パパラギ の商品レビュー
サモアの酋長がさまざまな比喩を使って西洋文明を批判する。とても詩的な表現で文明社会に生きる人間を形容するのだが、これがユーモアに富み、面白い。ページをめくるたび、私は生きるうえで必要なものって、何かしらと考える。 しかし、相対的な文明批判、というものは今でも健在なんだろうか。...
サモアの酋長がさまざまな比喩を使って西洋文明を批判する。とても詩的な表現で文明社会に生きる人間を形容するのだが、これがユーモアに富み、面白い。ページをめくるたび、私は生きるうえで必要なものって、何かしらと考える。 しかし、相対的な文明批判、というものは今でも健在なんだろうか。 こういう本は、70年代、80年代にはそれもとても新鮮に移ったのかもしれない。もともとオリジナルはもっと昔に出版されたものなので、さらに新鮮だったのかも。 でも、私はもう、サモア人のように生きることはできないだろうし、今、文明の真っ只中で生きてくしかないよね、とちょっと哀しい気分になった。そうイミでは、もう夢さえもないんじゃないか?と。 相対的な文明批判してるあいだは、非文明化することにも意義があったから、そういう人生を目指す(発展途上国に行って働いてみようとか)方向もあったんじゃないかなあ。 私には太陽も椰子の木もきれいな海もないし、神様もどこか遠いところにいるし、情報で武装しないと生きていけないんだよ、と、文明の真っ只中でちょっと放心気味。
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目的地に早く着くことが、たいした得になるわけではない。 大いなる心は機械よりも強い。 新聞は、すべての人の頭をひとつにしたがっている。 私たちは、私たちのからだをいっそう強くし、心をいっそう楽しく快くすることでなければ何もしてはならないし、することは許されぬ。 私たちは、私...
目的地に早く着くことが、たいした得になるわけではない。 大いなる心は機械よりも強い。 新聞は、すべての人の頭をひとつにしたがっている。 私たちは、私たちのからだをいっそう強くし、心をいっそう楽しく快くすることでなければ何もしてはならないし、することは許されぬ。 私たちは、私たちの暮らしの喜びを奪うすべてのものから、自分を守らねばならぬ。 心をくもらせ、明るい、心の光りを奪うすべてのものから、私たちの頭と心をたたかわせてしまうすべてのものから、自分を守らねばならない。
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随所になるほどその通りと思わされたけど、サモアの素晴らしい点を挙げる彼が、簡単にキリスト教だけは受け入れるとは思えない点で、やっぱり偽書だと思う。
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今こそ読み継がれるべきツイアビの言葉の数々。 最後の章が特に心に響きました。 学校の授業で取り上げるべき。
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この本は学校の課題図書で読みました。 ツイアビはパパラギ すなわちヨーロッパの人々のヨーロッパ中心主義という考え方を批判し、警告を促していると私は思いました。
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おもしろかったです。 でも、早く読み終えてしまいたかった。 的確で、悲しい。 じゃあどうすればいいんだろう、と 何度も考えかけて、やめて、考える。 あたしがこの人に会ったら やっぱり、あたしは病気だと、 思われるのかな。
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1930年代にドイツにわたり、フロイトを全否定している。 「欲望と精神が戦っていると言うのはバカげている」だそうだ。
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西洋を訪れ、文明を初めて見たサモアの首長によるその批判演説集。 モノ・思考・幸せ・生きることなどについて、考えさせられる一冊。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
学生の頃に読んで、7月末の「大人のブッククラブ」で再読した本。 「パパラギ」に出てくる酋長ツイアビが実は実在しておらず、この本は「編者」を名乗るエーリッヒ・ショイルマンの「創作」であるという説は、最初に読んだ頃に鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』で初めて知った。その時は「ふーん」と思った程度なのだけど、今回、幸運にもそこで引用されていた山本真鳥の書評記事(『民族学研究』59巻3号)も入手でき、それもふまえてあらためて再読してみると、やはり「創作」の線は色濃いのだろうと思う。 これは、ショイルマンが、ツイアビという架空の人物を借りて、当時(1920年)の社会批判をした本と理解してよさそうだ。 創作としては、「パパラギ」はずいぶんとオリエンタリズム色の濃い作品だ。最初の章がいきなり「肉体の解放」の主張から入る所などが典型的だが、当時の西洋社会を描写する以上に、その観察者としての「南国人」を、西洋人ショイルマンがどう捉えていたかを鮮明に映し出してくれる。 また、ショイルマンの創作世界にも所々破綻が垣間見える。なぜツイアビが西洋人の夜の寝室にまで入れるのかとか、時間の概念を所有していないはずの彼が、なぜ時間を数量的に扱えてしまっているのかとか、あら探しをすれば怪しいところは意外にけっこうあると思う。 しかし、である。そういう読み方がこの作品を面白くするかというと、あまりそうは思えないところが問題だ。 パパラギを「文明批判」的に読むのは、全然面白くないと思ってる。あまりにショイルマンの仕掛けにそのまま乗りすぎて面白くないし、そもそもこの種の「文明批判」は結局「文明人」が自分の生活を時々振り返り、そしてまたいつもの生活に戻っていくための消費材であって、文明生活を見直すどころか結局その維持を強化する方向にしか作用しない(少なくとも、無数にある文明批判のうち、実際に社会を変革したものがいくつあるだろう?)。 でも一方で、オリエンタリズム的にこの作品を読み解くのも、ちょっと気の利いた大学一年生がレポートで書くならまだしも、この作品を楽しく/面白く読むのにはあまり寄与しない。これもまたありふれた定型的な読み方であることは、この本を「文明批判」の書としてあがめてしまうのと大差ない態度だと思う。 結局、僕にはこの作品を面白く読むことができず、行き詰まってしまったというのが正直な感想だ。だから評価★★は、この作品を面白く読めなかった自分への評価でもある。 そんな気持ちで読んでいたこの作品だが、一番興味深かったのは、途中まではキリスト教の神と区別されていたはずの、ツイアビたちの神「おおいなる心」が、最終章にいたってキリスト教の神と一体化してしまうところだった。西洋文明を否定していたはずのツイアビが、最終章ではずいぶん敬虔なクリスチャンになっていて、どういうことよ?とこちらはびっくり。 この最終章、「ツイアビの物語」としては完全に破綻していると思う。思うのだけれども、作者ショイルマンが自分の本音を隠しきれずに書いてしまった勢いが感じられて、おっと思わされた。結局のところ、ショイルマンの社会批判の根底にあるのは、敬虔なクリスチャンとしての情熱だったのかもしれない。それを軸にしてこの物語を再読すれば、「ツイアビの物語」とは異なる「ショイルマンの物語」を描けるのではないだろうか。
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文明批判にも取られる本だけど、ツイアビの目から見た文明と、それを説明する言葉に皮肉とユーモアがたっぷりで、楽しくも考えさせられる一冊。現代社会に疲れたら読んでみて。
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