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人間の声で ジェンダー二元論を超えるケアの倫理
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人間の声で ジェンダー二元論を超えるケアの倫理

キャロル・ギリガン(著者), 川本隆史(訳者), 山辺恵理子(訳者), 米典子(訳者)

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人間の声で ジェンダー二元論を超えるケアの倫理

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 風行社
発売年月日 2025/11/19
JAN 9784862581648

人間の声で

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商品レビュー

4.5

4件のお客様レビュー

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2026/02/26

静岡市女性会館図書コーナーの書誌詳細はこちら↓ https://lib-finder.net/aicel21/book_detail_auth?authcode=ziXj9vuemO61dLAkjoamng%3D%3D

Posted by ブクログ

2026/01/14

「ケアの倫理」が提唱されたとき、ジェンダー二元論からの反論や、「正義の倫理」との対比より、様々な論争がおこったが、それを乗り越える形での本家本元の著者からのメッセージ。フェミニズムとの合流より、家父長制の問題が根本的問題であり、ジェンダー二元論を乗り越え、人間共通の倫理であること...

「ケアの倫理」が提唱されたとき、ジェンダー二元論からの反論や、「正義の倫理」との対比より、様々な論争がおこったが、それを乗り越える形での本家本元の著者からのメッセージ。フェミニズムとの合流より、家父長制の問題が根本的問題であり、ジェンダー二元論を乗り越え、人間共通の倫理であることを述べている書である。欧米の書物を読むには、基本的なバックボーンへの理解が必要だが、多数の注釈によりそれはカバーされているが、私にとってはその注釈に対する注釈も必要なくらいの理解ではあった。

Posted by ブクログ

2025/12/27

 私が直面していた問題はこれだったのかと、ようやくたどり着いた感。アドラー心理学も、ババヤガの夜も、大人の発達障害も、私の中ですべてつながった。  ジェンダー二元論に基づく家父長制においては、女性は声を失い、男性は心を失うのだそうだ。そして、「正しさへの裏切り」は不可避となる。...

 私が直面していた問題はこれだったのかと、ようやくたどり着いた感。アドラー心理学も、ババヤガの夜も、大人の発達障害も、私の中ですべてつながった。  ジェンダー二元論に基づく家父長制においては、女性は声を失い、男性は心を失うのだそうだ。そして、「正しさへの裏切り」は不可避となる。でも、「王様は裸だよ」と指摘した子どものように、本当は皆、何が正しく何が正しくないことか、わかっている。ただ、それを言わないこと、それを気にしないことが「成熟」だと聞かされてきて、その教えを内面化している。これを役割馴致というのだそうだ。しかし世界では、グレタ・トゥーンベリや、ダルネラ・フレイジャーのような、役割馴致してしまう前の女子たちが、本当は皆わかっている「正しくないこと」を指摘している。  私が経験したことをこの本での学びに当てはめようとするとき、私は女性だが(さらにいうと有色人種であるが、より優位とされる白人と共に過ごしているわけではないのでその点は保留する)、「無私のケアを押し付けられる劣位の側」でのみあったわけではない。ギリガンも言っている通りこれは性差だけの話ではなく、男性的とされるもの(例えば理性とか客観性とか)と女性的とされるもの(例えば感情とか主観的な感覚とか)だったり、白人と黒人だったり、いかなる対立軸であってもそこに二元論を敷き、上下の関係を規定して統御しようとすると、家父長制ができあがる。私の解釈では、お金を払う側と貰う側や、年長者と年少者、という二元論へのスライドも可能だと思う。だから私は状況によって、家父長側でもあったし女性側でもあった。そして、最も強い嫌悪感を抱いたのは、自分も家父長として振る舞うことを求められていて、さらにそれこそがここでの「成長」であるとされている、とわかったときだった。たぶん、今どきらしいもっとスマートな成長のしかたを見せる道もあったはずだが(過去形で言わず、あるはず、で良いのかもしれないが)、今の私はまだそれが見つけられない。そして我ながら、気づくのが遅すぎる。馴致しすぎだろう。馴致していた自分への嫌悪感もセットになって襲ってくるから厄介だ。こんなふうに気持ちがまだトゲトゲしているうちは、うっかりまた誰か(自分含む)に対して攻撃的なことを言ってしまいそうだから気をつけよう。    たくさん線を引きながら読んだ。ここには書ききれないが、現在の心理学の世界では、私が疑問に感じていたあんなことも、こんなことも、もうその概念を表す言葉が、理論が、洞察が、存在するんだということを知り、心強く感じた。例えば、「不逞不遜の大胆さ」だなんて、なんと素敵な言葉だろう。また、旧約聖書で「エゼル・ケネグド」の「ケネグド」が訳し落とされていたことは、ダン・ブラウン小説かと見まごう陰謀論めいた話に聞こえてしまうが、そこから「抵抗」の物語を読み取って提示してくれるギリガンさんの洞察に、勇気をもらった。  一九八二年に原著が刊行されたキャロル・ギリガン『もうひとつの声で』は、二〇二二年に邦訳書が風行社から出ていて、今年二〇二五年に稲盛財団運営の京都賞なるものを受賞している(十一月にギリガンさん来日されてたらしい⋯!)。この四十年の開きは、日本とアメリカの何かの歩みの差を示すのか、このテーマに対する世界の反応の遅さの表れなのか、私にはわからない。派手なブームにならなくてもいいけど、じわじわと滲み広がってほしい。そのための工作員になりたい。何をしたら工作活動になるだろうか⋯。

Posted by ブクログ