商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 日経BP/日経BPマーケティン |
| 発売年月日 | 2025/10/06 |
| JAN | 9784296121786 |
- 書籍
- 書籍
登山大名(上)
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
値下げ前価格について
本価格は現中古販売価格の「値下げ前価格」となります。
直近約1か月間、値下げ前価格での販売実績があるものだけ表示しております。
登山大名(上)
¥2,200
在庫あり
商品レビュー
4.3
3件のお客様レビュー
江戸時代初期の歴史を背景に、切支丹弾圧の中での大名の葛藤と成長を描いた物語です。主人公の中川久清は、豊後・岡藩の第三代藩主として、厳しい幕府の圧力にさらされながら、運命的な出会いを通じて自らのアイデンティティを探求します。特に、彼と切支丹の娘との関係が物語の核となり、彼の過去や家族の秘密が次々と明らかになっていく様子が緊迫感を持って描かれています。物語の後半に入ると、緊迫した状況が一層深まる中で、久清の運命が大きく変わり始める様子が興味を引きます。全体として、歴史の陰影と人間ドラマが巧みに絡み合い、読者を引き込む魅力があります。九重連山の美しい風景も物語の重要な舞台となっており、下巻への期待が高まります。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
岡藩(九州のたぶん現在の大分あたり)第三代中川久清は、江戸時代初期、伏見で正室ではない女性から産まれ、後継として江戸にやってきた。父の正室には男児がなく、無事跡を継ぐことができたが、父が亡くなった後に39歳にして岡藩を継いだところ、父がかなり切支丹に甘い政策をとっていたことが次々...
岡藩(九州のたぶん現在の大分あたり)第三代中川久清は、江戸時代初期、伏見で正室ではない女性から産まれ、後継として江戸にやってきた。父の正室には男児がなく、無事跡を継ぐことができたが、父が亡くなった後に39歳にして岡藩を継いだところ、父がかなり切支丹に甘い政策をとっていたことが次々と明るみに出た。 おりしも天草の島原の乱の後であり、もとより厳しかった切支丹の取締りは更にキツくなり、そして周囲の大名家も徳川に睨まれたくないので、どんどん取締りをキツくしており、周囲より取締りの甘い岡藩領内には切支丹の百姓が逃げ込んでくる。幕府の隠密も入り込み、かなり厳しい情勢になっている。
Posted by 
豊後国岡藩の第3代藩主中川久清は、日本人離れした容貌と言われている。なぜそういわれるかというと、かなり目鼻立ちがくっきりした肖像画が残されているからだ。キリシタン摘発を目指しての絵踏みを行なった。久住連山の一つ大船山を愛し、「人馬鞍」と呼ばれる鞍を屈強の男性に担がせて何度も登山...
豊後国岡藩の第3代藩主中川久清は、日本人離れした容貌と言われている。なぜそういわれるかというと、かなり目鼻立ちがくっきりした肖像画が残されているからだ。キリシタン摘発を目指しての絵踏みを行なった。久住連山の一つ大船山を愛し、「人馬鞍」と呼ばれる鞍を屈強の男性に担がせて何度も登山した。墓所は、自身が愛した大船山中腹1,300メートルを超える台地上に作られ、入山公墓と呼ばれる。岡藩中興の英主・天下の七賢将と称えられ、プライベートも充実していた、幸せな人生を送った大名のように見える。 ところが、諸田氏が描き出した久清は、これらの事実を全て裏返して作られた人物だ。彼の系図が冒頭に紹介されているが、有名人のオンパレードだ。賤ヶ岳の戦いで敵味方となり戦った中川清秀と佐久間盛政を曾祖父に持つ。祖父・秀成は、高山右近と従弟どうしで、父・秀成は、父親と戦った佐久間盛政の娘・虎姫と結婚した。母親紀為君は家康の異父弟・松平定勝の娘で、後に家康の養女となる。第四代将軍家綱のもとで老中となった酒井忠清や岡山藩主の池田光政とも、姻戚関係にある。更に、豊臣政権下で切腹に追い込まれた古田織部とも縁続きだ。
Posted by 
主人公の墓は、大船山登山道の結構高い場所であった。石垣が築いてあり、立派な墓であった。ここまで石を運ぶ手間は大変であったろう。また、自分の足で登らず、担いで貰ったようだ。城からは、随分離れた場所。ここに墓を作りたかったとは、よほどの山好き。登った日の大船山山頂からは、遠く大分市に...
主人公の墓は、大船山登山道の結構高い場所であった。石垣が築いてあり、立派な墓であった。ここまで石を運ぶ手間は大変であったろう。また、自分の足で登らず、担いで貰ったようだ。城からは、随分離れた場所。ここに墓を作りたかったとは、よほどの山好き。登った日の大船山山頂からは、遠く大分市に停泊の船、阿蘇の山々迄見えた。おそらく領地の殆どが見えたのではないか。この物語を知らなかったら、墓所に何の感慨も持たなかったであろう。
Posted by 

