読まずに分かった気になってはいけない。 アーレントが生涯をかけて戦っていたこと、つまり全体主義を繰り返さないということ(それは、ナチスに限定されるものでなく、人間の思考のなかに存在するもの)が、具体的なケースとして、ここに明らかになっている気がした。 内容的には重くて気がめいるし、値段も高いし、字も小さいけど、必読の書です。

Posted byブクログ

2017/01/09
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600万人が犠牲になったと言われるナチスユダヤ人虐殺の責任を問われた、輸送部隊の責任者アイヒマン。 アルゼンチンに亡命したところをイスラエルのモサドに誘拐され裁かれた裁判の様子を哲学者のアーレントが考察した一冊。 アイヒマンが、例えば検事が裁判において主張したような獣、つまり絶対的な悪の素質を備えた個人ではなく、ただ卑怯なありふれた一人の小市民であった様子を提起した。 (アーレントはアイヒマンを決して擁護しているわけではないが、同時に、この裁判が「勝利の裁判」であった側面も描かれている。) 正直、わたしも同じ状況に置かれたか何をするのかわからないなあと思った。自分に言い訳なんていくらでもできてしまうもの。アイヒマンが、家族にとっては良い夫で父親だっ た傍らでユダヤ人を収容所に送り続けたのと同じように。 昨日テレビで吉永春子さんの「魔の731部隊」が追悼放送されていたけど、彼らの返答はアイヒマンの証言にどこか通ずるものがあるな…なんて思ってしまった。 ホロコーストを扱うなら、「夜と霧」と同様読んでおくべき一冊。 「政治においては服従と支持は同じものなのだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他のいくつかの国の国民達とともにこの地球上に生きる事を拒む —あたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住んでは成らないかを決定する権利を持っているかのように— 政治を君が支持し決定したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何ものからも、君とともにこの地球上に生きたいと願う事は期待し得ないとわれわれは思う。これが君が絞首されなければならぬ理由、しかもその唯一の理由である。」

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2016/10/28
  • ネタバレ

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特集展示作成のため流し読みにて。 (あとがき より) 私が悪の陳腐さについて語るのはもっぱら厳密な事実の面において、裁判中誰も目をそむけることのできなかった或る不思議な事実に触れているときである。アイヒマンはイヤゴーでもマクベスでもなかった。しかも<悪人になって見せよう>というリチャード三世の決心ほど彼に無縁なものはなかったろう。自分の昇進には恐ろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。そうしてこの熱心さはそれ自体としては決して犯罪的なものではなかった。勿論彼は自分がその後釜になるために上役を暗殺することなどは決してしなかったろう。俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。…彼は愚かではなかった。完全な無思想性―これは愚かさとは決して同じではない―、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。

Posted byブクログ

2016/10/22
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今の世でもひとはアイヒマンになってしまう可能性はあると思う。民族の殲滅に加担することはないだろうが、自分が属する組織を守るためにねつ造や偽装を繰り返し、人の命や財産を毀損させることが一向に後を絶たない現実を見ても、そのことを実証しているだろう。女史は「上からの命令」という事実は、人間の良心の正常な働きをいちじるしく阻害するということを認めるほかないというのが真相なのである、と語っています。人間はどのようにも変わるし、また変えられてしまう恐ろしさを抱えているのだと感じました。

Posted byブクログ

2016/04/05

この種の犯罪は犯罪的な法律のもとに犯罪的な国家によって行われたのであり、そしてこれ以外行われ得なかったという問題。(本質的な悪とはあり得るのか?) 領土とは一定の土地というよりも、一つの集団に属する個々人の間の空間。そしてそれらの個人相互は、共通の言語、宗教、歴史、慣習、法律に...

この種の犯罪は犯罪的な法律のもとに犯罪的な国家によって行われたのであり、そしてこれ以外行われ得なかったという問題。(本質的な悪とはあり得るのか?) 領土とは一定の土地というよりも、一つの集団に属する個々人の間の空間。そしてそれらの個人相互は、共通の言語、宗教、歴史、慣習、法律に基づく各種の関係によって結ばれていると同時に隔たれて、守られている。一つの集団に属する各個人がその中で互いに関係を結び交渉を持つ空間をそれらの関係自体が作り出す時には、それらの関係は空間的にも明確な形をとる。ユダヤ民族がその幾世紀にもわたる離散の歳月を通して、つまり彼らの古い国土を我がものとする以前から、彼ら自身の固有の羌族空間(in-between space)を生み出し、維持してこなかったとすれば、イスラエルなどは決して存在しなかっただろう。 どこの法律で裁くか?国際法?イスラエル法?イスラエルはイスラエル建国以前にはアインヒマンを裁く法や権威を持っていなかったのに。。犯罪が起こった後に出来上がった法律。そしてアインヒマンが事実上無国籍であったからこそ「解決」がなされた。 追放とジェノサイドは二つとも国際的罪ではあるが、区別されなければならない。前者が隣国の国民に対する罪であるのに対して、後者は人類の多様性、すなわちそれなしには<人類>もしくは<人間性>という言葉そのものが意味を失うような<人間の特徴の地位>に関する攻撃。 人種差別ー追放ージェノサイド、の間に明確な区別が必要。 イスラエルにとってこの裁判の持つ特徴は、ここにおいて初めてユダヤ人は自分の民族に対して行われる罪を裁くことができるようになったということ、ここにはじめてユダヤ人は保護や裁きを他者に求めたり、人権などというあてにならない美辞麗句に頼ったりしなくて済むようになった。 例えばイギリス人は自分がイギリス人だとしてその権利を守り、その法律を押し通すが、それだけの力のない民族のみがこの人権なるものを盾にとるのだ、ということをユダヤ人以上によく知っているものはいなかった。 ジェノサイドの特質は全く別の秩序を破壊し、全く別の共同社会を侵害することにある。 hostis generis humani : 新しい形の犯罪。事実上、悪いことをしていると知る、もしくは感じることをほとんど不可能とするような状況のもとで、その罪を犯していることを意味している。 アインヒマン裁判の最大の問題点:悪を行う意図が犯罪の遂行には必要であるという近代の法体系に共通する仮説。(悪意というものは実在するのか?) ほとんどすべての人間が有罪である時に有罪なものは一人もいない。 どんな内外の事情に促されて君が犯罪者になってしまったとしても、君がしたことの現実性と他の人々がしたかもしれぬことの潜在性とのあいだには決定的な相違がある。内的動機や周囲ではなく、君がしたことに興味がある。

Posted byブクログ

2015/03/08

「悪の陳腐さについての報告」と副題が付いているが、著者自身がユダヤ人であるにもかかわらず、些かの感傷的態度もなく、アイヒマン裁判の一部始終を極めて冷徹に「報告」した著作である。 それにしても、ショアーという前代未聞の組織的犯罪が、どうして出来したのかという些細な素朴な疑問がいつま...

「悪の陳腐さについての報告」と副題が付いているが、著者自身がユダヤ人であるにもかかわらず、些かの感傷的態度もなく、アイヒマン裁判の一部始終を極めて冷徹に「報告」した著作である。 それにしても、ショアーという前代未聞の組織的犯罪が、どうして出来したのかという些細な素朴な疑問がいつまでも頭から離れない。その背景には、特にヨーロッパにおいて長きにわたる反ユダヤ人主義があったということは想像に難くない。 それにしても、なぜ?という疑問は消えない。どうして、人間が人間をかくも組織的に抹殺していくことができたのかという疑問が残るのである。 著者は、その組織的犯罪の素因として、「無思想性」を挙げている。わかりやすいプロパガンダに流されず、自らの思想を鍛え上げることが必要だ。 ナチスドイツによるショアーの悲劇は、これからも形を変えて出現してくる可能性がある。そんな徴候を見逃さない人間でありたい。

Posted byブクログ

2014/03/29

二千年余り国を失つた放浪の時を経て、漸くユダヤによる「国民国家」となる「約束の地」へ「帰還」したイスラエルが、ナツィの元SS中佐であり、RSHA(Reichssicherheitshauptamt=国家公安本部)ⅣB4課長であつたオットー・アードルフ・アイヒマンを然るべき組織の手...

二千年余り国を失つた放浪の時を経て、漸くユダヤによる「国民国家」となる「約束の地」へ「帰還」したイスラエルが、ナツィの元SS中佐であり、RSHA(Reichssicherheitshauptamt=国家公安本部)ⅣB4課長であつたオットー・アードルフ・アイヒマンを然るべき組織の手で、逃亡先の主権国家であるアルゼンチンに於て逮捕・連行し、イェルサレム地方裁判所で十五項からなる起訴理由を以て裁判した、その一部始終の記録と処刑までの報告をしてゐるのが、この本のすべてです。あくまでも報告であつて、それ以上でも以下でもありません。 然れども、その報告内容には、「移住計画」から「最終的解決」へ至るまでの不都合な事実(「ユーデンラート」の存在と遣方)や、ナツィの其れ以前の「ポグローム」までにも著されてをり、「国家」に依る「悪」といふ紋切型の「イメージ」を固定乃至観念化してしまつた「視聴者」からすれば、それはそれは認むべからざる由々しき事態ぢやつたやうです。 もうかうなると冷静且客観的な思考は停止し、著者への罵詈雑言で鬱憤を晴らし、自らの無思慮乃至無見識は、贖罪羔(スケープ・ゴート)へと転換させ、己を誤魔化し現実逃避するのですね。 かういふ一面的で分別の能はぬ頑な人は、いつの世の中にもをられますね。 まさに「ポンテオ・ピラト」の前に群がる衆愚の姿そのものでもあり、さういふヒトビトの中にこそ、この本の副題である悪の陳腐さが見え隠れするを覚えます。 人が人を審くとは何なのか。法とは何か。罪とは何か。悪とは何か。国家・組織とは何か。個人とは何か。責任とは何か。 とまれ何れにあつても、この本では徹頭徹尾に客観的であり、何某から誹謗中傷されやうとも、一切阿る事なく在るが儘を著し尽しています。筆者による「あとがき」は清々しくもあり圧巻。 拡く深く思考させられ、度々唸るくらゐ途轍もなき本です。

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2013/09/13

「罪」というものの二つの次元、人類誰でもが犯しうる―とくに近代の官僚制的システムでは―次元と、実際にそれをやってしまった次元をごっちゃにせず、どちらか一方になることもせず裁くことの難しさが書かれています。 それにしても、アイヒマンが他人とは思えません。怖い。

Posted byブクログ

2013/03/02

 読むのに時間がかかりましたが、それだけの値打ちがありました。「机上の虐殺者」と言われているので、どんな人かと思ったら普通の人でした。職務に忠実な官僚、と言った感じです。  イスラエルは判決確定後、あっと言う間に執行してしまいました。もっとこのような状況に至った経緯を、本人に語ら...

 読むのに時間がかかりましたが、それだけの値打ちがありました。「机上の虐殺者」と言われているので、どんな人かと思ったら普通の人でした。職務に忠実な官僚、と言った感じです。  イスラエルは判決確定後、あっと言う間に執行してしまいました。もっとこのような状況に至った経緯を、本人に語らせるべきではなかったのか、と思いました。

Posted byブクログ