ペドロ・パラモ の商品レビュー
1955年発表。メキシコの小説家、フアン・ルルフォ著。父ペドロ・パラモを探しに母の故郷コマラを訪れた主人公は、死者達のささめきに呑まれていく。七十の断片で構成され、時系列が激しく前後し、死者の会話が入り乱れる。 不思議な小説だった。まずストーリーは、はっきり言って一回読んだだ...
1955年発表。メキシコの小説家、フアン・ルルフォ著。父ペドロ・パラモを探しに母の故郷コマラを訪れた主人公は、死者達のささめきに呑まれていく。七十の断片で構成され、時系列が激しく前後し、死者の会話が入り乱れる。 不思議な小説だった。まずストーリーは、はっきり言って一回読んだだけではよく分からない。解説と照らし合わせながらもう一度読み返してみると大体の内容は掴める。しかしむしろ、この小説はストーリーではない部分に核がある気がする。淡々とした断片の配置が生み出す浮遊感、まるで当然のことのように交わされる死者との会話、簡潔で不可思議な詩的表現などから醸される雰囲気。円環的なストーリーのせいでもあるのだろう。たどたどしくて不安定というか、切ないというより寂しげというか、まさに幽霊的な感じがする。 ラテンアメリカの小説・架空の町という設定・前衛的手法という点でガルシア=マルケスの「百年の孤独」と比較されることもあるようだが、コマラが死者の町ということだけあって、「ペドロ・パラモ」はだいぶ静的で淡々としている印象受ける。
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断片的に語られている物語。この節では誰が主人公なのか、いつのことを話してるのか、私には難しくて捉えられず、物語では読まないと決めていた解説を読むハメに。こういう書き方をするのはわかりづらいな、とは思ったけど「コンパクトなテキストのなかに膨大な時間と空間を閉じ込める方法」としては納...
断片的に語られている物語。この節では誰が主人公なのか、いつのことを話してるのか、私には難しくて捉えられず、物語では読まないと決めていた解説を読むハメに。こういう書き方をするのはわかりづらいな、とは思ったけど「コンパクトなテキストのなかに膨大な時間と空間を閉じ込める方法」としては納得がいった。もう少し経ってから、また読んで見たい作品
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死者が埋葬され土と石に帰るのなら、私たちは堆積した死者の上に生きているのではないか。彼らの記憶も積み重なり、それは時間の進行という枠組みを超えて断片的に交差する。本書が南米文学の起源であると同時に到達点だと言えるのは、決して循環する構造が故だけではない。土地と血縁、そして革命と血...
死者が埋葬され土と石に帰るのなら、私たちは堆積した死者の上に生きているのではないか。彼らの記憶も積み重なり、それは時間の進行という枠組みを超えて断片的に交差する。本書が南米文学の起源であると同時に到達点だと言えるのは、決して循環する構造が故だけではない。土地と血縁、そして革命と血生臭いモチーフが用いられているのにも関わらず、それらが全て断片的な構成として提示されるからこそ幻想的な魅力を帯びてくる。死者の記憶に耳を傾け続けることが生者の努めだとするならば、本書はまるでレクイエムそのものなのだと言えるだろう。 (2013/10/08追記) 再読。積み重なる死者の記憶が印象的な故に初読時はレクイエムの様だと感じたが、実際に死の瞬間というのは驚くほど描かれない。「気分じゃないよ、アナ。人間が悪いんだ」言葉は簡潔かつ明瞭なのに、時にドスを効かせて読者を刺しにかかっている。荒地の寂寥感に潜んでいたのは、生きる事にも死ぬ事にも興味はないとでも言いたげな虚無感であった、死者が集う街・コマラは地獄の釜から浮かび上がる蜃気楼か、それとも登る事の叶わぬ煉獄の丘か―否、どうでもよいのだ、そんなことは。最も緻密に作り上げられた、生きることそのものに対する暴力。
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散文的で登場人物の名前が覚えにくい。 読み終わって、構成うんぬんな作品というより、読了感や余韻を楽しむ方が正しい気がした。 マジックリアリズム特有の死者と交わりなど当時読んだらもっと衝撃的だったと思う。時間が経った時もう一度読み直す作品。
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メキシコの作家、フアン・ルルフォの作品です。ラテンアメリカ文学の先駆けと評価されています。 ラテンアメリカ文学の物語世界は現実・非現実や、過去・現在・未来の非境界性に特徴があるのですが、この作品では生・死すら区別が曖昧になっています。200ページくらいなのでご一読あれ。 「...
メキシコの作家、フアン・ルルフォの作品です。ラテンアメリカ文学の先駆けと評価されています。 ラテンアメリカ文学の物語世界は現実・非現実や、過去・現在・未来の非境界性に特徴があるのですが、この作品では生・死すら区別が曖昧になっています。200ページくらいなのでご一読あれ。 「この町はいろんなこだまでいっぱいだよ。壁の穴や、石の下にそんな音がこもってるのかと思っちゃうよ。歩いていると、誰かに付けられているような気がするし、きしり音や笑い声が聞こえたりするんだ。それは古くてくたびれたような笑い声さ。声も長い間に擦り切れてきたって感じでね。そういうのが聞こえるんだよ。いつか聞こえなくなる日が来ればいいけどね。」
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死んでいる人が起き上がり普通に人と話し生活をしているならばそれは生きているのと何も変わらない。でも町は死んでいく一方だ。
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ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった作品らしく、岩波文庫のなったときに即買いましたが、自分にはあまりその良さがわかりませんでした。
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どういうわけか、自分の周りに大きい鳥が無数にいて、ばさばさと羽をばたつかせ風で煽られているところを想像してしまった。そのばたつかせた羽から向かってくる風が本作で扱われる「死」のようであり「時」のようであり、鳥菌やら砂埃やら乗せてばさばさと私の顔やら体やらにぶつかって過ぎ去って行く...
どういうわけか、自分の周りに大きい鳥が無数にいて、ばさばさと羽をばたつかせ風で煽られているところを想像してしまった。そのばたつかせた羽から向かってくる風が本作で扱われる「死」のようであり「時」のようであり、鳥菌やら砂埃やら乗せてばさばさと私の顔やら体やらにぶつかって過ぎ去って行く。鳥は無数にいるのであちこちから風はやってくる。それは一定のリズムを保っていない。顔にも風はくるので、つい顔をしかめてしまう。しかめると言っても不快だから、というのではなく奇妙だからである。鳥菌にやられてお熱。
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ラテンアメリカ文学において、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』と並ぶ傑作だそうで。 そこまで分量があるわけではない中篇だが、夜中に読み始めたにもかかわらず、どうしても止められなくて一気に読み切った。 読むのを止められなかったのは、複雑な構成なので間を開けたくなかったこともある...
ラテンアメリカ文学において、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』と並ぶ傑作だそうで。 そこまで分量があるわけではない中篇だが、夜中に読み始めたにもかかわらず、どうしても止められなくて一気に読み切った。 読むのを止められなかったのは、複雑な構成なので間を開けたくなかったこともあるが、何よりもこの独特の世界観に浸り続けたかったからだ。 会ったことのない父親ペドロ・パラモを探して訪れた田舎の街でのファンに起こる出来事を中心に描かれるかと思いきや、話は過去にも飛ぶし、目の前で話している人間が読み進めていくと死者だったりする。 70の断片からなる物語だそうだが、その断片は時間軸も、生死の境も、すべて交錯した状態で次から次へ迫ってくる。 読んでいて何のことだかさっぱり理解ができない場面もしばしば。だが、ざらついた荒野の情景が常に頭に浮かびながら読み進める迷宮世界は、ある種の心地良さを与えつつ、緊迫感でぐいぐい心を攻めてくる。 メキシコを舞台にしたと仮定したデビッド・リンチの映画を観ているような感覚だろうか。物語の理解よりも、その圧倒的な世界観の洞窟に潜り込むような。 しかし、この文庫版は解説もすごく丁寧で、読後にかなり理解を深めてくれる優れもの。指摘された箇所を改めて読み返すと、より魅力的な一篇だと感じられます。 イマジネーションをかきたてる驚異の小説です。ルルフォはこれを含め2作しか発表していないようだが、そりゃ崇められるだろうよ!
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