夏の朝の成層圏 の商品レビュー
よくわからない
読んでよかったとは思うけど、いまだに魅力を感じない作品。
ドイル
著者の長編デビュー作…
著者の長編デビュー作。詩人だけあって小説というスタイルでもその文体は美しいの一言。
文庫OFF
漂着した南の島での生…
漂着した南の島での生活を描いた長編小説。ロビンソン・クルーソーのようだ。
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無人島に漂着した男の…
無人島に漂着した男の話。自分も暑い南の島にいるような気分になれます。実際自分が遭難したときには何の役にも立ちそうにないストーリーが淡々とつづくのがまたいいです。夏の海辺で読みたい一冊。
文庫OFF
とても美しいタイトル。こういう言葉の使い方は、とても好きだ。 『スティル・ライフ』の次に読んだ池澤作品。 『スティル・ライフ』で池澤作品の世界観に触れ、そこから興味をもってこの本にたどり着いた。 美しいタイトルと、文庫本の装丁(真っ青なバックに、黄色いインクで無造作に点が打たれて...
とても美しいタイトル。こういう言葉の使い方は、とても好きだ。 『スティル・ライフ』の次に読んだ池澤作品。 『スティル・ライフ』で池澤作品の世界観に触れ、そこから興味をもってこの本にたどり着いた。 美しいタイトルと、文庫本の装丁(真っ青なバックに、黄色いインクで無造作に点が打たれている、抽象的な絵)に惹かれて購入した。 使われている言の葉は、繊細で美しい。ただ、デビュー作ということもあって、その言葉の扱い方にどことなく微かにぎこちなさを感じる(ように個人的には思った)。 そのせいか、前半は無人島に漂着したたった一人の男の(あえて三人称表記ではあるが)独白形式なので、なかなか読み進められなかった。 ただ、中盤で彼がもう一人の男と出会ってから、つまり彼が文明との繋がりを徐々に取り戻してゆくところから、だんだんと話が面白くなってきた。 前半は読み進めるのに少々難儀したとはいえ、彼の「孤絶の生活への無意識の願望」には、個人的に共感を感じている。 彼が恐怖と混乱の中で夜の海を漂い、無人島に漂着し、時刻の感覚を失い、食べ物を探し、椰子の繊維を剥く過程を読みながら、自分も追体験しているような気持ちになっていた。 なお、以下は本筋ではないが、読んでいて印象に残った箇所がある。 1つは、p12の、言葉の限界について述べられた部分だ。 (引用) 「夕焼けがないところでは言葉で夕焼けを作ることもできよう。死んだもののことは言葉で語るほかない。しかしこの瞬間に目前にある物を捕える力は言葉にはない。記述や描写や表現は、過去の事物と、遠方と、死者を語るためのものだ。言葉の積木をいくら積んでも、この世界は作れない。」 この部分は、『二十億光年の孤独』の解説に書かれていた、谷川俊太郎氏の詩観によく似ていると感じた。 いずれも言葉を紡ぐことを生業としている人間が、言葉の限界について同じように感じている、ということが興味深い。 限界があるからこそ、限りのある中でいかに表現するか、言葉の紡ぎ方に細心の注意を払うのだろう。 煌めくような美しい言葉たちが、繊細で(しかしピンと芯のある)透明な糸で紡がれている、そんな文章が、私は好きだ。 本書のタイトル「夏の朝の成層圏」をとても美しいと感じるのも、そういうキラキラしたものを感じるからだ。 もう1つは、『スティル・ライフ』を読んだ時にも感じた、理系的な感性を感じる部分だ。 (引用) p73「彼は(中略)この建物の角ごとの精密な直角、壁の平面の仕上げ、左の方に二つ並んだ同じ大きさの窓の完全な合同などを感心してながめた。こんな平板な白さはこの島にはない。椰子の木も砂浜も彼自身の身体もこのように平面や直角からはできていない。この島にはあの二つの窓のようにまったく同じ形のものは絶対にない。二枚の葉も二個の貝も同じ形ではない。内側から生成してくるものは決して同じ形にはならない。外側から機械によって削りこまれ、形づくられるものだけが、まったく合同という、自然にない形をとるのだ。」 こういう物事のとらえ方は、理系の素養をもった著者の作品ならではのように思う。 また、この部分は、なんとなく福岡伸一先生の『生物と無生物のあいだ』を連想させる。 こうして、今まで出会ってきた別の作家の別の作品との繋がりを感じるところも、読書の面白いところだなと思う。 レビューブログ https://preciousdays20xx.blog.fc2.com/blog-entry-529.html
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臨場感があって自分も漂流しているような気分になった。星や宇宙や内蔵の話をミランダとしてるシーンが好き
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何度目かの再読。 20代前半、図書館で背表紙を見て思わず手に取った。 南の島、土着の人の生活・文化に対するリスペクト、精霊たち、便利さの皮をかぶった資本主義の流入に対する抗えなさ。「マシアス・ギリの失脚」などのちの著作へ脈々と続いていく。 細かいところは忘れていたので、再読でも楽...
何度目かの再読。 20代前半、図書館で背表紙を見て思わず手に取った。 南の島、土着の人の生活・文化に対するリスペクト、精霊たち、便利さの皮をかぶった資本主義の流入に対する抗えなさ。「マシアス・ギリの失脚」などのちの著作へ脈々と続いていく。 細かいところは忘れていたので、再読でも楽しめた。
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新聞記者のヤスシ・キムラは、遠洋マグロ漁についてのレポート企画の準備をしているとき、誤って船から落ちてしまい、無人島に流れ着きます。彼は、自分が漂着した島を「アサ島」と名づけ、ヤシの実やバナナを食料に現代のロビンソン・クルーソーのような生活を送ります。しかし、周辺の島の探索をはじ...
新聞記者のヤスシ・キムラは、遠洋マグロ漁についてのレポート企画の準備をしているとき、誤って船から落ちてしまい、無人島に流れ着きます。彼は、自分が漂着した島を「アサ島」と名づけ、ヤシの実やバナナを食料に現代のロビンソン・クルーソーのような生活を送ります。しかし、周辺の島の探索をはじめた彼は、「ユウ島」と名づけた島に一件の家が建てられているのを発見します。そして、その家にアメリカ人の映画俳優であるマイロン・キューナードがやってきて、二人は出会うことになります。 彼は、文明社会へつながる導線を保ったままで島の暮らしをたのしむマイロンに、ときおり説明のできない反発をおぼえます。マイロンは、そんな彼の態度にロマン主義的な心情を見てとり、そのことを指摘しますが、彼にとってより大きな問題だったのは、マイロンに出会ったことでみずからの心情に説明がつけられてしまうことに対する疑いでした。やがてマイロンは島を出ることになりますが、彼はまだしばらく島に滞在すると告げ、自分自身の体験を記すことを決意します。 南洋での彼の生活は、文明と自然を対照する視座そのものを包むようなスケールを示し、彼はそれを前にして説明することばをうばわれながらも、表現を通じてその自然を包み返す試みへとつながるプロセスがえがかれているように感じました。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ある男の漂流記。初めは巧みな情景描写に吸い込まれ自分も漂流したかのような不安感があったが、新しい環境にだんだん適応していく彼の冒険のような日常は発見と驚きに満ちていて、先が気になりどんどん読み進めてしまった。次はもっとゆっくり言葉を味わって読み返したいと思える作品。
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文章がかなり好み。常夏の島の景色や、音や温度が脳裏によぎり、そこに自分も行ったように感じる。大変魅力的な文章。 彼のように全てを捨ててしまいたくなること、時々あるから、共感しながら読んだ。
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